卒業生インタビューvol.10

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青山学院の裏手を地図の案内にしたがって歩いていくと、MAKI TEXTILE STUDIOがあった。あいにく雨模様だったため、明るい日差しはかなわなかったが、ガラスのウインドーを大きくとったすてきな店にインドの野生の蚕の生糸で織り上げた様々なテキスタイルが展示されていた。ちょっと奥まっていたので、客の目につくのかなと思ったが、訪問中に一組の客があった。

(聞き手:森下一期)

和光には、それぞれが自分の主張をしておかしくない、という自由があった

聞き手:まず、今やっているお仕事についておうかがいします。

真木:主にインドの野生の蚕からとった生糸と家蚕の座繰りの糸を素材にして、織りをデザインし、試作品を作ります。それを、インドに持っていって職人さんに織ってもらいます。時にはインドにはない素材を持っていって織ることもあります。大体、3ヶ月おきに行って、1ヶ月くらい滞在して、一緒に織っています。現地にいる時間が長いほどいいのですが、そうもいきません。昨年は5ヶ月くらい行っていました。

聞き手:どうしてインドなのですか。最初から関心があったのですか?

真木:そういうわけではなく、和光高校卒業後は武蔵美の短大で一応テキスタイルを専攻したのですが、それほどおもしろいとも思いませんでした。私はガールスカウトに入っていたり、アメリカへの交換留学の経験もあったので、卒業後アメリカに渡り、語学研修などを経てロードアイランド造形大学で学びました。その後ニューヨークでテキスタイルのフリーのデザイナーとして少しやりましたが、染めや織りについては日本の方のものに魅力を感じて1986年に帰国しました。そして東レに就職したのですが、工業的な生産はまったく肌に合わず、手作りの工芸的なものにひかれて、1年足らずでやめてしまいました。その後ファッションデザインの会社に入るのですが、お金を貯めてはせっせといろんな国に出かけました。大学時代からですが、南米、東欧、中国、タイ、インドネシアと本当にいろいろなところに行きました。そういった国々で目にするのは、その土地で、自分の子どものために織るような、生活の中に息づいている織りなのですね。その魅力にとりつかれていたといえます。

そして、インドに行ったときに、ある種、運命的な出会いがあったように思います。ぎょっとするような出会いでした。手織りが残っているし、野生の蚕の繭から糸をとっているのですが、本当に力強い生糸なのですね。絹というと繊細な織物という感じですが、まったく違って、しっかりした野性的な織りになるのです。職人さんもいて、私がデザインしたものを織ってくれる、ということで1989年頃からインド通いが始まりました。このとき、テキスタイルを勉強していたインド人の女性に出会ったことも、こういった取り組みに入るきっかけになっています。彼女は今ではかなり力をつけて手広くやっています。

聞き手:最初からうまくいったのですか?

真木:自分が織ったサンプルを持っていって織ってもらい、それを持ち帰って、青空市で売ったりしました。松本で開かれたクラフトフェアーに出品したものです。売れたら、そのお金でまたインドに行く、という生活でした。インドにはもう60回くらい行っているでしょうか。

聞き手:インドの中でもどの辺りですか。いろいろなところでやっているのでしょうか。

真木:ニューデリーの郊外です。だいたいそこで仕事をしています。17、8年間続けています。10年前にこのスタジオを開いて、特に宣伝しないのですが、何とかやってこれました。自分たちを入れて8~10人のスタッフがいますが、何とか生活できているということは、関心を持ってくれる方が結構いるのですね。日本に失われつつある手紡ぎ手織りの布に関心を持っている方など。関心を持ってくださった方には記名をお願いしているのですが、2000名をはるかに超えています。

聞き手:高山にあるオークヴィレッジという手作り家具を作っているところがあります。値段は高いけれども一定のファンがいてやっていますよね。よいものは人々を惹きつけるのでしょう。ところで、現地に行って自分がデザインしたものを織ってもらう、時には自分でも織る、という形でやっている人はあまりいないと思うのですが。現地の製品を輸入する人はいるでしょうが。

真木:そうですね、企業ベースの人はいますが。それでも、同じような形でやっている人を何人か知っています。でも、タイとか中国ですね。インドはあまりいないと思います。

聞き手:ということは、第一人者ですね。

真木:そういうわけではないですが…。私は、他にも沖縄に関心があります。西表島にはそこにしかない織物があります。素材から育てている。そこにも魅力を感じて行き来しています。

聞き手:こうやってお聞きしますと、真木さんはものすごい行動力を持っていると思います。どうして、そういった新しいところに飛び込むことができたのでしょうか。

真木:母がかなり理解してくれた、ということはあると思いますが、アメリカの大学で自己表現することをかなり教えられ、身につけたことがベースにあるかもしれません。アメリカでは誰かに相談に行くと、ソフトを買ってくれそうな人を紹介してくれるということが一般的に行われているので、デザインを買ってもらうこともできました。

聞き手:和光で学んだことはどんな形でつながっていますか。

真木:何よりも思い出すのが、森下先生の技術の授業です。火を起こしたでしょ。鉄をつぶしてバールもつくりましたよね。のみの使い方も教えてもらったし、かんなやのこぎりも。幼稚園生のための机を作りましたよね。他の授業のことはよく覚えていないけど、技術とか音楽は自分の中にすーっと入ってきたし、そのことははっきり覚えています。道具なんか今もあるかなー。

聞き手:私は子どもの遊びと手の労働研究会を、真木さんが中学にいた頃につくって、今も続けています。手を使ってものをつくることを大事にしているんです。技術の授業がフィットしたことと、手作りの織りにたずさわるようになったことは関わりがあるかもしれないですね。他には何かありますか?

真木:それぞれが自分の主張をしておかしくない、という自由があったのがとてもよかった。自分はこれが好きだよ、と言うと周りも特にそれについてあれこれ言わないし、尊重してくれる。こうしなければいけない、という枠がなかったのがよかった。子どもの時、ああいう環境にいることは大切だと思う。和光に行って本当によかったと思っています。それと放課後、行事がよかった。何をやっても楽しかった。演劇祭も、体育祭のレクとか。その頃も、勉強がもっとできなければ、という人がいたけれど、私はまったくそうは思わない。和光の個性を大事にした教育はすばらしいと思う。今でも、当時の同級生と行き来を結構しているんです。

聞き手:この青山のお店をもうじき閉めると聞いたけど、どういうことですか。

真木:家主さんの都合です。ちょうど10年になりますから、区切りだと思っています。4月20日が最後になりますが、イベントのご案内を皆さんに出すつもりです。その後のことですが、私は武蔵野で生まれ育ったこともあって、郊外の木々に囲まれた雰囲気の方が好きなんです。ですから、あきる野市に築200年くらいの古民家を借りてスタッフとの仕事場にしています。そこで藍を育てたり、糸づくり、草木での糸染め、製品の仕上げ作業や、展示会の準備などをしています。そこで春頃から週末ギャラリーを開く予定です。インドの自然食のカフェーも一隅に設ける予定です。自宅にも近いのですが、田舎の風景が好きなんですね。そちらにも是非足を運んでください。

聞き手:機会がありましたら是非。今日は、最近よく言われるようになった“スロー”な働き方の原点のようなお話をどうもありがとうございました。

(2006年2月掲載)

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プロフィール

真木 千秋(まき ちあき) 真木テキスタイルスタジオ経営

1973年和光中学校入学 1979年和光高校卒業 武蔵野美術短期大学、米ロードアイランド造形大学等でテキスタイルを学ぶ 1985年ニューヨークで個展 1986年帰国 東レ等で仕事 この間アジア各地で染織の技法と風俗を研究 1989年インドで創作活動、技術指導を始める。 1990年東京五日市、1996年青山に真木テキスタイルスタジオを開設。インターナショナル/テキスタイルデザインコンテスト入選。セントルイス美術館等に所蔵

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