卒業生インタビューvol.26

サイト管理者 卒業生インタビュー
栗原心平さん

今回は和光中・高・大学までの10年間を和光学園で過ごされ、現在、料理研究家・事業家としても多忙な日々を過ごされている栗原心平さんにインタビューしました。インタビュアーは当時栗原さんの担任であった大和先生です。

聞き手:和光中学校教員 大和 繁

秋田学習旅行の晩ご飯のような、素朴な郷土料理のような味を提供したい

大和:久しぶりだね。元気だった? ちょっと貫禄付いたかな?(笑) 栗原くんはもう卒業してどのくらいになるのかな?  

栗原:今年34歳になりますから、中学を卒業して19年くらいですかね。もうだいぶ前に結婚したのですが、半年前に男の子が産まれました。大和先生もお変わりなく??

大和: お陰さまで元気だよ。早速だけど、心平くんの頃の同級生とは連絡取り合ったりしているの?

栗原:磯貝さんも子どもが産まれたとか言ってました。宮田くんは家業が果物屋だけれどプロレスラーをやってますし、阿部くんや阿出川くんとも良く会ったりしていますよ。

大和: じゃあ本題に入るとして、月並みな質問だけど、入学にあたって和光学園をどうやって知ったの?

栗原:父が以前から知っていたんですよね。当時、公立の横浜市立の小学校に通っていましたが、どうも父は小学校から入れたかったらしいです。うちの父はとにかく自由なところが良かったみたいで、他にも自由の森学園とか明星学園とかも一応、見ていました。

大和: 心平くんから見て、当時の中学校ってどんな感じだった?

栗原:小学校から上がって来る人が多くて、外からの場合、とにかく倍率がメチャメチャ高かったんですよ。
入学するために学習塾に行って勉強したんですが、うちの塾からは(和光に入ったのは)2人目という珍しさでしたね(笑)。(当時、鶴小はまだ完成校になっていなかったので)和光小学校から来た連中で、ちょっとアウェイ感も味わいました。あらぬ噂が流れて「栗原は悪いやつって…」。でも、すぐに打ち解けることができて、和光の付き合いが濃密になりました。

大和: 中学時代、君がオーストラリアに行きたい…って言っていたのは良く覚えているよ。

栗原:当時、父がタスマニアからパティ(ハンバーガー用のお肉)を輸入しようとしていたから、自然と興味が湧いたのだと思います。

大和:今考えると自分は中学時代、どんな生徒だったと思いますか?

栗原:中学では班長や学級三役などのリーダーをしてましたね。歴史が好きだったので、教科としては社会や国語は成績も割と良かったと思います。う~ん、性格的には見栄っ張りな一面もあったかなぁ…。隣のクラスのSと良くつるんでました。あのやんちゃなSも結婚したらしい…と聞きました。決して、真面目な生徒ではなかったと思いますよ。

印象的だったのは、多摩川を3年間かけて、上流・中流・下流って歩くあの遠足。あれはきつかった。なんてったって、毎年30㎞歩きましたからね。もう、翌日は足もパンパン。根性つきました(笑)

大和:それにしてもなんでこの写真に写ってないの??(当時の遠足の集合写真を見せながら)

栗原:それはですね、Aが歩きたくないばっかりに診断書出したんですよ。そしたら、大和先生「そんなんだったら来るな!」って本気で怒ったじゃないですか…。遅れたから集合写真に入れなかったんですよ(笑)

大和:お姉さんも和光に居たよね? 姉弟仲は良いの?

栗原:今は、ボクが面倒見ているみたいな~(笑) お金の勘定が得意ではないので、経理的な面でですけど。学生時代は恐怖の姉でしたね。高校くらいになると、姉は流行の渦中にいて色々な和光トレンドみたいなものを教えてもらってましたよ。

大和:今でも鮮明に良く覚えているのは、最初は泳げなかったのに、水泳面ではもの凄い頑張りを見せたよね。この学年は、とにかく今でも語り継がれる1993年冷夏の直撃をもろに受けました。館山水泳合宿では台風は来て海には入れないし、秋田学習旅行では低温で稲がほとんど育たないし。ホントに色々な意味で大変で気の毒な学年だったよね?

栗原:そうでしたね~。中学1年の館山ではドクターストップで泳げなかったので、バイパス*を受けて指導員の資格も取りました。大学時代はコーチとして館山にも参加しましたよ。
秋田では、もっぱらその年はつなぎの上を脱いでしまうくらいの勢いで、薪割りに没頭しました。
*バイパス試験…中学1年次に鷹を泳げなかった人への昇級制度で、次年度に学校のプールの授業で厳しい試験に合格すれば、鷹遠泳をクリアしたのと同じ扱いになる制度

大和:そうそう、学校のプールでは何度も何度も検定に挑戦して、当時は基準も厳しかったから今考えてもスゴイ努力家だったよなぁ~。

演劇祭では何の役割だったんだっけ? 3年の演劇では『ブンナよ木から降りて来い』で加千須君がブンナ役で、宮田君が蛇におどされるねずみの役だったんだよな~。それに山森君もいつものあの調子で良い味出していたし(笑)

栗原:ボクは演出でしたよ。大和先生! あの演劇も実に良かったですよね。

大和:話を変えて、印象に残っている授業って何かありますか?

栗原:やっぱり大和先生の体育でしょう。柔道とかありましたよね。もう絞め技くらったり、投げられたり良くしてたなぁ~(笑)

大和:柔道って世間一般的にいうと事故が多いでしょう。残念だけれど今も社会問題になってるよね。ある意味シゴキに使われたり、勝ち負けにこだわったり、昔は根性主義の学校っていっぱいあったからね。今も和光高校の授業では柔道を教えているよ。割と評判いいよ。な~んてね。(笑)
ところで和光高校ではどんな生活だったの?

栗原:高校時代は文化祭がもの凄く印象に残ってますね。ロック研、ジャズ研も掛け持ちして7バンドくらいドラムで出場しましたよ。自宅にドラムパッドがあったんで、いつでも叩いてましたね。
そうそう、一時期、自由を履き違いそうになって、大澤先生や鈴木伸男先生に「栗原、お前ホントにそれで良いのか?」って諭されたのもこの時期でした。

大和:ところで『ゆとりの空間』って何ですか? 何で入ったんでしょうか?

栗原:会社の名前です。『ゆとりの空間』っていうネーミングは16年前くらいに母が付けたんです。意味は読んで字の如く…ですかね。当時からレストランと雑貨の販売をやっていましたが、今では全国に60店舗以上の規模になっています。 入社動機は、やはり親を手伝いたいって思ったんでしょうね。高校からずっと手伝いをしていたので、自然と入社しましたね。

大和:最近は料理番組もやったりしているらしいけど、またどうして料理のほうに進んだの? やっぱり親の影響は強いのかな?

栗原:実は、料理は中学時代からするにはしてたんですよ。食材とかふんだんにありましたからね。まぁ、そういう姿を学校ではあまり見せなかっただけで…。友達が来たら、時折振る舞ってはいましたよ。

最初は料理を職業にしようとは思ってなかったんです。大学では割と単位がすぐ取れたので、広島や神戸の店舗に単身で行ってレストランのサービスや販売スタッフとして働いていました。

他に百貨店もありました。結構気むずかしいところがあって、なかなかキチンとしてないと受け入れてもらえないんですよね。銀行にも勉強させてもらったし。この時期に世間の仕組みを覚えたんだろうと思います。

大和:そうだよね~。大学卒業して3年くらいで代表って言ったら、25とか26歳くらいでしょう?普通はあり得ないよねぇ。それからどうなったの?

それから社会人となって2年目くらいだったと思うのですが、ボクが料理するのを知ってたある出版社から本を出してみないか?って言われたんです。 ボクにとって、食べることとか料理を作ることはいい加減にはできなかったので悩みましたが、何かを得る機会かもと思い、チャレンジさせて頂きました。

今でも食べる事に関してはとても大切にしていて、できる限り家族とか仲間とか集まって、一緒に食べるようにしています。

最近は忙しくて、家族と一緒に居られないこともあるけれど、せめて土日くらい、朝・昼・晩は一緒に食材を買いに行ってコミュニケーションを取ることを大切にしています。うちの奥さんも、このごろは「今日は○○が食べたい…」って言うようになりました。そういうコミュニケーションが潤滑油になって不思議と夫婦関係も良くなるんですよ。食べてるときは会話が弾むんです。どこの素材が美味しいとか。

大和:食に対しての哲学みたいだね(笑)

栗原:ボクは衣・食・住の中では、「食」が1番大切だと思っています。旬のものを旬の時期に調理して食べたり、一手間掛けて手の込んだものを作ったりすると、自然と食生活の幅が広がってきて、生活全体にリズムができます。毎日手のこんだものは作れないけれど、何かのお祝いや行事の際には、時間をかけて手のこんだ料理を作って、日常生活では、常備菜を何品か常に作り置いたりと、メリハリをつけて暮らすと、食べる事・作る事が楽しくなります。うちの母は時間とひと手間掛けて丁寧に作っていたんで、そういう影響は受けていると思いますね。

大和:キミの仕事は直接農作物を作ったりするのではないけれど、何かそういうことに関わる活動はしているの?

栗原:僕も会社のスタッフも食材や食器を売ったりはするんですが、直接、原料を作るところは知らないんですよね。だから、毎年、東京の青梅市で米を作るなどをしています。 育てて採って食べたっていう経験は残るんですよね。稲刈りなんて手でやるととってもシンドイじゃないですか? みんなの中に達成感と団結感が生まれるんですよね。高校で言えば、体育祭の終わった後のような感覚。そういうコミュニケーションが会社ではとても大切だなって思います。

大和:生き方とか感じ方とかそういう意味なのかな。

栗原:若い人ほどコミュニケーションが希薄だと思いませんか?!物欲もあまりないし。一般的にボクより上くらいの人の方がコミュニケーションは密ですよね。 和光って人と人とのコミュニケーションがとても濃厚で、下手をすると今の時代に最も欠けている事を自然に体現しているところなのかもしれません。

昨今では個人プレーが優先され、また評価を受ける世の中かもしれませんが、「団結して何かを為す」ということは社会人になってもとても大切なことだと思います。また、協力して為した達成感こそが、何かを続ける事のモチベーションになるはずです。在学中は気づかないことも沢山あると思いますが、社会人なって、もしその事に気付いたら、それを生涯大切にしてほしいですね。

大和:私の子どもも二人とも和光だったけれど、いまだに中学校時代の友達とず~っと繋がってるって、すごく良いなと思うんだよね。その時代のみずみずしい感性で育っていくことってホントに大事なんじゃないかな?って思うよ。

私は、和光って決して特別なところではなくて、本来、和光のような教育や和光のような学校が普通であって欲しいと思うんだよね。和光で育っているような人間がどこの学校でも育つ…そんなモデルでありたいと思ってるんだよ。

栗原:最近、実は子ども向けのイベントってすごくやってるんです。母と一緒に食育の事を考えて子ども向けの商品作りをすることもありますし、子ども向けの料理教室なんかもやっています。
最近は危ないと言う理由で、子どもに包丁を使わせない親が非常に増えているんです。でも僕の料理教室では、子どもにも必ずステンレスの包丁を使ってもらいます。当然手を切ってしまう子どもも沢山いるんですが、そうする事で同じ失敗を繰り返さないように覚えていくんです。

大和:「三つ子の魂100まで」ではないけれど、魂のように息づいてくれたら良いよね。そういう意味で言ったら、お父さんやお母さんはどんな存在なの?

栗原:父から世の中でどう生きるかモラルのようなものを、母には愛を教えてもらったと思っています。人を嫌いにならない。嫌いになりそうな人でも諦めない。そんなことを学んだんだと思います。両親で役割を分担してたのかもしれないですね。 小さい頃の親は恐怖の対象でした(笑)

大和:例えば10年後に『どうなっていたいとか、こうなったら良いな』…っていうのがあったら聴かせてください。

栗原:10年後、農業もできていると良いですね。直に土触っていたいですから。 僕は、秋田の晩御飯でで感じた、素朴な郷土料理のような味を提供したいと思っています。

当社はeコマースのサイト(ネット通販のページ)も運営していますが、この10月からは生鮮事業で野菜を売ろうと思ってるんです。今までレストランや物販をやっていて、原料に対するポリシーみたいなものをはっきりさせてこなかったんですね。 冷蔵庫にあるモノやスーパーで安く買えるものも、手間をかければこれだけ良くなるってことをやってたんです。

レストランでは、お客さんが召し上がっているものが、我々がどういう思いで仕入れたか、例えば、ポテトサラダには、長崎の赤土で取れた出島というジャガイモが合います!とか、そこまで言及したいんですね。そうすることによってレストランの個性が決まるというか、業態が決まるというか、さらに家庭用品全般販売してますから、それと食材をセットでお使いいただくと料理がこういうしつらいで楽しめる、という住空間まで含めてプレゼンテーションできるんです。そこまで作り上げる事がひとつの目標ですね。

大和:それでは、最後に和光生になにかメッセージをください。

栗原:何になりたいっていうのを早く決める必要はないと思うんですね。高校でも大学でも、中途半端な気持ちで決めると後悔しますからね。信念があって、自分のライフワークだって思い描けるなら早く決めるのも良いと思いますけど。結局好きなことしか続かないですからね。

社員には自分の苦手なことっていうか、不得意なことをやれと、良く言います。じゃないとその人の得意分野だけやって生きて行けちゃうんですね。全然、器が大きくならない。こなせちゃうんです。大体の満足感と実績で終わっちゃうんです。苦手なことを克服し、どんどん自分を磨いていってもらいたいですね。
僕自身はまだまだ足りてない事だらけですが、これから面白いことをドンドンやって、苦手な事にも挑戦し、さらに磨いていきたいと思っています。

大和:今日はわざわざありがとうございました。楽しかったなぁ~。今後も頑張ってくださいよ。

(了)

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プロフィール

栗原心平 料理研究家・事業家

1978年生まれ。 料理家 栗原はるみの長男。 和光中学・高等学校・大学卒業。 (株)ゆとりの空間の代表取締役専務として会社の経営に携わる。

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