卒業生インタビューvol.4

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宮谷さんは、学生時代に「お笑い」ストリーミングサイトbrstTVをたちあげ、数々の賞を受賞した後、ベンチャー企業として「メディアブレスト」を設立。若手芸人のお笑いをより多くの人に露出させ収益化をはかる、「インディーズお笑い」という新たなマーケットを創造しています。現在、和光時代の友人2人と共に、手がけているコンテンツは、ウェブサイトによるストリーミングからTV番組用ソフト、さらにはモバイル用「お笑い」コンテンツの制作と、その活躍分野はますます広がっています。今回は渋谷にあるメディアブレストのオフィスで宮谷さんにお話をうかがいました。

(聞き手:和光中学校教員小池則行)

お笑いサークルを見にいって、普段一緒に授業を受けている人たちが、一生懸命人を笑わそうとしてて、その姿に感動したのがきっかけ

聞き手:個人でインターネット「お笑い」サイトbrstTVを2年間運営してさまざまな賞を受賞して注目をされ、それから企業された訳ですけれど、今はどんなことやっているんですか?

宮谷:ケータイサイトの「着ネタ着ギャグ」って言うのをやっています。着信通知を面白いものにするにはどうしたらいいか、それは芸人さんの考えがいいと思って。結構若い人たちがケータイ使うじゃないですか。尺は30秒ぐらいで短いですが、ケータイ電話でお笑いを動画で楽しめます。

聞き手:お笑いをネタにしようと思ったきっかけは?

宮谷:大学にお笑いサークルがありますよね、彼らはたぶん大学祭の時にしか出るときがなくて、たぶんもっと見られたいだろうと思ったんです。ちょっと見にいってみたら、普段一緒に授業を受けている人たちが、一生懸命人を笑わそうとしてて、その姿すごいなって。その学生からお笑いにインディーズお笑い」ってのがあるんだよ、と教えてもらって中野の小屋に行ったりして。そしたら、普通の中年の男の人が面白くもないんだけど、お笑いを一生懸命やっている。中には本当に面白い人たちもいて、こりゃあすごいなと。それで、撮って著作の処理だけしてインターネットで流すってことをやっていたら、やめられなくなっちゃった。当然お金になることでもなくて、でも日本でそういうことをやっていたのは僕しかいなくて。でもユーザさんもついていたんでつぶしちゃうのはもったいないと思って2年間貧乏我慢しながら、やっていたところ、賞をいただいて、こういう風になったんです。

聞き手:お金にならないけれども、続けようと思ったのは芸人たちのひたむきさに打たれたから?

宮谷:僕がそれ以外に何もできない人だったんで。で、就職活動もできないだろうと思ってたりして。大学では、経済学部だったんですが、やりたいなぁと思っていたこととちょっと違くて…。ウェブとか企画っぽいことやりたいなと思っていたらデジハリにあったんで。

聞き手:忙しそうですね。その企画をやり始めたのは、いつから?

宮谷:うちの会社がスタートしたのが2003年の年の瀬で、以来ほぼ1年間はケータイの企画の準備でしたね。携帯会社に提案してきたんですけど大変でした。一緒に会社でやっている和光時代の2人の友達も含め、3人ともケータイの世界なんてぜんぜん知らなかったんで。

聞き手:そういう企画書の作り方って言うのは親会社の人が教えてくれるんですか?

宮谷:いや、まったくそれは個人で。BrstTVをやっていた時に、いろんなインターネット会社に行って話を聞いて、その時に提案書が必要だってわかったんです。大会社って提案書一人だけで見るわけじゃあないんですよ。だから、話が伝わるようにって、提案書は本読んで書いて、提案してみて、その反応を見て、ああこうすればいいんだな、って。その繰り返し。ドコモの企画書やって、このクオリティになったのは、まあすごい勉強になったといえば、これ以上勉強になったことはなかったかなって。

聞き手:たぶんね、会社に入った新人が、「お前プレゼンつくれ」って投げられても、このレベルの企画書なんてつくれないんじゃない?では、和光時代の話に移りましょうか。和光の頃はどんなお子さんでしたか?

宮谷:“和光っぽかった”って感じ? 小学校のときはチームリーダーとかやっていて、中学では館山の総務をやるような人でしたねぇ…。中学は楽しかったなぁって。館山とかね。たぶん、水泳が苦手な人にはあんなつらい学校ってないと思うんですよ、今も。僕は水泳が苦手じゃなかったのと集団生活も苦手じゃなかったので、館山毎年楽しみでした。ただ、先輩が誰になるかだけが心配で(笑)。

聞き手:宿舎の班体制など?

宮谷:ふふ。和光って左っぽい、なんていわれますけど、この行事のときだけは真逆って言うか。何か、こう軍隊生活って言うか…。先生たちは知っていると思うけど、生活する側はもう階級社会みたいにヒエラルキーが「があっ」とあって。運動会も勝つか負けるか、見たいのがあって、僕はああいうのが…。

聞き手:好きだったんだ?

宮谷:なじんでましたねぇ。普段の学校生活では、そんなことってないんですよ。でも、館山とか運動会では、がちっと決まるじゃないですか。集団生活になって班長は3年生がなって。僕の班は上級生がそんなに無茶な人じゃなかったんでよかったですけどね。卒業後は5回コーチとして行きました。僕の周りにも、まだ行っている方もいらっしゃいますね。

そうそう、和光小学校って面白いですね。3年で「蚕」をやって、5年で米づくりを毎週ある総合の授業でやって、1年やると結構インディカ米とかジャポニカ米とか細かいことまでわかって。6年は社会と総合が戦争一色になって。歴史の授業は太平洋戦になって、総合の授業が「沖縄」になるんですよ。1週間に3,4時間は戦争の授業になって、沖縄にまで行って、当時のノートを見ると「あのときの日本はなんてひどいことをしたんだ」って書いてあって。でも面白かったのが、図書館に「はだしのゲン」などの反戦漫画があったんです。でも中にはそうでない漫画も混じってたりして、自分は結構そういう方を読んじゃったりして。でもそういうのもあって自分がニュートラルな位置にいるのかな、なんて思ったりするんです。

聞き手:その他に和光に対する印象ってどんなです?

宮谷:何と言うか…ほぼ純粋培養の和光生なんで、友だちも和光の人しかいないっていうか…。コミュニケーションの仕方が多少違うと言うか…友達はずっといるもんだ、という感じかな。

聞き手:和光生って意外と内弁慶っていう?

宮谷:こもりますね、結構。高校までは内部生が多いですよね。内部か外部かって捉え方が多くて、高校までま僕らがマジョリティだったんだけど、大学いくと逆にマイノリティになってしまって。だから、内部からの人が外からの人と仲良くしているのを見ると「大学デビュー」だとか言ったりして。

聞き手:昔からの和光の友達関係が続いていると。

宮谷:結局「ムラ社会」なんですかね。会社やっているのも和光の人なんで僕はその気が強いかな、と。他にも和光の人とご飯食べに行ったりすること、今でも多いですよ。友達は10年来って言うのが当たり前なんですよ。和光の友だちって。中学からの友達と行っても13,4年になるわけで。

聞き手:10年かけたって重みがあるのかな。その関係がベースになって外との関係をつくっているわけで。鍛えられたんじゃない?

宮谷:それはありますね。いろんな人と出会って、よくしてもらってるんで。

聞き手:自分の夢を実現したい人、仕事につきたいという人たちに何かメッセージがあればどうぞ。

宮谷:僕の場合は、ただ「やっただけ」なんですよ。「ああ、こんなことやったら楽しいだろうな」でもいいし、「注目されるだろうな」でもいいし、「これはお金になるんじゃない?」でもいいし、「自分が楽しいな」でもいいし、そういう風に考える人はたぶんいっぱいいると思うし。じゃやってみようっていう人は、それを行動に移そうとする一歩ですよね。その一歩をみんな踏み出さないんですね。でもその一歩を踏み出すか、踏み出さないかって、べつに大変なことじゃないんです。ちょっとやってみればよくて、嫌だったらやめればいいし。

気持の問題なだけで、その一歩を踏み出すか出さないかは、実は結構でかくて。僕はたまたまその一歩を踏んで、それを踏み続けているだけで。じゃあ僕しか踏めないかと言うと、僕じゃなくても誰でも踏めるわけで、思った人がやってみれば、できるんです。

学生のときは何か執行猶予みたいなもので、何やっても許されてしまうところがあると思うんです。学生の甘えかもしれませんが「学生だからしょうがねぇや」で許されるし。ですから、やってみたいことがあれば学生のうちからやってみればいいと思うんです。

(2004年11月掲載)

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プロフィール

宮谷 大(みやたに だい)  ITベンチャー起業家

小学校から大学まで和光で過ごす。和光大学経済学部経済学科卒業 大学4年次に、デジタルハリウッドに1年間通い、ストリーミング技術を学ぶ。 2003年12月24日 株式会社メディアブレスト設立、代表取締役 お笑いブロードバンドサイト「brstTV」http://www.brst.tv/ 主な受賞暦に、 デジタルハリウッド主催「デジタルフロンティア2001 学校長特別賞」受賞(2002) デジタルコンテンツ協会 第18回デジタルコンテンツグランプリ「新しい才能の部金の翼賞」(2003) ニフティ主催「2003年ホームページグランプリ グランプリ受賞」(2003) など。

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