卒業生インタビューvol.45

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和光人インタビュー

今回の和光人インタビューは、幼~高までの15年間を和光学園で学ばれ、その後、東洋英和女学院大学を経て、現在はトンガ王国大使館で仕事をされている竹下(旧姓:滝沢)ゆめみさんにインタビューしました。 仕事もしながらの子育てということで、2人のお嬢さんのお母さんでもあり、(次女はご主人が自宅で面倒をみていてくださるとのことで)今回は5歳のお嬢さんが同行してくれました。
どのように和光学園在学当時を振り返り、どのようなお考えをお持ちなのでしょう。そのあたりにもご注目ください。

(聞き手…2001年当時高校1-7担任/ 前和光中学・高等学校校長  松山尚寿先生)

聞き手: 久しぶりだね。お子さんも一緒に今日はわざわざ来てもらって嬉しいよ。高校当時の仲間とは、今も会ったりしている?

竹下: お久しぶりです。松山先生とは高校卒業以来ですから、15年ぶりくらいでしょうか? 7組だとアッキーとか馬ちゃん覚えてますか?何人かとはたまに会ったりしてます。叶聡平君は出勤途中に偶然何回か会ったことがあって、和光生も皆頑張ってるんだなと元気をもらったりします。そう考えると色々とつながっていますね。

和光幼稚園・小学校時代は?

聞き手: 早速だけれど、聞くところによると和光は幼稚園からだそうだね。ご両親が和光幼稚園を選ばれたのはどうしてでしょう?何か聞いていらっしゃいますか?

竹下: 実際に和光幼稚園を知ったのは、母が「おもしろい幼稚園がある!」って、どこかから聞きつけて来て、家も世田谷区だったので、そこからですね。

聞き手: 実際に和光幼稚園や小学校はどうだったの?

竹下: 今でも鮮明に憶えているのが、幼稚園では人も乗れる等身大の列車を、小さい体ながら、みんなで材料も運んで、金鎚でトンカントンカン釘を打って作ったことですね。手にマメが出来ても一生懸命に作りあげたのを今も思い出します。

小学校の、担任の先生は1・2年の担任が鎌倉先生、3・4年が國井先生、5・6年が齊藤先生でした。それぞれに強烈な思い出があるのですが、特に思い出深いのが、1・2年の鎌倉先生の時で、当時は『あのね帳』っていっていたと思いますけど、その日の出来事とか先生に伝えたいこととかを書くんですが、先生もキチンとコメントを返してくれるから嬉しくなって、ホントに毎日のように書いていたことを憶えています。 毎日書いていたのは、私ともう一人くらいだったかな。

先程、鎌倉先生がわざわざ送ってくださった当時の学級通信のコピーをいただいたので、今も読み返していたところです。当時のものを全てとっていらっしゃることにも驚きですし愛情を感じますよね。毎日やり取りをしていたので、見て一瞬で「あ、鎌ちゃんの字だ!」と分かりました。

聞き手: (学級通信を見ながら)和光小学校の先生って本当にスゴいね。 いろんな名前がバンバン出てくる…。

竹下: どの先生も一人ひとりとしっかりと向き合ってくれて、厳しくもありましたが今思うとスゴく愛情を注いでもらっていたんだなぁってことを実感します。 1年から6年まで、クラスイチやんちゃな男の子とずっと同じクラスだったんですが、どの先生も決して彼を見捨てずに、全力で叱り正面から向き合い続けていたことが印象的でした。それを見て、周りも単純に「嫌なやつ」というレッテルをはって避けるようなことはしなかったですし、今でも私にとって大事なクラスメートだと思っています。齊藤先生も熱血でしたが大好きな先生です。運動会では、それぞれ優勝を目指して全力でぶつかり合うのですが、小学校最後の6年の時に優勝して、その子と齊藤先生が涙しながら抱き合って喜んだりして…。それを見て私も泣いたのを覚えています(笑)。今考えても感動ものでした。

当時の和光中学・高等学校では?

聞き手: 中学・高校の頃はどうですか? どんなことが印象に残っていますか?

竹下: 中学時代は、どの人も必ずといって良いほど言うだろうと思いますが、館山水泳合宿・秋田学習旅行や演劇祭は鮮明な記憶です。

聞き手: 私がゆめみさんを担任したのは高校1年生の時でしたね。5月ごろだったと思うけど、ホームルームの時間を使ってみんなでバーベキューとかしたの覚えてる?

竹下: 松山先生も結構覚えてるじゃないですか? 私は先生とワイワイって感じの生徒でもなかったので、てっきり忘れてるのかと思いましたけど…。(微笑)

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聞き手: そりゃあ覚えてるさぁ。担任した生徒は本当にどの子もかわいいよ。今思い出したのだけれど、いつもクラスの女子の輪の中に楽しそうにしていた男の子がいたよね。彼は女子にも違和感なく溶け込んでいたよね。そういうことをわざわざ冷やかす男子もいないし、今思えば、多様性の先取りだったと思うよ。そういうクラスの生徒たちを見ていて「いいクラスだな!」って、こちらまで温かい気持ちになったこと、今も大事な思い出のひとつです。

多様性を学ぶところが和光!なのかもしれない。 色々な人間の多様なところをも許容してしまうのが和光ってところなのかもしれないよね。

竹下:そうですよね。制服はないし、髪を染めても良いけれど、自分が選択したことは責任を持ってやっていたし、ここで自分の頭で考えて・決めて・行動する!っていうのが身についた気がします。

聞き手: 世の中に出ると、校則で決まっているからって、(髪の毛を)黒にわざわざ染めて来いって、裁判になる例もあるけれど、そういうの聞いてどう思う?

竹下: 社会に出ると否が応でも自由が待っているわけじゃないですか? 私も高2の時に一時期髪を染めてみたことはあるんです。 和光生ってとりわけ『人間力が強い!』と思うんです。 自分であぁしよう! こうしてみたい!っていう欲求がまずあって、やってみてから、あぁ私には合わないとか、私にはこれが似合うとか感じるんじゃないでしょうか。

「今が一番楽しい!」を積み重ねて

聞き手:その和光の強烈なインパクトがどう今に活きているか…ということなのだけれど、実際どうでしょう、感じることってありますか?

竹下: 私は、幼稚園はそれが普通だと思っていたし、小学校時代は「今が一番楽しい!」って言っていたらしいです。

でも、中学・高校・大学、それぞれの時代で、色々な出来事はあったけれど、いつも「今が一番楽しい!」って母には言っていたようです。

聞き手:そうかそうか、それぞれの時代で楽しんでいたからこそ、アフガニスタン大使館秘書でも、やってみよう!ってなるわけだね。

じゃあ、高2・高3で進路を考える時にはどんなことを考えていたの? その先にどんな仕事をしているかって考えていたのかな?

竹下: いや、考えてなかったと思います。そもそも親が旅行好きで、就活の時期も、「アラスカに行くけど、どう?!」みたいな感じでした。

英語ってコミュニケーションのツール。 伝える・伝わるってどういうこと?!

聞き手: 海外にはよく出かけるの? お父さんって何をされている方? 今までに行った国ってどんな所がありますか?

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竹下: 父は航空会社勤務でした。 良い時代だったのかもしれませんね。
行った国の中では私はチベットが一番好きで、モンゴル、南アフリカ、スリランカ、タイ、ドイツ、チェコ、ミャンマー、ラオス、フランス…とかに行きました。 私が大学生になると、旅行会社のすでに行程が組まれているような普通のツアーではなくて、ここに行きたいとか、ここを入れてほしい…とか要望して自分で行程を決めていくようなコアな旅行に行ってましたね。
中でも、南アフリカは、白人と黒人が共存していて面白い国だなぁっていうのはありました。

聞き手: アパルトヘイトの最中、いやその後くらい?? どっちにしても1990年以降の話だよね…。

竹下: はい、アパルトヘイトは終わっていましたが白人居住区と黒人居住区があって、その時の名残はありましたね。南アフリカにはまた行きたいと考えていたので、大学3年の時には(南アフリカに)思いきって1ヶ月間の短期留学をしました。

聞き手: 結構、旅行には行っているけれど、それ以外に何か思い当たることはある?
竹下: 渋谷にあったアップリンクとか、ミニシアターで上演されるような映画は父の影響で良く観に行っていましたね。

聞き手: 例えば、いくつか例を挙げるとしたらどんな映画なのかな?

竹下: 「アンネの日記」とか「戦場のピアニスト」「アフガン零年」 とかですかね。

聞き手: それで何かしら海外の国や文化と関わっていたいと考えたんだね。

竹下: そうかもしれません。大学卒業後に英会話スクールで受付のスタッフとして働いていたんですが、そこの外国人講師から、「友人がアフガニスタン大使館で働いていて、そこでポジションを探しているから興味があったらどう?」と勧められて、軽い気持ちで受けてみたら、受かったっていう感じです。まったく英語も勉強も出来なかったので、間違って採用されたのではないか?と、今でも思っています(笑)何しろ、当初は「Embassy(大使館の意味)で仕事がある」って言われても、そのEmbassyすら分かっていませんでしたから。

聞き手: それがアフガニスタン大使秘書⁉ よくそこまで思いきったもんだね…。

竹下: そもそも、ここに飛び込めたのは和光生として育っていたから怖いモノなしだったかもしれません。ここを乗り越えたら、きっと楽しいことが待っているのかもって思ってました。

聞き手: 実際にツライことってなかったの?

竹下: ありました、ありました。言葉が通じてないってことも結構あって、優秀な日本人スタッフに助けてもらいました。 たぶん、あいつじゃダメだって言われていたかもしれないです(苦笑)
そんな時に、アフガニスタン人の女性の外交官に「英語ってツールなんだから、そんなに悩まなくて良いよ。コミュニケーションするつもりで、前面に出してやっていけば良いよ」って言われて、だいぶ救われたことがありました。

聞き手: そうだよね~。英語って、言葉だけではないじゃない…。表情だったり仕草だったり、またイントネーションで、相手の懐の中にスーッと入っていくようなところを和光の卒業生は持っているんじゃないかな?

竹下: そうですね。人に興味があるっていうのか、関心がある…っていうのは、何となく相手にも伝わったのかもしれません。

 

前職アフガニスタン大使館の様子を振り返る

聞き手: アフガニスタン大使館秘書(前職)だった時の、アフガンの印象はどんな感じだったの?

竹下: アフガニスタンはご存知のとおり、イスラム教の国で、1日5回メッカに向かってお祈りをします。外交官も仕事とお祈りとどっちが大事なの?ってくらい、熱心にモスクへ行ってお祈りをしていました。ラマダンの期間は勤務時間も短くなります。

平和という面で言えば、アフガニスタンは日本のように「平和で安定した国」とは対極であると言えるかもしれません。

小学校の平和学習を通して、戦争がどういうものか知っていたので、テロや戦争が日常にある中で暮らしている人々がいるという現状にやるせない気持ちでいっぱいでした。
最初は一生懸命にお祈りをする外交官を見て、「何でこんな忙しい時にお祈りしてるの?」なんて思ったりすることもありましたが、神に祈ることしか方法がないという気持ちになるもなるのかもしれない、国の状況や文化が全く違う私が文句を言うべきではないという思いが出てきたりして。先日亡くなられた中村医師もお会いしたことがあったので、報道を聞いて本当に驚きました。アフガニスタンの平和を願い、自立していくために尽力されていましたので大変残念です。

私は、1人目の出産を機にアフガニスタン大使館を退職したのですが、今は政府が崩壊してしまったので、もし、まだアフガニスタン大使館で働いていたら、かなりの影響を受けていただろうと思います。

聞き手: それで、現在勤務しているトンガ王国大使館とは、これまたどういう繋がりなの?

竹下: アフガニスタン大使館に勤務している時に、他の大使館でポジションを探しているという話がありました。大使館に興味がある友人がいたので紹介したら、見事にその友人が採用されました。

その大使館に勤務する友人から、ちょうど(私の)子どもが1歳になったタイミングで、トンガ王国大使館で人を探しているからどう?と連絡があり、それから今に至る感じです。

トンガ王国も現在5年目になります。 とにかく人の繋がりで私は現在に至っているという感じです。

現職のトンガ王国大使館では…。

聞き手: 大使館職員の主な仕事って、どんな感じなのですか?

竹下: 大使館の役割は多岐に渡るのですが、主にパスポートや各種証明書の手続きを行う領事の業務から、日本とその国の文化交流の促進、政治、経済、そして日本に関する情報を随時本国へ報告するなどがあります。その際、大使を含めた外交官がスムーズに動けるようアシストするのがローカルスタッフと呼ばれる現地職員の仕事になります。事務仕事が多いのですが、翻訳、通訳を含め外交官のプライベートから公式行事の際はその準備など業務は様々です。今の大使館は人数が少ないので大使含め、皆がマルチプレーヤーという感じです。

聞き手: このコロナ禍で大変なことってありますか?

竹下: 日本国内に留まっているトンガ人はそれほど多くないのですが、国境が封鎖されているので、帰国するためには本国から帰国便に乗るための承認を得ないといけません。ですので彼らが無事に帰国できるよう本国との間でやり取りをしているのですが、コロナの状況が良くならないので中々スムーズに進まなかったりします。

聞き手: トンガ王国大使館(現在)の面白いところってどういうところ?

竹下: トンガは南の島で、とてものんびりしています。体が大きいので日本でも活躍しているラグビー選手が多いですね。ポリネシア人は人類最強と言われることもあるくらいで、2人エレベーターに乗ると、「ピーピービーッ」と(重量オーバーの)警告音が鳴るような感じです。

平和を脅かされるという危機感は日本と同じようにあまりないでしょうね。

同じ今を生きていても、生まれた国や環境によって、全く違う今を生きているわけですね。

大使館で働いていると、歴史的な行事にも関われたりします。即位の礼の時には、国王と王女が来日しました。当日はニュースなどでよく見る各国のトップが即位の礼に出席するため順々にレッドカーペットを歩いてホテルのロビーを出て行く姿が圧巻でした。

こういう場に居られるのも、和光で私がやってきたからこそなのかなぁと不思議な気持ちになりました。

聞き手: アフガニスタン大使館とトンガ王国大使館って、あまりに対象的な二つの国だけれど、職場の上下関係みたいなのはあるのかな?

竹下: 大使がこう!と言ったら、こう!というのはありますけれど、こちらからの意見やアドバイスも積極的に受け入れてもらえます。英語にはあまり敬語がないので、上司であろうとフランクに話せるところは良いですね。

聞き手: そこは和光のフランクなところと似ているかもしれないね。学年が違っても気軽に話せるし、変な上下関係もない。教師と生徒も非常に距離が近いっていうのも和光の特徴みたいなところだけれど、ここで得た自由が卒業後に活きてくるという典型例だと思うよ。日本の企業にありがちな飲み会とかもないの?

竹下: ないですね。そもそもそんな上下関係はないです。 そこが問題ではないですね。

聞き手: 最近の若い人はよくSNSをするって聞くけれど、そういうのはするの?

竹下: SNSは…。最近はほとんどしなくなりましたね。SNSって人によって受け取り方が様々ですし、取り立てて人に見せようと思わなくなりました。子どもが生まれてからは特にですね。

1人目が生まれた時は、仕事しながら子育ては無理だなぁと思って、一時は専業主婦になったんですけれど、1年もすると、母そして妻である自分ばかりになっていることに悶々とし始めて。また仕事もしたいなぁと思ってたところに、新たなご縁をいただいて現在のトンガ王国大使館で仕事をするようになりました。仕事をしている自分、母である自分、友達と楽しく過ごす自分など、色々な自分を持って生きること、そして自分が主体でいることを選んだことは良かったなぁと思っています。子どもに母にしてもらったのだと思います。

聞き手: ご主人は協力してくれるのかな?

竹下: (協力)してくれますね。

聞き手: それは理解あるご家族に感謝だね。

和光学園に言いたいこと!

聞き手: じゃあ、定番の和光に言いたいこと!って、何かありますか?

竹下: 本当はもっと近ければ(現在、千葉県船橋市在住)娘も入れたいところですが、それも遠くて適わないので、せめても私がそのエッセンスを注入したいと思っています。
色々な芽(子ども・生徒・学生の可能性)を摘まない・排除しないというところはこれからも大事にしていってほしいですし、先生も一緒になってやってくれるというのは大変なことでしょうけれど、これからも続けていってもらいたいと思います。

色々な批判は受けるだろうけれど、和光は和光のままであってほしいし、あり続けてほしいと思います。

私は、本当に和光で作られた人です。幼稚園~高校まで、和光学園に通えて良かったと思っています。

つながりを大切に!!

聞き手: それでは、色紙に一筆お願いします。

45-03竹下: Treasure the bonds with others (つながりを大切に!!)
私自身は運だけで生きてきたような人なので、母には、「運も実力のうちよ!」って言われましたが、こういう目に見えないつながりもまた、ひとつの運なのだろうと思います。

聞き手: 今日はわざわざ遠くからありがとう! 同窓会のようで楽しかったなぁ。

竹下: こちらこそ良い振りかえりの時間を与えていただき、ありがとうございました。 久しぶりに当時と変わらない松山先生にお会いできてうれしかったです!

聞き手の松山先生より(感想)

高校1年生だったゆめみさんを担任したのは20年も前のことですが、インタビューの最中、全く時間差を感じることなく当時にタイムスリップしました。特に印象に残ったのは「仕事をしている自分、母である自分、友達と楽しく過ごす自分など、色々な自分を持って生きること、そして自分が主体でいることを選んだことは良かったなぁと思っています。」という彼女の言葉です。この言葉は高齢者の仲間入りをした今の私にとても勇気を与えてくれるものでした。ゆめみさん、ありがとう。今後も素敵な人生を楽しんでください。

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プロフィール

竹下ゆめみ (旧姓:滝沢) トンガ王国大使館勤務

和光幼稚園・小学校・中学校・高等学校と和光学園に通う 東洋英和女学院大学の国際社会学部卒業 2008年~大手英会話スクール入社 その後、2011年~2016年まで駐日アフガニスタン大使秘書として勤務 第一子出産を機に退職 2017年~現在、トンガ王国大使館勤務

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