卒業生インタビューvol.19

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先日の朝日新聞(6月12日付)『be』の「フロントランナー」に、和光大学の卒業生であり、沖縄在住で本学非常勤講師の平田大一さんが紹介されておりました。平田さんは、世界遺産・勝連城跡で行われている中高生の舞台の演出を手がけており、紙面中では、11年間で168回の講演を行うまでになった経緯などをお話しされていたそうです。

現在、とても多忙な毎日を送っていらっしゃる平田大一さんにインタビューさせて頂きました。

(聞き手:和光大学 表現学部 教授 小関 和弘)

人間味溢れる教授陣の人柄に、和光大学の魅力を感じました

聞き手:平田さんは沖縄の小浜島のご出身ですが、沖縄から和光大学に進学しようと考えたきっかけというか、理由は何だったのでしょう?

平田:進学を考えていた時、たまたま和光大学の案内を見たら推薦制入試の試験科目が自分にピッタリでした。「小論文と面接」は、もっとも得意な分野でした(笑)。それと、「大学案内」に「キャンパスに塀が無く、授業科目も広く自由に取れる」と書いてあるのが自分の志向に合ってるな、と思いました。推薦制入試で受験しました。

聞き手:その推薦制の試験科目、「小論文と面接」では、何か印象に残ったことなどがありますか?

平田:面接では、佐治先生とどなたかの組だったのですが、「お〜っ、君は沖縄からか!」「沖縄と言えば泡盛!君は呑めるかっ?」みたいなやり取りをさせて戴きました、でも十八歳の高校生になんですよね(笑)。大学案内文にも書かれていた「個性重視の大学です」みたいなことは、やっぱり先生方にも当てはまるんだな、と思いました。人間味溢れる教授陣の人柄に、大学としての魅力を感じました。

聞き手:沖縄から東京へ出てこようというのには何か、「こんな事をやるぞ!」という意気込みのようなものはありましたか?

平田:父や母を筆頭に僕の生まれた島の大人たちは皆、まともな学歴がありませんでした。青春時代の盛んな時期が戦争の最中か、戦後のバタバタで生きるに精一杯の時代だったからだと思います。更に、小さな島の学校で同級生が四人!しかいない環境で育ちましたので、大げさでなく「島を背負って、島を代表して上京するぞ!」みたいな、意気込みに燃えていましたかね。

聞き手:ところでその、平田さんの故郷、「小浜島」についてお話し頂けますか?

平田:沖縄本島の南にある八重山諸島は文字通り八つの島々で構成しておりますが、そのうちの一つの島が小浜島です。周囲16キロ、人口が約600人くらいですね。村の端から端まで歩いて3分47秒ですよ。ほんとに。自分で歩いて測ってみたんですから、間違いありません。砂糖キビが盛んで、小さな島ですがリゾートホテルもあって「農業と観光の島」という感じです。NHKの朝の連続テレビドラマ「ちゅらさん」の舞台になったことで、全国的に有名になった島でもあります。

「歴史観と詩心を持つ!」大学で学んだ詩の心が、今の僕の根っこ

聞き手:では次に和光大学に入ってからの事をお聞きします。大学生活はいかがでしたか?

平田 自己の規律が問われるなと感じました。単位や授業への出席など、先生方を最後まで悩ませてしまいました。僕は、決して真面目な学生ではなかった方だと思います。でも、一生懸命諭すかのように教えてくれた先生方、お世話になった教授の皆さんにはとても感謝しています。同時に、学生の頃に出会った仲間たちで取り組んだパフォーマンス舞台が無ければ、今の自分もなかったと思います。よって、勉強も含めた人間関係や協働作業を積極的に展開してこそ、大学の持っている魅力を活かしきれていると言えるんだなと今は感じます。あの頃は何もかもが必至でしたので、人生を悩むしかできなくって、生きるのに余裕がない感じでした。

ー 大学を卒業して、平田さんは小浜島に戻られたわけですが、その経緯について教えて頂けますか?

平田さんと獅子平田 卒業間近のころ、これから自分はどうして行くべきか真剣に悩んでいて、そのなかで祖母から聞いていた「人はこの世に生まれてくる時、目に見えない誰かに向かって『自分はお願いがあります』と言って、自分で選んでこの島に生まれたらしいよ」というコトバを思い出し、生まれる場所も自分で決めているのなら、生きる場所も自分で決めるべきなんだ、と思いました。そんな時、ある賞を頂いたのがきっかけとなって、沖縄県が主催のミュージカル「大航海」という舞台に出演できることになりました。それが大きな転機でしたね。そのとき、和光大でお世話になった杉山康彦先生からも励まされたことは忘れられません。

ー ところで平田さんは現在、沖縄だけでなく、全国で若い人たちによる文化を基調とした地域おこしの指導をなさっているわけですが、その原点というべき取り組み舞台「肝高の阿麻和利」の目ざすところとをお教え頂けませんか? また、そうした活動の中に大学時代の経験が生きてきたというようなことがあったらお話し下さいませんか。

平田:僕は、もともと「演劇」の勉強や「演出家」を目指していたわけではありません。地域おこしをやりたい人でした。よって僕の取り組みは「有名人、芸能人」を生み出すためでなく「人をつくる、マチをつくる」活動です。僕の代表作「肝高の阿麻和利」は、町の教育長から依頼され今から12年前にゼロから作り上げてきた作品です。昨年(2010年)は、サントリー地域文化賞や、日本ユネスコ協会から「未来遺産」にも登録されました。地域に眠る古い歴史に光をあて、新たな地域の未来をつくることが、この一連の活動の目指すものであり、大事なことです。そして、「歴史観と詩心を持つ!」大学で学んだ詩の心が、今の僕の根っこになっていると断言できます。

聞き手:最後に、現在の学生たちへ贈る言葉をお願いします。

平田:学生時代に書きためた詩のノートを見ると自分自身を必死になって励ます僕がいます。それだけ、学生時代は、悩みの連続でした。「自分が島で生まれた意味は…?」「僕は、将来何がしたい?…何が、できる?」「働くってなんだ?」今、思えば「悩む」ことから逃げずにがむしゃらに自分自身の「使命」とガチンコで向き合ったことが今に生きていると思います。どうか、今の自分で全てを決めつけず、未来の自分を信じて「挑戦」することを勧めます。そして描いた夢は「リアリティー」を追求して、現実にしてください。最後に、学生の頃書いた僕の詩の一遍を紹介して終わります。

光を放て 南の群星
夢は追うな! と叫んでいる
星を眺める一人になるな
星そのものにならねばならぬ
夢に振り回されず
ただ遠くで夢をみるのではなく
「夢」そう夢そのものに
ならねばならぬと声がする。
(詩集 南島詩人より「群星(むるぶし)」)

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プロフィール

平田大一(ひらただいいち) 南島詩人・演出家

1968年沖縄小浜島生まれ。和光大学在学中から「南島詩人」を名乗り、自作自演の 詩朗読舞台「南島詩人一人舞台」で早くから独自の世界観を確立。 1992年、和光大学文学科卒業後は舞台活動も積極的に展開。文化を基調とした 「次世代育成」と「地域活性化」の独特な舞台づくりの手法が、県内外から大きな 反響を呼んでいる。 2000年の大学主催のレクチャーコンサート、2010年には和光大学「ホーム・カミング・デー」でも講演をした。2007年か らは表現学部総合文化学科の非常勤講師として後輩の指導にも当たっている。

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