卒業生インタビューvol.32

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塚田さん

今回は幼・小・中・高と和光学園で学ばれ、現在NPO法人ピースデポにてお仕事をされている塚田晋一郎さんにお話を伺いました。気が付けば3時間半にも及ぶインタビューの中で、平和の大切さを切々と訴えられていた塚田さん。 今回は特に和光学園在学時代とその後にスポットを当てて、高校で初担任だったという畠中先生にインタビュアーをお願いしました。インタビュー後には、在校生に伝えたい言葉を色紙に書いていただきました。在校生に対して、一体どんな言葉を残してくれたのでしょうか。どうぞそこにも注目してください。

塚田 晋一郎(以下、塚田と記載):畠中先生、こんにちは。この間も高校の『卒業生と語る会』に呼んでいただいた時にお会いしましたね(笑)

畠中由美子先生(以下、聞き手): 晋ちゃんには毎年、「卒業生と語る会」でも、進路やお仕事のことなど、いろいろお話ししていただいていますが、今日はあらためて在学中のことを振り返って、お話を伺わせてください。よろしくお願いします。

――――ノンビリと雑談をしながらお弁当を食べて…という予定だったのですが、もう既に塚田さんの話は始まってしまいました。「伝えたい!」という塚田さんの溢れるような思いが次々と湧き出てくるようでした。

和光学園との出会い・遙かなる記憶

聞き手: 和光には幼稚園から通われていたのですね!和光学園を知ったきっかけは何だったのでしょう

塚田:その時は自宅が経堂だったんですよ。そこで、母が「和光って良いよ」って聞いてきたのがきっかけだったようです。詰め込みの教育ではなく、伸び伸び育つことができるって聞いていいと思ったらしいですよ。

僕も卒業してからも小学校のいちょうまつりを5~6回観に行っていますが、民舞は思い出深いですね。

聞き手:民舞!学年ごとに違う踊りを踊っていて、それぞれのよさがあるとは思いますが、一番心に残っているのはなんですか?

塚田:御神楽ですね。平野先生からの直伝でした。ホントに熱かったですよ。あと、アイヌのおどりの掛け声とかもいまだに覚えています。それとやはり、6年生で踊った沖縄のエイサーですね。沖縄学習旅行で地元の小学校でエイサーを発表し合ったのは、記憶に残っています。各学年の民舞、それぞれに意味が込められていて深いですよね。

聞き手:私も小学校の校内で、休み時間にも集まって、自発的に踊り込んでいる子どもたちの姿を見たことがあります。

塚田:そうですね。毎年、いちょうまつりでそれぞれの踊りを見ているので、上の学年になると、こんな踊りができるんだ!っていう憧れが強かったのだと思います。

他には、やはり沖縄学習旅行で、ガマに入った経験や、ひめゆり学徒隊の語り部、宮良ルリさんのお話を聴いたことは一生忘れません。ガマの中のあの、ひんやりした皮膚感覚、不思議なことにまだ覚えているんです。あとでお話しますが、大学時代に沖縄に訪れた際、そうした小学校時代の記憶が掘り起こされて、私の沖縄に対する関心のスイッチが入ったのかもしれません。

中学校での思い出

聞き手: そういう思いは各校であるのでしょうか。中学校や高校でも?

塚田:中学は「共に生きる」を掲げているだけあって、さまざまな場面でそうしたことを意識する機会に恵まれていた気がします。館山水泳合宿では、泳ぎだしは不安になるのだけれど、みんなで隊列を組んで泳ぐことで自然と勇気が湧いてきたし、指導員やコーチの存在は実に心強かったですね。ひとりでは決して出来ない経験でした。

また、中学の演劇では、毎年キャストをやっていました。最初は恥ずかしさもあるのですが、みんなが支えてくれて舞台に立たせてもらうという感覚が、大好きでした。特に印象に残っているのは、大道具のみんなのがんばりです。毎日寒い中、暗くなるまで作業してくれて、僕もちょっとだけお手伝いをしたりしました。表の舞台に出る人はほんの数名なんだけど、その裏に支えてくれる人がたくさんいる。そういうのを言葉に出さずともみんなどこかで共有している。そういうのが好きでしたね。

みんながひとつのことに向かって一生懸命にやってくれるので、自分の中で、恥ずかしさのリミッターが外れる瞬間があるんです。全員が舞台に上がるのは、カーテンコールの時だけなんだけど、その舞台はみんなの力がなければ、絶対にできない。それを強く実感する経験でした。今思えば、そういうのって、ちょっと社会の有り様に似ている気がします(笑)

聞き手:中学時代から生徒会執行委員を務めていたそうですね。

塚田: 中学時代は文化部長をやりました。執行委員全体で、12~3人という数は色々な人の意見を聞くのにちょうど良い人数なんですよね。執行委員会でみんなで色んな議論をした経験は、今思えば、物を考えたり話たりする上で、すごく良いトレーニングになっていたように思います。

聞き手: 他に記憶に残っていることは何かありますか?

塚田:中学校の文化祭発表のために、『命』というテーマで、数人のグループで調べたことはいまだに憶えていますよ。卒業アルバムに、ちょうどその発表をしている写真が載っていたのもあって。その調査では、まず玉川大学のライフセービング部の人の話を聞いて、それからホスピスに行きました。ホスピスは末期患者の方ができるだけ余生を豊かに生きるための場所だというお話を聞いたことが、印象に残っています。

別の機会では、WWF(世界自然保護基金)に電話してみたり、環境省の官僚の方にインタビューしたことなんかもありました。

葛藤の高校時代・和光高校とは…?!

聞き手: 私は初めての担任。晋ちゃんの1年5組を受け持ちました。晋ちゃんは、三役を務め、クラスのリーダーだったけど、この方向にみんなを引っぱっていこう。みたいな力の発揮の仕方はしなかったね。思いはありながらも、すぐに自分の意見は言わずに、じっくり人の意見を聞いて、しかも安易に否定も肯定もしないようなところがあったなという印象です。クラブは、少林寺拳法部でしたね。

塚田: 5組は少林寺拳法部が多かったんですよ。さっき、(当時から顧問だった北山)秀樹先生にお会いしたのですが、今年のお正月に僕らの代でやった、先生の還暦祝いの会には仕事で行かれなかったので、先程お祝いを言いました。僕らは「秀樹感激」って刺繍を入れた黒帯を贈ったんです(笑) なかなかアレは恥ずかしくって締められないかも…。(笑)

聞き手:そうそう、高校で少林寺は珍しいらしいけれど、結構本格的で、みんなで道院(道場)に通ったりもしていましたよね。

塚田: 僕は都大会と関東大会に出場しました。同じ代の女子は全国大会にも出て、香川県の総本山まで行ったりして。道院は、部活の後に週2回、みんなで電車に乗ってでかけて行くんです。大学や社会人の方々と一緒に練習をしたり、先生のお話を聞いたりします。少林寺部は学校の外でもそういう活動があり、共有した時間が多いので、今でも繋がっていられるのかもしれないですね。いまだに少林寺を続けていて、教える立場になっている人もいますよ。

聞き手:そんな晋ちゃんにも、悶々としている時期があった。

塚田: ちょうど、テレビCMで「そうだ京都、行こう」というのが流れていたのをきっかけに、そうだ京都だ!ってことで、ひとり旅に行ったのもこの時期でした(笑)

それまでの中学のクラスのみんながバラバラになって、高校1年生の時はクラスで居場所がないような気がしていました。周りからはそうは見えなかったと後で言われもしましたが、まあ、中高生時代って、誰にでもそういう時期はありますよね(笑)京都へ夜行バスに乗って、初めて一人旅をしたのは良かったですね。旅先で色んな人と一期一会の出会いもありました。

そういった感じで、一人旅をしたり、部活をやったり、生徒会活動をやりつつ、その後は予備校に通って受験勉強を始めていました。そんな中、高校3年生だった2001年の9月、いわゆる「9・11」、アメリカの同時多発テロが起こって、アフガニスタンへの空爆が行われました。 世界の最貧国に爆弾が落とされる。一般市民も大勢死んでいると伝えられる。日本は直接的な空爆への参加はもちろんしないけれども、「対テロ戦争」を支持し、後方支援を行うということでした。これはいったいどういうことだろうと、疑問を持ちました。 そんなことから社会との繋がりを感じ始めて、たまたま学外で出会った友人たちと、渋谷で募金活動や署名活動を始めてみたんです。自分たちで一から立ち上げたので最初は大変でしたが、やってみるとどんどん活動は拡がっていき、新聞やテレビの取材も受けるようになっていきました。みんな、普段は声に出さずとも、話してみると色んな思いを持っていて、考えているんだなという気付きは大きかったですね。

聞き手: そういう活動を学校では誰かに話したりはしなかったの?

塚田:ごくわずかの友達には話したかもしれないけれど、あんまり積極的に伝えたりはしなかったですね、当時は。学校での自分と、学外でそういうことに取り組む自分を分けていた気がします。学内では執行委員長もやっていましたし、浮かないことを意識していたように思います。今思えばもっと話してもよかったですよね(笑)

聞き手: 中学・高校の時の担任の先生は?

塚田: 中1で両角先生、中2・中3で髙橋智佳子先生。高1で畠中先生、高2で松山先生、高3で地井先生でしたね。

聞き手: 松山先生はそれこそ沖縄の基地問題に詳しいし、話が合ったのでは?と思っていたのですが、『基地問題研究』の出身ではなかった?

塚田: はい、奄美大島に行く『ひととことば』を選択しました。沖縄には小さい頃から旅行で何度か行っていたので違うところに行ってみたいと思っていたことと、あと、この授業を選択する高校2年生のころは沖縄の問題はあまり身近に感じていなかったことがありました。人って何事も自分の問題だと思わないと、何かやらなきゃってスイッチって入らないじゃないですか? 当事者意識が芽生えると参加するというような。でも松山先生の基地問題研究には、卒業後にお招きいただいて、授業をさせていただいたりもしました。なぜそうなったのかは、この後お話します(笑)

聞き手: 高校では生徒会の執行委員長をやっていましたが、力を入れていたことはありますか?今振り返って、その経験をどう思いますか?

塚田: 執行委員長の時は、確か他に立候補がなくて信任投票みたいな感じだったので、最初は積極的にという感じではなかったんです。でも小学校からの友達に強く薦められて(笑)当時は、第2体育館を建てる準備がなされていた年でした。学校協議会で学校側から設計図が提示されて、生徒やクラブのみんなからの要望をまとめて学校側に要求したりしました。僕を含め当時の3年生は、実際に自分たちは第2体育館を使うことにはならないのですが、それでも後輩たちのためにという思いで取り組んでいた気がします。

卒業後、完成した第2体育館を初めて見た時は、後輩たちが新しい体育館でのびのびと部活をしていて、感慨深いものがありました。

その後、授業で呼んで頂いて何度か高校に来た際に、後輩から話を聞いたり、進路相談を受けたりしてきました。生徒会活動の中で、トイレの芳香剤や音姫(トイレ用擬音装置)1個の設置でも真剣に考えて、立場や考えの違いから論議になるのが、いつの時代も変わらずというか、むしろ議論の場が進化しているような印象で、面白かったですね。今考えれば自分の代でも、もっと全校アンケートとかどんどんやれば良かったと思います(笑)

和光高校の良いところは、たとえ少数派であっても自分の意見が言えるところです。アイディアや政策には無限の可能性があるじゃないですか? 和光には自分の頭で考える力を養えるような教育がありますよね。生徒の自主性にかなりの部分が任されていて、生徒が自治を担う設計になっている。大学に行っても、社会に出ても、そうしたところで養った力は、本当に替え難いものに思います。現役の頃は意識がそこまで及ばないのが普通ですが、そうした営みは、まさに民主主義の実践のようなもので、非常に貴重だと思います。

大学選択・そして今の仕事について

聞き手:大学ではどのような体験をされましたか?

塚田: 明治学院大学の国際学部国際学科に行きました。「平和学」の講義があったり、学外でも色んな取り組みをされている先生が多くて、とても面白いところです。高校3年生の時にアフガンの活動をしている中で知り合ったある新聞記者の方が、「明学の国際学部は和光と雰囲気が似てるし、塚田くんに合ってると思うよ」と勧めてくれたんです。予備校は途中から行かなくなりましたが、結局違うところでの出会いから、大学進学に繋がりました(笑)

2005年の夏休みに、「沖縄戦60年の旅」と銘打って、大学の友人と沖縄旅行を企画しました。半分遊び、半分スタディーツアーのような感じで、基地や戦跡、史料館を巡りました。その中で、辺野古にも立ち寄ったんです。基地建設が進められようとしている辺野古で、本当にきれいな海を目の前にしながら、現地の人の話を聞きました。そこで、「沖縄には戦後、平和を掲げる日本国憲法が実際に存在したことは一度だってない。基地の存在を通して、いつも戦争と隣り合わせに置かれ続けてきた。沖縄には、『足を踏んでいる人は気付かないけど、(足を)踏まれている人は痛い』という意味の言葉があります」という話を聞き、涙が止まりませんでした。こういう現実の上に、「平和な日本」が成立しているのだと、改めて捉え直すことができたんです。

そこで、また和光小学校での沖縄の記憶が掘り起こされて、自分のスイッチが入りました。あのガマの中でのひんやりした皮膚感覚が、再び戻ってきた感じでした。また、沖縄で和光はよく知られているので、 和光出身だと話すと沖縄の人に親しみをもってもらえたこともありました。

大学時代は、そうした沖縄で見聞きしてきたことを、報告会をして伝えるということに取り組みました。当時は本土では「辺野古」という地名すらほとんど知られていなかったので、まずは今起こっていることを知ってもらいたいという思いでした。その取り組みの中からサークルを立ち上げたのですが、僕が卒業した後も後輩たちが引き継ぎ、その時々で、沖縄に関わらず平和に関わる色んな課題に取り組みながら続けていってくれています。ちょうど今年で10周年になるので、何かイベントをやろうと話しています。 あと、大学時代は、NPO法人ピースデポでボランティアやインターンをして過ごしました。国際会議に参加するために、ニューヨークの国連本部や、カナダ、韓国に行きました。

ピースデポは、「市民の手による、平和のためのシンクタンク」として、核軍縮をはじめとする安全保障問題に平和の視点から取り組んでいる、調査・研究型のNPOです。大学卒業時にうまくタイミングが合い、そのまま就職し、現在に至ります。

聞き手:今の社会について、どのように考えていますか?

塚田: 今の日本社会は、あらゆることに対する「低関心」が広まっているのではと思います。みんな自分の身の回りのことで必死にならざるを得ない状況ですよね。一人ひとりの生活にも、社会にも余裕がなくなってきています。

例えば昨年12月の選挙では、投票率52.66%で、戦後最低を更新しました。よく「無関心」といわれますが、でも本質的には決して関心がないわけではないと思うんです。世田谷区長の保坂展人さんも使っていましたが、「低関心」という印象。低関心の多数の人々の温度はどうやったら上がるのか、どこにそのスイッチがあるのか見つけることが今の社会の課題ではないかと思います。バブル崩壊まではそれなりにうまくいっていたのだと思いますが、「失われた20年」といわれ、あらゆる分野で制度が破綻しています。新しい枠組みや制度へのシフトが必要です。

たとえば原発の問題でいえば、未だに仮設住宅で暮らす人たちが大勢いるし、今も放射能は漏れ続けていますが、段々と人々の意識は薄れつつあると思います。人は忘れていくものですが、忘れてはいけないこと、向き合わなければいけないことを、しっかり大事にしていきたいですよね。特に次世代に渡る問題は、今の世代の僕たちがしっかり向き合う責任があります。

聞き手: 今の夢って何ですか?

塚田: 今よりも普通に生きやすい、暮らしやすい社会にしたい、というイメージですかね。壮大ですが、色んな分野で、色んな人が取り組んでいく中で、10年後20年後、さらにその先と、変わっていくのだと思います。そのごく小さな一つの動きを、何か担えればと。

いずれにしろ社会は時代とともに変わって行きます。その変わって行く社会を、子どもたちが暮らしやすいものにしたい。これって結構素朴な思いだと思います。今後、なにをやるにしても、そうした素朴な思いから、自分と社会の繋がりを感じて取り組めればいいと思います。

和光高校生に贈る言葉

聞き手: 和光高校生に対してメッセージをお願いします。

塚田: 何をやっても失敗はありません。必ず、後々自分の力になります。選択の余地のない時には辛いかもしれないけれど、無駄なことはないので、今を楽しんで生活していってください。

和光で今やっていることを具体的に記憶しておいてください。社会に出たら、いかに今の環境が貴重だったのか、改めて気付くことも多いと思います。

面倒臭くても自分に与えられたことは何でもやってみてください。和光は、あなたの意見に耳を傾けてくれる誰かがいる場所だと思います。

特に3・11以降、前提が覆されていくことや暗くなるでき事ばかりにも思えるけれど、悲観的になるのではなくて、むしろ現実を変えていってほしいです。今の時代はたくさんの情報で溢れているので、何が本当なのか分からなくなることもあると思います。それでも、色んな視点に触れられるような出会いをたくさん経験して、希望を持って前へ進んでいってほしいです。

…こうして幼稚園からの話をしていて、和光幼稚園で、自分で植えて育て、収穫して作った赤カブのみそ汁の味を、なぜかいま急に思い出しました(笑)そういう記憶って何十年経っても忘れないものですね。

今日は懐かしい記憶をまた再発見できる機会にもなりました。ありがとうございました。

聞き手: 今日は本当に、どうもありがとうございました。お忙しいと思いますが、お身体に気をつけてこれからもご活躍ください。またぜひ、卒業生としてお話を聞かせてくださいね。

(了)

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プロフィール

塚田 晋一郎(つかだ しんいちろう) NPO法人職員

NPO法人ピースデポ 事務局長代行 1983年、東京都生まれ。 幼稚園から高校までを和光学園で過ごす(2002年和光高校卒業)。中学、高校で生徒会執行委員を経験。高校3年生の時に執行委員長。高校では少林寺拳法部に所属し、関東大会に出場。初段を取得。 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロをきっかけに、渋谷ハチ公前でアフガニスタンへの空爆反対署名と人道支援募金を呼び掛ける活動に携わる。 2008年、明治学院大学国際学部卒業。大学では国際政治(軍縮・安全保障論、沖縄、平和研究)を専攻。2005年に沖縄・辺野古での米軍基地建設の状況を知り、大学で報告会を開く活動の中から、平和を学び、実践し、発信するサークル「Peace☆Ring」を立ち上げる。(このサークルは現在も後輩が引き継いでおり、今年で10周年。) 2008年、大学時代からインターンをしていた、NPO法人ピースデポに就職。核兵器廃絶や基地問題をはじめとする国内外の平和・安全保障に関わる問題を調査・研究し、執筆・講演などの活動を行っている。

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