卒業生インタビューvol.40

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和光人インタビューvol.40 白神 優理子さん

インタビュー40回目となる今回は和光高等学校で学び、『平和ゼミナール』を立ち上げて、さまざまな体験戦争体験者の方の声を聞き、日本国憲法を学び、仲間と共に深く考え合ったことが弁護士を目指すきっかけになったという、新進気鋭の弁護士の白神 優理子(しらが ゆりこ)さんにお話をうかがいました。

『日本国憲法は希望!』と力強く語る白神さん。実は『高校生平和ゼミナール』で活動を始めるまでは、憲法には校則のようなイメージを持っていて、法律が大嫌いだったそうです。180度も考えが変わったのはなぜなのでしょうか。その辺にもご注目ください。

今回のインタビューは、『和光高校平和ゼミナール』のサークルの顧問をされていた松山尚寿先生(現 和光中学・高等学校校長)にお願いしました。

松山尚寿先生(以下、聞き手): 今はだいたいいくつくらいの事件を抱えているの?

白神:50件くらいは…。でも普通です。

聞き手: 休みはとれているの?

白神:私が所属している八王子合同事務所の所長は東京過労死弁護団の幹事長をしているくらいなので、所員がブラックな働き方にならないように気をつけてくれています。土曜・日曜に講演会が入った場合は、平日に代休とったりしています。

聞き手:講演活動も結構しているそうだけれど、どのくらいしているの?

白神:もう弁護士事務所に入って丸3年が経って、この1月で4年目を迎えるのですが、3年間で160回くらいの講演をしました。だいたい講演会は土・日が多いんですが、平均すると月に4~5回くらいです。

《最近の近況やら当時の同級生のことで会話が弾みました》

和光高校という選択!

聞き手: 和光は高校からなんだよね?! またなぜ高校からだったの?

白神:私は小学校・中学校と公立学校だったのですが、中学までは暗黒の時代でした。私の母は特に教育ママというわけではなかったのですが、詰め込み教育の学習指導要領や学校教育に疑問を感じていて、「授業についていけなくなったらかわいそうだ」ということで、私と弟を別々の塾に通わせてくれました。

私は小4から塾に通い始めたのですが、そこはたまたまA~F組までと成績によってクラス分けされ、1人ひとりの成績によって座る席順まで決められて、廊下に順位が張り出されるという塾でした。幼馴染の友人の子と同じ塾でしたので、手をつないで「一緒のクラスになれたらいいね」とクラス発表を見に行きました。ところが別のクラスだったんです。それはつまり、成績が違うということを意味するんですよね。幼馴染の子は、その途端に私の手を離してしまい、それからは話しかけてもらうこともほとんどなくなってしまいました。今でも忘れられないでき事です。

白神優理子さん
白神優理子さん

弟のほうは、また私とは違う塾で伸び伸びやっていたようです。私と弟はそれぞれ比べられることもなく、おさがりとかもなく、習字の道具なんかもそれぞれに買ってもらっていました。そういう所は恵まれていましたね。

私は塾では詰め込みされていたので、学校の勉強は簡単だったんですよ。学校では伸び伸びして、最初のうちは先生が「この問題分かる人~」って言われて「は~い!」ってすっごく積極的に手を挙げる子だったんですよ。

そうすると、多数の女の子から「白神さんは先生に媚びている」と無視をされるようになっていったんです。それでも3~4人の仲の良い友達はいましたが…。

聞き手: どこにでもありそうな話だね。でも、それが小4年から中学3年まで続いたってこと?!

白神:そうですね。「こういう中で生きていくしかないんだ」と思っていたので、両親に相談することもありませんでした。

中学校に虐められている子がいたんですよ。知的障がいを持っている子でした。同じ塾で順位が優秀な、同級生の女の子に、「いじめをなくすように、なんとかしないといけないんじゃないかな。」と相談したことがあります。「でも、みんな受験競争でとても疲れているし、すごく追い詰められている。その子もみんなのストレスのはけ口になっているのだから、役に立っているんじゃないか」という返答でした。母がよく話していた「競争教育」というものを痛感する言葉でした。とてもショックでした。

けれど、私自身も「競争教育」から逃げられませんでした。私は、知的障がいのある子に放課後、勉強を教えたりしていました。学校の先生方は、私とその子が同じクラスと班になるようにしていました。

そんな折、同じ班の仲が良い子に「知的障がいの子が班にいると、共同制作の提出物などの評価が下がるんじゃないか…」と相談をされました。結局、二人で担任の先生のところに「成績の評価がどうなるのか、教えてほしい」と質問をしに行ってしまいました。先生からは「そこは考慮して成績を付ける」という返答でしたが、そんなことを心配する自分を、とても醜く感じました。

塾では下のクラスに落ちないように気を使い、学校では担任の先生に「他の人に優しくなりましょう」と通知表に書かれてしまい委縮するようになりました。クラスメイトからは「先生に媚びを売っている」などと言われないように個性を潰して、周りの空気を読んで自分を潰して生きていたんですね。中3の中盤からは学校にあまり行かなくなっていました。「大人が決めた評価の基準に合わせて生きるしかない。空気を読むことすら上手にできない。」当時の私は劣等感の塊でした。

聞き手: 他人に優しくなりましょう…っていうのは、思春期にとってはキツイ言葉だね。具体的には何かあったの?

白神:理科の実験で、他のメンバーの子たちは目立たないように気を付けていて、だれも実験をやろうとしませんでした。仕方がなく、自分で実験を進めました。もちろん、途中で「交代しない?」「誰もやらないの?」と声をかけたのですが。担任の先生からは、その中の一人が「白神さんが勝手に進めちゃうんです」と不満を言っていたとのことでした。でも、その先生からは実際のところはどうだったのか、何も訊ねられることも確かめてもらうこともなかったんです。一方的に通知表に「優しくなりましょう」と書かれたことはとてもショックでしたた。

「空気を読まなきゃ」「嫌われないようにしなきゃ」という恐怖の気持ちでいっぱいになりました。そして自分自身の競争意識も嫌になり、もう私は競争の階段から降りたい…と思うようになりました。
聞き手: ツライ話だね。休んでいた時は実際どんな風に過ごしていたの?

白神: 同じような問題意識で登校拒否している子と話したり、本や漫画を読んだりして紛らわせていました。

そんな折、母親から「実はあなたを小学校から和光に通わせたかったのよね。義務教育の間は公立にしなさい、とお父さんが言うから今まで言わなかったけど。こうなった今はもう義務教育も終わるし、和光でどうかしら?」って言われました。

それで、母親から見せられたパンフレットには、自由とか民主主義とか、個性の尊重っていう風に書いてあって。競争の「競」の字も、受験の「受」の字もない。私はこういうところを求めていたんだなぁって思って、ここまで長くなりましたが、和光高校に来ることになりました。

聞き手: お母さんは市議さん? お父さんは労働運動関係の仕事だったのかな?

白神: そうですそうです。父親は元々、役所の公務員でして、その後自治体職員の組合活動を専門にしました。母親は長年保育師をして、その後12年間市議会議員でした。

「平和ゼミナール」で輝く

聞き手: じゃあ、なんで弁護士に? それはいつ頃からなろうと思ったの? 聞いたことないよな~。きっかけを聞いてみたいんだけど。

白神: 弁護士になろうと思ったのは、確か高校2年の時ですね。それは、さっきの話ともつながるんですけれど、やっぱり中学校までは、『どうせ自分なんて、大人が決めた評価の基準に当てはまるように生きていくしか能がない…』と思っていました。暗記中心の勉強だったので、年表だけ見ていると希望なんて沸いてこなくないですか? どうせ人間って、昔から戦争とか争いごとやっているし、差別しているし、ホロコースト(※1)しているし、最終的には核兵器まで作ってしまって、人間っていうものは醜いんだって思ってました。歴史は、過ちを繰り返すんだと。

どうせ自分には社会を変える力もないし、元々人間の歴史は過ちの繰り返しなんだから、じゃあ、なんで生まれてきたんだろう?! 意味なんてないんじゃないか…ってホントに思ってました。

それが変わったのが、和光高校での授業や、「高校生平和ゼミナール」での平和学習でした。『人間の歴史は前に進んでいる』『声をあげれば社会を変えられる』と、初めて実感できたんです。

(※1)ホロコーストとは、第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺を指す。

聞き手: ここがポイント、キーワードだよね。「高校生平和ゼミナール」って(笑)

「高校生平和ゼミナール」っていうのは、東京から全国の高校生が平和の学習と運動をしようっていう活動のことで、全国各地にあったんだよね。

白神: はい。私たちの代で和光高校の中に「平和ゼミナール」を作って、松山先生に顧問になっていただいて。そこで直接初めてお話することになったんでしたね。

聞き手: なぜかこの代は女の子が多くて10数名いたよね。サークル作ろうとはするんだけれど、サークルで1年間活動するとクラブに昇格できて生徒会から予算がおりてくるのだけれど、それがまた大変だったよね。

サークルを申請するにも中央委員会(各クラス2名の代表)の承認を得なくてはいけない。そこでは、設立の主旨とか、活動の内容をプレゼンしなくてはならなかったんだよね。その苦労についての話をどうぞ(苦笑)

松山校長
松山校長

白神: 最初は思わぬ反対に遭いました。政治団体の下部組織のようなものを作るわけにはいかないって攻撃をされてしまいました…。

「私たちは政治団体とは何の結びつきもなくて、ただ純粋に戦争体験者の声を聞いて、なぜ戦争は起きて、どうしたら平和な社会が作れるのか、ただみんなで体験を聞き、フィールドワークをし、学び話し合っていこうって、そういう場を作りたいだけなのに、なぜそういう風に疑うんですか?」って涙ながらの訴えをして、なんと1名差で可決されたというミラクルでした。

そこでの活動を通して、結論から言うと『社会って変わってきてるんだ! 歴史って前へ進んでいるんだ!』って分かったんですよね。

聞き手: たぶん、教科書には書いてない、その間の学校で扱われていない生きた歴史をそこで学んできたんだよね。実際に見てきたんだよね。

白神:そうなんです。戦争が合法だった時代から違法になったこととか、植民地が昔はあって当たり前だったのが、今はもうまったくなくなっていることとか、被爆者の方が声を上げる中で、核兵器を世界的に禁止にしようと動きが出てきていることとか。

なんと言っても日本国憲法ですよね。日本国憲法は、侵国家権力が国民の声を封じ込めて侵略戦争に邁進していって、そして天皇のために死ぬことが名誉なんだという誤った教育を子ども達に押しつけまくった結果、アジアでは約2,000万の犠牲者を、そして日本でも300万を超える犠牲者を出した、その後悔から今度こそ騙されないんだということで、私たち国民を主役にした、そして国家権力側に『私たちの自由や権利を奪ってはいけない』と命令したということを学びました。日本国憲法が制定されて71年になりました。

私、最初は法律なんて大嫌いだったんですよ。もうそれこそ暗黒の中学生時代を過ごしましたから、校則と同じだと思ってて、きっと私たちをがんじがらめに縛るんだと。子ども達を受験競争に駆り立てて、みんな同じじゃなきゃダメだぞ!って個性を潰すのが、私にとっての校則でした。

それが、ある時、あれっ?! むしろ私たちの自由を保障するために、私たちの自由を奪ってはいけないと国家権力者に命令しているんだ。それがあれだけの戦争の沢山流れた血の上にできたんだっていうことを、初めて高校の平和ゼミナールとか、自分たちで戦争体験者の方に会いに行って話を聞いたり、話し合ったりして実感したことだったんです。

本当は思い出したくもない記憶や体験を、戦争体験者の方は一生懸命に私たち高校生に話してくれました。「私たちは戦争を許した世代。皆さんは違う。皆さんの手には憲法がある。」と。

その生き方に触れて、どうせ歴史は変わらない…なんて諦めていたらいけない。平和な社会をつくるために生きていきたい、この人達の命のバトンを受け取って、実現していく、そういうことがやりたいんだと、自分の生きる目的が生まれたんです。

多くの戦争体験者の方が、お話の最後に「日本国憲法が平和な社会を作る希望なんだ」っていうことを話してくれて、そこで初めて自分で主体的な問題意識が生まれたんですよね。「な~に、日本国憲法が希望ってどういうこと?!」っていうふうに。

白神優理子さん
白神優理子さん

聞き手: そういうタイトルで、白神さんがこの7月に本を書いたんだよな。『日本国憲法は希望』って。

白神: 自分で疑問をもって、現場へ行き、当事者の方と語り合い、自分たちで学習発表をしたりする中で平和と憲法、歴史や人間への理解が深まっていきました。日本国憲法には、本当に人類の英知が詰まっているんだと実感しました。

被爆者や多くの戦争体験者をはじめとした、一人ひとりの力を合わせて、年表には表れない生きた歴史を自分たちでつかみ取っていく中で、それなら自分も渡されたバトンを継いで生きていけば、(歴史に名を残すような偉人になれなくても)きっと次の世代に役に立つ生き方ができるんじゃないかな!って思えるようになって、日本国憲法をさらに本物に高めていって、その素晴らしさを伝える職業に就きたいなぁって思い、将来の夢が3つもできました。

① 社会科の教員になる
② 日本国憲法の中身を実現する弁護士になる
③ 演劇で戦争の残酷さや、歴史が前に進んでいるんだという良い脚本を基に演劇をする俳優になるのも良いなっていう3つで悩んでいました。

そんな時にちょうど、高校2年生の時ですが、被爆者の松谷さんという方が原爆松谷裁判(※2)で自分の病気を被爆によるものだと認めさせる裁判を起こして、勝訴したことを知りました。ちょうど私が平和ゼミナールのカンパを募るために、有明アリーナに4万人が集まる『全国母親大会』で話をさせていただいた時、同じステージで松谷さんが勝訴の報告をしたんです。「私の勝利は被爆者みんなの勝利です」って言っているのを聞いて、一個の裁判が国の制度を変えさせることができるんだって、初めてそこで知ったんですよ。

(※2)原爆松谷裁判とは
長崎で3歳5ヵ月で被爆した 松谷英子さん は、爆風で飛んできた原爆瓦が頭に当たり、頭蓋骨埋没骨折し、脳損傷による半身不随という重い障害をおいました。被爆直後脱毛にも泣かされた松谷さんは「この障がいは原爆のせいだ」と厚生大臣に 原爆症認定 を申請しました。しかし厚生大臣は、「原爆放射線の影響ではない」と却下しました。
原爆松谷裁判はこの却下処分の取り消しを求めて争われているものです。長崎地裁、福岡高裁は、松谷さんを「原爆症と認定せよ」と判決を下しましたが、国は最高裁に上告し、最高裁での審理が続きました。
1998年5月には「原爆松谷裁判ネットワーク」が発足し、最高裁に向けて「松谷英子さんをこれ以上苦しめないで」の声を、当面100万人の署名 に託して届ける運動を強めました。
2000年7月18日、とうとう最高裁は上告を棄却しました。

聞き手: 母親大会といえば、全国母親大会以外でも、広島や長崎の原水禁の大会に行くための資金のカンパを呼びかけに、各地の母親大会で直接訴えたんだったよね。20分くらいノー原稿で、約4,000人を前に堂々と自分の考えを訴えたのは立派だった。

あの時は、まさか(白神さんが)弁護士になるとは思わなかったけれど、その4,000人がワーッと一斉に沸いたものね。もしかしたら、将来政治家になるんじゃないの?(笑)

聞き手: 面談か何かの時に「弁護士になりたい」って言ったことはあるの?

白神:私の中で弁護士になるという気持ちが100%になったのは、全国の法学部の大学を探していた時に、立命館大学のHPを見たら、名誉総長の末川博先生の『法とは何か』という言葉が掲載されていて、その中身にメチャクチャ感動したことですね。

『法の理念は正義であり 法の目的は平和である だが法の実践は、社会悪とたたかう闘争である』

という言葉でした。

聞き手: そうだよなぁ、法が目指しているのはやっぱり平和なんだよなぁ~。っで、立命館大学はHPを見て決めたの?

白神:そうです。これがまさに私が目指している方向だ!って思ったんです。被爆者の方や人権侵害で闘っている沢山の人がいるということを和光高校の授業でも知りましたし、平和ゼミナールでも実際に法廷で闘っている人とも直接会って話を聞いたり、社会に対して「おかしいことはおかしい」と声を上げている方々にもたくさん出会いました。こうして、声をあげている人たちがいるから社会が前に進むのだと、実感できました。そういう人を励ますことができる弁護士になりたいと決意しました。

「今まで自分で見つけてきた生き方だけは手放してはいけないよ」(母の言葉から)

聞き手: 親元を離れて、京都で過ごした(大学の)4年間は楽しかった? 東京と関西の文化っていうだけでもだいぶ違うって聞くけれど。

白神:大学は全体としてはあまり楽しくはなかったです。和光とは正反対。あまり本音で語り合う・ぶつかり合うという文化はなくて、みんな、実際は何を考えているか分からないところがありました。もちろん、私が経験した範囲での話ですが。

和光高校や平和ゼミナールではたとえ意見が違うとしても、お互いを認め合って意見を言い合うという雰囲気がとても楽しかったんです。

一方では、自分が平和ゼミナールや和光高校で身につけてきた議論する力や、自分の考えていることを論証する(文章にして論じる)ってことを楽しくやっていました。自らサークルを立ち上げたり、社研サークルをやったりして、裁判が起きた現場や公害が起きた現場に行くとか、ハンセン病の療養所に行くとかもしてましたね。大学の時、論文を書いて法学部の学部長賞をいただいたりもしました。松山先生にも電話でお話しましたね。

聞き手:司法試験に向けて、スタートしたのはいつ頃だったの?

白神: 大学を卒業してからです。

聞き手: それじゃあ就活もしなかったわけだ。

白神: そうですね。4年時にはほとんど単位は取り終わっていたので、4年生の時から中央大のロー・スクール(※3)受験の準備を始めました。

(※3)ロー・スクールとは、法科大学院(ほうかだいがくいん)のこと。法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とする日本の専門職大学院。修了すると、新司法試験の受験資格と「法務博士(専門職)」の専門職学位が与えられる。アメリカ合衆国のロー・スクールをモデルとした制度である。

聞き手: ロー・スクールの後は順調だった?

白神: いえいえ、とっても大変でした。司法試験というのは、色々な活動と一緒にはできないんです。
私は中2で受験勉強から「さよなら」しているじゃないですか、加えて司法試験制度が変わって、5年以内に3回までしか受けられなくなりました。

1回目の司法試験は、友人らに無理矢理引っ張ってもらって参加した記念受験で、ほとんど最下位です。
合格率は実質2割。うつ病になる人も多い世界です。

ともかく司法試験の勉強中は、平和活動などはダメだよ…と先輩から言われていました。世の中から切り離されちゃったわけです。 広い海の中で伸び伸びと泳いでいたのが、陸の上でピチピチともがいている魚のような感じで息ができず、友達と会うことすらままならない状態でした。

聞き手:「人を蹴落として勝ってやろう!」というのは、もともと嫌いだものね。第2の試練だよね。

白神: 親にも申し訳ないので、居酒屋のバイトをしたりもしました。ある時、母親に「もうダメかもしれない」と泣きながら話した時、母は「いいのよ、弁護士にならなくても。でもね、あなたがこれまで見つけてきた平和な社会をつくるという生き方だけは手放してはいけないよ」と、力強く言ってくれました。

それまで私は、すっかり、高校時代に学んできた和光高校での授業や平和ゼミナールのことを忘れかけていました。

『あなたたちが次の社会をつくる主人公だよ。見守っているよ』

と言ってくれたたくさんの人たちの顔を一気に思い出しました。

『平和・憲法のバトンを私は受け取ったじゃないか』

『平和な社会を創るために、沢山の人達と一緒に作っていく人生がこれから待っているんだ』

と思ったら、急にパーッと世界が開けて来たような気がしたのです。

とにかく1年半、中央大学ロースクールの自習室を使わせてもらって、ゼミにも入れてもらい勉強を続けました。寝る時と食べる時以外は、常に勉強漬けの毎日でした。

聞き手:じゃあ、2回目で受かったのかな。

白神:そうです。司法試験は2回目で合格しました。

未来をつくるプレイヤーは私たち

聞き手: 大変だったんだね…。小中学校が暗黒で、大学時代も楽しくはなかったって。じゃあ、和光高校時代を色に喩えたら何色になるんだろうね?

白神: 敢えて言うなら虹色ですかね。色々なタイプの人がいましたけれど、それぞれに居場所があるというか、輝ける場所があるって感じがしました。

聞き手: あなたの講演はとても具体的で分かりやすいって評判だよね。 実際に和光高校で印象的だったことを教えてください。

白神:今でも私がハッキリ覚えているのは、平和ゼミナールの最初のフィールドワークで、相模総合補給廠に行った時のことです。松山先生が「基地のフェンスって普通は垂直じゃなく折れ曲がっているよね。先端は槍のように尖っているけれど、刑務所のフェンスの場合は矛先が中に向かって立っているよね? 米軍基地ってこっち側に向けて、僕たちのほうに(外に向けて)向いてるけれど、閉じ込められているのは一体どっちなんだろう? こっち側ってことにならない??」って言われたことが、すっごく印象的で、『私当事者なんだ!』と思いましたね。

松山先生や和光の授業というのはそういう問いかけに溢れていて、『自分で考える・自分のこととして考える』そこから出発して主体的に考えるケースがいくつもあったと思うんです。

私は松山先生から刺激を受けました。私の問題だよね?って、自分で問いを作ること。そこから出発した時に、学んだ中で見出した自分の結論は、かけがえのない価値があると思います。

たとえそれがその時に間違っていたとしてもいいんです。話し合う中で軌道修正できたっていう自信にもなります。いったんブレたとしても自信が硬くなる、そういう学びに溢れていました。

和光には、個性を認めて自分の意見を言う土壌があると思います。和光高校は色々な人と考えに出会えるチャンスに溢れている。その自分への自信が、各界で活躍する力になっているのではないでしょうか。

聞き手: 和光高校の良いところばかりではなくて、課題や考えていることについてはどうでしょうか。

白神: 在学中から言っていたことなんですけれど、自由って言うのは英語でいうと2種類あります。
フリーダム(Freedom)…○○からの自由。ともかく束縛されない自由。
リバティー(liberty)…○○への自由。主体的にどんな学校を作りたいのか・どういう社会を作っていきたいのか力を合わせて作り上げていく自由、そういう自由が足りないのではないかと思う時がありました。

学力に自信を持っていないとモノが言えないのではなくて、あなた達はみんなと一緒にやれば、世の中を変える力があるんだよって「歴史は(歴史上に名前の出てこない多数の人たちの力で)前に進んでいる」って、もっと押しつけてもいいから言ってほしかったです。とことん頭を働かして、みんなで結論を見つけていく。そういうみんなで作る楽しさや真理の追究をもっとしていって(形成する場もない現実なので)、「自分の言葉」まで高めていって欲しいと思います。

今後の展望について

聞き手: 今後はどんなことをしたいですか?

白神: 目の前の案件は勿論ですが、講演の内容にもっともっと磨きをかけていって中高生にもわかる言葉で話ができるようになりたいですね。

本当のことをいうと中高生がゆっくりと語り、平和について学ぶことができる「学校」(塾のようなもの)を作ることができればと考えているんです。

聞き手: ますます夢は広がるね。

白神: また、今度ぜひ平和ゼミナールのOBとお食事会でも。

聞き手: そうですね。和光高校でもぜひ語ってもらいたいと思っています。今日は忙しいところわざわざありがとうございました。

白神さんと松山校長
白神さんと松山校長

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プロフィール

白神 優理子(しらが ゆりこ) 弁護士

弁護士。神奈川県海老名市生まれ。和光高校在学中から高校生平和ゼミナールを中心に平和活動に参加。世界の子どもの平和像をつくる会、東京高校生平和のつどいの活動にとりくむなかで弁護士を志す。立命館大学法学部に入学。立命館大学9条の会を立ちあげて活動。中央大学法科大学院で大学院生9条の会に参加。司法修習地は沖縄県那覇市。2013年12月、弁護士登録。八王子合同法律事務所所属。横田基地騒音公害訴訟、原爆症認定訴訟、働く者の権利に関する解雇・賃金不払い・年金請求・過労死事件などを多数担当。憲法・労働法制などの講師活動に多数とりくむ。 おもな著書 弁護士 白神優理子が語る「日本国憲法は希望」―学ぶこと、生きること、平和な未来へ 単行本 – (白神 優理子 著、平和文化/2016) 『18歳からの政治選択』(共著、平和文化/2016年) 『憲法カフェへようこそ』(共著、かもがわ出版/2016年)

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