卒業生インタビューvol.17

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今回は和光中学・高校・大学を卒業され、現在G・Nセキュリティという警備会社を仲間の方3人と立ち上げ、新たにG・Nサービスという分野でも益々活躍されている梅澤正義さんにインタビューしました。
梅澤さんは中学~大学までを和光で過ごされました。高校の親和会教研で「格差社会をどう生き抜いてきたか…」の6人のパネラーのお1人としても参加していただきました。参加された親御さんから「“目からウロコ”の話だった」との声が多数寄せられました。  そんな梅澤さんにインタビューさせて頂きました。

(聞き手:和光中学・高等学校校長 両角 憲二)

和光学園に育ててもらった10年間。中、高、大とそれぞれインパクトがあった。

聞き手:梅澤さんは和光中学を1995年、高校を1998年、大学を2002年に卒業されて、現在ちょうど30歳ですね。さかのぼって小学校時代はどうだったのですか?また、茨城から和光中学を受験した理由をお聞かせください。

梅澤:私は元々東京に住んでいましたが、小学校4年生のときに茨城県取手市に引っ越しました。公立小学校に通いましたが、なかなか学校やクラスになじめず、途中で転校したほどです。学校に行けない時期もありました。そんな時に母親が「和光中学校という学校があるよ。受けてみたら…」と背中を押してくれたわけです。小6の秋から受験勉強を始めました。

聞き手:取手から和光中学校までの通学は、登下校に相当時間が掛かったでしょう。辛くなかったですか?和光中学にはなじめましたか?印象に残っていることは?

梅澤:そうですね。朝は5時45分に家を出て、通学時間は2時間ぐらい。早い時は5時半前に家を出ていましたね。帰宅は夜の8時、9時頃でした。都内に祖母の家がありましたから、睡眠時間確保のために週1回ぐらいは泊まりに行っていました。試験の時や部活の大会前日も泊まって、そこから行く……なんて具合でしたね。
和光中学では、館山、秋田、部活……、印象に残っていることを上げたら、キリがないほどです。どれが1番とは言えません。気がついたときには、すでにすっかりなじんでいましたね。12、13歳という感じやすい時にこうして中学校生活をスタートできたことが、その後の和光生活10年間の土台になったと思っています。中・高・大と僕は和光学園に本当に育てて頂いたという感じです。そのくらい10年間それぞれにインパクトがありました。

聞き手:部活動は、中学で卓球部。高校時代はラグビー部でしたよね?

梅澤:そうです。中学時代は顧問の井上先生にお世話になりました。格闘技好きの井上先生と、当時はK-1などの話題で盛り上がっていました。

高校では卓球部がなかったため、卓球部を作ろうと思って仲間を集めたりしました。でも、ラグビー部のキャプテンから「やらないか」と声を掛けられて、一生懸命でひたむきな姿になぜか惹かれたのですよね。それで入部しました。人数の少なかった部でしたが、僕らの代は途中から入った部員もふくめて13人いました。「みんなでやろうよ」ということを強く意識しました。練習の中で良いプレーが出たらほめあう、調子が悪かったら励ましあうといったことが、自然とできるようになっていきました。

聞き手:私も中学・高校時代に部活で多くのことを学びましたが、梅澤さんはどうでしたか?

梅澤:高校では2年でキャプテンをやらせてもらいました。ラグビーはコミュニケーションスポーツです。グラウンド上に敵味方30人もいる中でどれだけ声を出せるか、が大切です。ただ単に足が速い人がいるから勝てるわけでもないのです。意識してディフェンスのラインを合わせる、壁になって相手側をガードしなければならないのです。

和光は個を大事にすると言われますが、ラグビーの場合は、個も大事ですが、自分の特性も生かしつつ仲間も生かす、ということが大事です。ある場面では自己犠牲を払う必要もあります。 当時はOBの中村監督(故人)から熱心な指導をいただいておりました。練習の構成や試合中の作戦など、話し合いを通してみんなが納得いくまで考えました。現在の高校ラグビー部は、他校との合同チームで試合が成り立っている状態なので、非常にもったいないと思います。ぜひ部員を増やして頑張ってほしいです。部活動は、和光高校の中でもっとも充実していた楽しい思い出の一つです。

聞き手:梅澤さんは大学でもラグビーを続けたのですよね?高校と大学で違いはありましたか?

梅澤:大学でもラグビーをやりましたが、決定的な違いは身体的な強さでしたね。高校でできていたプレーが思うようにできず、何度も壁にぶつかりました。原因は先輩たちとの身体の違いでした。そこで、まずは身体作りから始めなくてはなりませんでした。

聞き手:梅澤さんは今では随分良い体格をしていますが、高校、大学時代の体重はどうでしたか?

梅澤:高校で75㎏ぐらい、大学4年時では98㎏でした。

レスラーから警備会社設立へ 培ってきた肉体的な強さと経験、志のようなものを社会に還元したい

聞き手:そういう身体になったからプロレスラーを目指したのでしょうか?

梅澤:そうですね。小さい頃から、私にとってプロレスは最高に格好良いもので、見るのが大好きでした。その時は憧れの対象で、「自分にはできないだろうな」と思っていたのです。ところが就活を始める時に、「プロレスをやってみたい」という想いが強くなったのです。

聞き手:おとうさん、おかあさんに反対されたりはしませんでしたか?

梅澤:私の親は、「やれるだけやってみたら…」と、見守ってくれました。

聞き手:プロレスラーになるためにどのように行動しましたか?

梅澤:日本のプロレス団体というのは、地域に特化した団体も入れれば50~100ぐらいあります。 自分の熱い思いを5つの団体に書いて出したのです。そのうち書類審査で2つ通り、実際に入団テストを1つ受け、「卒業したら、おいで」と、声を掛けていただきました。

聞き手:プロレスでは、日々トレーニングと実戦練習を積みながら、試合をするわけですよね。試合はどのように組まれるのですか?

梅澤:トレーニングは半端でなくきつかったですね。それだけ鍛えておかなければ、試合で生命にかかわる事故につながるということは、最初の試合で身にしみて理解できました。  試合は多い時には月に10~15試合ありました。都内はもちろんのこと、北は北海道から南は九州まで地方巡業しました。お祭りやイベントなどにプロレスが組まれているのです。

聞き手:梅澤さんは、試合ではいわゆる「ヒール」(悪役・悪玉)だったのですか?

梅澤:「ヒール」のときもありましたね(笑い)。善玉か悪玉かはお客さんが観て感じるものなので、私自身は精一杯闘うだけでしたね。お客さんからリアクションがあった時なんか、もう楽しくてたまらなかったですね。巡業先の食べ物もうまかったし。

聞き手:プロレスラーをずっと続けようとは思っていなかったのですか?

梅澤:好きなことでしたから思いっきりやりました。「できるだけ続けたい」とは思っていました。 それでもなかなか食べていくのは大変で、バウンサー(用心棒の意味)、セキュリティと呼ばれるいわゆる特殊警備のアルバイトを始めたのです。だんだんと警備の仕事が分かってくると、仕事内容だけではなく組織全体のあり方、すなわち一人一人の社員のやりがいや幸せとは何だろうかと考えるようになりました。

そんなことを考えていた28歳の時、同じ警備会社で同じ思いを持っていた友人、というより同志と言ったほうが良い3人で警備会社を立ち上げたのです。一人は空道(実戦空手)、一人は柔道、そして自分はプロレスをやっていましたから、それまでに培ってきた肉体的な強さと経験、武道で養われた志のようなものを社会に還元したいと思うようになったのです。

聞き手:昨年1月に高校の親和会教研で、『和光卒業生に聞く……格差社会、就職氷河期といわれる時代、卒業後の10年をどう生きてきたか……』というテーマで、同じクラスだった6人に来てもらってパネルディスカッションが持たれました。6人の話は、和光出身だからといって同じ色に染まっているわけではなく、一人ひとりがそれぞれ自分の言葉で、自分の体験にもとづく意見を語っていました。それでいて「自分さえ良ければ」ではないという点は、6人に共通していました。

6人の話はとても爽やかで、実に多くの人が共感していました。特に梅澤さんの「会社名『G・Nセキュリティ』のGは義理、Nは人情の頭文字」の話は拍手喝采でしたね。 いま梅澤さんの胸に輝いているのが、G・Nバッジですね(笑)。

梅澤:G・Nは3人で考え、自然のなりゆきという感じでスンナリ決まりました。 義理と人情というのは、そこに甘えるという意味ではありません。自分がみんなのために頑張っているからこそ成り立つ仕事だと自覚するために考えました。

お客さんとの関係もあるので、義理=約束を果たすことはなにより大切です。お客さんから苦情が寄せられた場合、すぐ駆けつけるようにしています。スタッフには、年齢的にも経歴的にもいろいろな人がいます。外国人の方もいます。私たちの警備会社の研修は、最初に誘導灯の振り方や車の停め方から始めますが、「こうやるんですよ」と言って、簡単にすぐできる人と、なかなかできない人がいます。複雑な業務だとその差はさらに大きくなります。

苦情を寄せられた現場に行って、まずはどのようにしていたのか、やってもらいます。そこで叱りとばしていたら、「どうせ俺なんかダメなんだ」で終わってしまいます。その人に寄り添いながら、「どうして苦情が来たのか?」「どうしたら良いか?」を一緒に考えます。粘り強く相手の分かる道を探りながらやっていきます。そして、実際にやって見せることでその人も納得します。最後に「あなたがしっかりやってくれるから、また注文がくるのです。あなたのがんばりが、仕事を待っている仲間の幸福につながっているのです」と情に訴えるようにしています。

聞き手:成果主義でなく「義理と人情」というところが良いですね。仕事を通じて、「自分のなかに和光が生きている」「和光がつながっている」と感じられることはありますか?

梅澤:そう言えば、今話した指導法には、館山で泳げない人に泳ぎを教えた経験が生きていますね。 注文をとるため、当然、営業にも行きますが、営業に行ってプレゼンする力、目に見えないものを相手に理解してもらえるように表現する力も、和光で培われたものだと思っています。最初は何もないところから始める演劇づくりに似ていますよね。授業や文化祭でプレゼンする機会もずい分ありました。

そして、ラグビーでの経験やFor the Teamの精神が、組織づくりで実に役立っています。 例えば、良くプールで「入れ墨の方、お断り」ってあるじゃないですか。施設管理上、注文主との契約上、どうしても帰って頂かなくてはいけないですよね。うちのスタッフの中には自分でやりとりをシミュレーションしてすぐできる人もいますが、みんながみんな、なかなかそうはいきません。まずはキーワードを言う、見せて教える…そして練習してもらいます。

しかし、人間、得手・不得手はありますから、何度練習を積んでもどうしてもできない人もいます。 お客さんに嫌な思いをさせないようにして話のできる人、連絡係としてトランシーバーを持って几帳面に連絡・伝令する人、見るからに頑強で立っているだけで「ここには警備員がいますよ」と警告になる人など、役割分担をしっかりすることで、チームとしての力が発揮されます。これって、ラグビーのポジショニングに共通しますよね。

聞き手: 最初3人で立ち上げたG・Nセキュリティは、その後どうなっていったのですか。

梅澤:初めは3人でしたが、3人が5人、5人が10人と増え、半年で20人になりました。2年半たった今では100人になりました。コンスタントにうちの仕事だけで食べている人は30数人です。注文が集中すると1日に100人が稼働することもありますね。 経理は大学出たての若い人にやってもらうようにしました。私たち役員の給料も含めてすべてオープンにしていくためです。保険にはみんな入っています。

「我々が出来ることは何か」、できるだけみんなで考えるようにしています。

聞き手:みんなが幸せになることが自分の幸せだという梅澤さん……教研で話を聴いた親御さんには爽やかな風というか、一服の清涼剤のように感じられたようですよ。

梅澤:「やるしかない」という仲間が同志として集まってくれる、汗して働いてくれる仲間が増えていく、またそれを求めてくれるお客さんが居てくださることは、とても幸せなことです。利益だけを追求するエキスパート集団でもエリート集団でもなく、人が大事で、そこで働く人達が10年、20年、30年と幸せを継続させていくのがこれからの課題だと思います。「警備はG・Nさんしかないね」と言ってもらえるためにはどうしたら良いか、常に考えています。それには警備+αのα部分を更に高めていく必要があるでしょう。「我々が出来ることは何か」を、できるだけみんなで考えるようにしています。

聞き手:一昨日、中学の入試説明会がありましたが、格差社会・競争社会の中で、親は我が子を負け組にしてはならないとビクビクしているようです。今や、幼稚園の親ですら不安がっているそうです。

しかし、有名大学を出て一流企業や官庁に勤めたところで、失敗やつまずきはつきものです。そうしたとき、上司からの注意や叱責で、気持ちがポッキリ折れてしまう、出勤できなくなってしまう、といった例を少なからず聞きます。親が子どもに残せる最大の財産は、家や貯金や有名ブランド大学⇒「勝ち組」就職といったことではなく、失敗してもそこから学んで立ち上がれる自立心と「友のいる人生」なのではないかと、私は中学、高校の入試説明会で語っています。

梅澤さんには同志と呼べる友だちがいたわけですよね。そういう深い関係を結べる力、言い換えると他者を信頼できる力はどこで養われたのでしょうか?

梅澤:先日も同級生の誕生会で12人が集まりました。月に2回ぐらいは和光の人と集まったり、出かけたりしています。クラスやクラブ、館山コーチのつながりで顔を合わせる機会を大切にしています。そこでは対等に話ができる、お互いにグチをこぼしあえる、励ましあえる……私にとって力になるし、力をもらう場になっています。そういった中で、時に自分の仕事に結びつくこともあります。みんな、「友のいる人生」を歩み、それぞれの世界で活躍しています。

問題が起こったら話し合いで解決する……和光での10年間はまさにその繰り返しでしたね。それを通じて、他者を信頼できるようになったような気がします。

聞き手:梅澤さんの会社は、新たな方向でも動き出しているようですね。

梅澤:飲食部門のことですね。同志の後輩が飲食関係で一緒に出来ることはないかと相談に来たので「じゃあ一緒にやろう」ということになったのです。『G・Nサービス』という別法人を作って、浅草で『八重山そば&立ち飲み』というお店を始めました。この秋からは六本木で『AZABU 太陽食堂』というお店も始めました。毎月第2土曜日には「太陽食堂寄席」という落語会も開催しています。

12月には、創立メンバーの一人の出身地・熊本に『G・Nセキュリティ』支社をつくりました。今度行って来ようと思っています。

聞き手:今日はわざわざありがとうございました。今後、ますますご活躍ください。

(了)

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プロフィール

梅澤正義(うめざわ まさよし) 警備会社運営

中学から大学までを和光学園で過ごす。和光大学人間関係学部人間関係学科卒業。プロレスラーとしてリングに上がるかたわらバウンサー(用心棒)として特殊警備にあたる。警備会社において地域防犯活動・要人警護・人事業務に携わる。 2007年6月 同志2人とともに株式会社G・Nセキュリティを設立、取締役就任 2008年11月 株式会社G・Nサービスを設立、取締役就任

G・NセキュリティHP

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