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和光小学校 お知らせ

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1,和光小学校公式Twitter
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2,和光学園公式Instagram
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3,和光小学校入試新着情報LINE@
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4,和光学園公式YouTubeチャンネル「wakoTV」
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6,和光学園公式Twitter
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工作技術科 五寸釘のナイフ作り

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6年生が、工作技術の授業で、「五寸釘から作るナイフ」づくりに取り組んでいます。

最初はこのような形の五寸釘です。

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それを七論に入れて、熱し、叩きます。

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その繰り返し。

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段々と平たくなり、ナイフの形になっていきます。

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作業は大変でしたが、ここまでいきました。

この後、削ったり、研いだりする工程を経て、ナイフにしていきます。完成が楽しみです。

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3年生 大蔵大根を抜きました!

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3年生が、地域の農家の方の畑で大蔵大根を抜かせてもらいました。

大蔵大根とは、昔からこの地で作られてきた大根です。大切に守り、育てられてきた農家の方のお話も聞かせてもらいます。

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下の方まで太く、特徴的な形をしています。

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力を入れて抜かなくてはなりません。一人ひとり抜かせてもらいました。

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抜けた時の喜びは大きいです。

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とても重たい大根ですが、がんばって学校まで運び、その後は、自宅に持ち帰りました。

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住宅街の中にこのような畑があることも驚きますが、さらにそこで大蔵大根が作られていることにも驚きます。社会科で「地域たんけん」をするからこそ学べることと、体験。学習はまだまだ続きます。

「ことばを育てる」その2 ~2022年度和光学園報特別号 座談会より~

和光小学校 校園長ブログ
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この秋発行の和光学園報特別号では、「ことばを育てる」と題して4月から理事長に就任された小森陽一先生と和光鶴川小学校の橋本先生、和光高校の畠中先生の座談会を企画しました。

7月末に行った座談会は、鶴小と高校の授業にとどまらない“ことば”と向き合う実践、さらには小学校の美術教育や幼稚園のげき作りにも拡がり、あっという間に2時間あまりの時間が過ぎていきました。

学園報は紙幅の関係で前半、それも大きく割愛した内容しか掲載することができませんでしたので、このブログで紹介させて頂きます。

 

今回は、和光高校国語科の畠中先生による、2020年度の実践です。

 

 

 

【和光学園報 座談会 ことばを育てる】  2022年7月26日

◎出席者:小森陽一理事長・ 畠中由美子先生(高校)・橋本紗弥先生(鶴小)

◎司会者:北山ひと美(和光小幼校園長)

 

 

休校中に書いた日記を読みあう

司会(北山)それでは、ぐっと年齢が上がりますが、畠中先生の高校の実践をお願いします。

 

畠中先生)はい。同じ1年生でも高校1年生のコロナ休校期間の課題のお話をしたいと思います。色々な授業や経験を経て、高校1年生に入ってきますが、それまでにくぐってきた国語の経験が本当に様々です。

和光で育ち、「お互いのことばを大事にしながら、育てていくのが国語だよ」っていうような授業の経験を積んできている子もいれば、高校は6割、和光ではないところから進学してきますので、例えば、漢字がとにかくひたすら苦手で、「自分は漢字が出来ないから国語が出来ないんだ」というように思っている人や、「いつも正解ってされてるものに納得がいかなくて国語が嫌いだ」って思っている人などいろいろな人が入ってきます。

私は、1年生には教室の中で、お互いのことばに耳を澄まし、それに応答していくという集団に育ってほしいし、それが高校の授業だということを分かってほしいと思っているので、何で授業を開くかは、緊張して、結構考えて毎年変えているところです。

2年前は、その大事な時期が休校期間で、課題を郵送するというようなことになりました。そうであっても、世の中では、授業の遅れや学習の遅れを起こさないようにというようなことを結構煽るような感じもありました。

同じ学年を持つ先生や国語科5人の教員で考え、休校で会えないからと言って、ドリルみたいなことを送るのは、和光の国語科としては、ちょっと違ってしまうメッセージになる、いつ休校が明けるか分からないけれど、そこで出会うときに、記号で選ぶとか、漢字で〇×つけられるのが国語だよね、とは受け取ってほしくないなぁ、顔を見て過ごすことができないけれども、そういう中でどういう課題を出すのがいいかなと考えました。

教科書の中から自分が感じたことばを拾ってきて、それにコメントを付けてもらう、あるいは、毎日家にいる生活の中で、メディアにはすごく刺激的なコロナのニュースが日々流れていて、どんなことを思っているかということを書き綴るとしました。

<日本が真珠湾攻撃をした日に、太宰治が『十二月八日』という小説を書いたり、坂口安吾が『真珠』を書いたりしましたが、あなたたちもそういう歴史的瞬間にいるんですよ>というようなことを謳って、日記を書いてもらおうということに。ただ、どんな人たちがどんな生活を送っているかということはわからないので、そんなにハードルを高くせず書いてもらうとしました。

やっと6月に休校期間が明けたとき、ノートに綴ってもらったものを見ました。2ヶ月で4つ課題を出したうちの、日記はその1つでした。その課題のどれを使って授業開きをしていこうか考えたとき、自分の生活やニュースをどういう風に感じたかや、日常の公園で見た子どもの姿だったり、あるいは自分の家族の心配だったり、日記が思いの外すごく濃かったのです。

これは私が読んで終わるっていうのはとても勿体無いし、また学校がいつ閉じてしまうかわからない、でも、せっかく学校が開いたんだから、対面で出来ることって言ったら、やっぱり高校生に話してもらいたいし、この日記もお互いに読み合ってもらいたいと思いました。

ただ、普段だったら、「読み合うことを前提に書いてくださいね」と趣旨は説明して入るのですが、休校期間中の課題で、<一義的には自分のために、二義的には担当者が読みますよ>という条件で出したものだったので、日記を他人に読まれていいかどうかというところは、ちょっと緊張しました。それぞれのクラスの生徒に、「あなたたちの休校期間中の生活が見えるようなことだけれども、お互いが、同じ時代で同じ事柄を経験している中で、出してることばを読み合ってお互いに知り合ってほしいし、同じ事柄についても、考えていることは違うので、読みあいたい」と伝え、この日記を印刷して、皆で読み合っていいかどうかを聞きました。そうしたら、意外とすんなり「いいですよ」ってうなずいてくれました。

お互いのことを知りたい気持ちもあったと思うんですよね。自分のを読まれたいということよりも、お互いに読み合いたいということもあったのかなと思います。普段私も、授業の中で、書くものを打ち直して出すときと、直筆を出すときがあるのですが、日記は、この字で、この書き方で、絵なんかを入れてくれる人もいて、これは私も直筆で早く読みたいと思っていたし、クラスの人にも、これはもう、生原稿で印刷して読んでもらいたいと思ったので、そのままコピーして配っていきました。

1回の授業で、B4のプリントで裏表2枚分ぐらいです。人によっては、4月に書いた日記を、6月の自分が語るまで、そのときと違っていることもあるでしょうし、自分が振り返って4月の生活を語るっていうようなところもある。その日記を使って、休校期間中の自分について話してくださいというような進め方をして、お話をしてもらいました。

とにかく喋ってもらうことがテーマだったので、どんどんどんどん横の人に、それについて感想とか、自分はその生活どうだったか。例えば、「休校期間中に、お昼ご飯をおじいちゃんの家に作りに行ってました」と話してくれる人がいたときに、その感想を聞いたりして。「自分はいつもお母さんに作ってもらってて、そんな中で料理するなんて発想は無かったからすごいなぁ」とか、そんな感想を、次々話してもらいました。

お互いに、思いの外、一人が語ったことに対して、返ってくる言葉が柔らかくて。「感心したなぁ」とか、あるいは、休校開けでまだ知り合って間もないところなので、そんなに質問をバシバシしていくっていうことではなく、例えば、「ご兄弟とはお昼一緒に食べなかったの?」というような質問を私が投げかけたりしましたが、みんなすごく集中してお互い聞いてくれる感じがありました。

日記の中で語られていることを、お互いに意見を交わすとしたら、どんなことが論点になるかなと考え、例えば、生の言葉で、「『有名でお洒落なパンケーキ屋さんがオープンしたので、それを食べに行きました』みたいなのをインスタに上げてる人がいて、この時期にそんなパンケーキ食べに行くなんて頭がおかしいと思った」と書いている人がいたのを、多分見方が分かれるだろうなと思い、それについてどう思うかを、クラスの人に聞きました。

そうすると、「インスタにそういうのを上げて、確かに、こんなに皆が『自粛しなきゃいけないよ』とか『医療がひっ迫』とか言ってるのに、そんなことで自分の楽しみのために並んでる人は許せないと思いました」という人もいれば、「他人がそういうのを上げていて、そういうふうに思うんだ~。全然気にしてなかった」というような人もいたり、「自分はあんまり思わないけど、自分がインスタに上げるときは、『遊んでる』って思われないように、自分は上げる立場で気を付けてます」とか言ったり。でも、ある人は、「パン屋さんが潰れちゃったら嫌だって思って、買い支える」みたいなことで、「自分の楽しみのためにとかじゃないけど、皆が行かなくなっちゃったらお店が潰れちゃうから、そんなふうにして買ってるパン屋さんがある」っていう意見があり、「そんな視点もあるのか」という気づきもありました。

「立場が変わるとモノの見方が変わったりする。同じ社会にいても、あるね」と。子どもが、公園でマスクして遊んでたりするのも、「『親、側にいるのに何してるの?』って本当正直イライラする」っていう人もいれば、「あんな小さい子どもがマスクしなきゃいけないなんて可哀想、心配」って思う人もいて。それは素直な、今だから言える感情というか、どういう人に見られるかじゃなく、素直な感情でそういうやり取りがありました。

日記の中では、ナーバスな言葉になり、「自分が感染させてしまうかもしれない」というリスクのところを語るとき、「『自分はいつでも殺人鬼になりかねない』っていうふうに思った」ということを鋭く書いてきます。その後の授業で結構内省的だとわかってくるのですが、そういうのはわかる人と、この時点では「殺人鬼?」っていう、高校生でもよく分からない人がいたりします。でも、まだ関係性も無いので、そういうところは深掘りするのはやめようと思い、紹介して終わって、そこはお話をするという俎上には載せないでというように扱い方を考えながらやりました。

6クラスそれぞれで話題になることはだいぶ違いましたが、一生懸命やってくれました。

 

司会(北山)読むのは、ハーフクラスの全体、20人の前で読んで、聞いてた人たちが色々感想を言い合うということですか?

 

畠中先生)はい。そういうことです。

 

小森理事長)本人が読むの?

 

畠中先生)はい。文字は皆の手元にあるので、これを使って自分の生活を語るということで、日記をそのまま読んだ人もいれば、自分の生活を語ってくれた人もいました。

 

司会(北山)休校期間中に日記を書き、明けたところで皆に聞いてもらう。先ほど畠中先生がおっしゃっていたように、高校生で初めて会う人たちで、しかも自分の生活を書いたものを、読み合うことを前提ではなく書いたものを「いいよ」って言ったのは、私もちょっとびっくりしました。「えっ?そうだとしたら初めに言っといてよ」っていうのはあったと思いますが、「いいよ」っていうことは、どのクラスでもそうだったんですか?

 

畠中先生)そうですね。もう少し何か聞いてくる子とか、よくあるのは「名前伏せられませんか?」とかあるんじゃないかしらと思ったんですが、でも名前を伏せてはこれは意味が無いので、もし「伏せてください」っていう人がいたら、それは除こうと思っていたのですがそれも無かったんですね。

 

司会(北山)じゃあ、もうほぼ皆、自分の日記を紹介していくということが、休校が明けたところで行われたということなんですね。

 

畠中先生)はい。

 

橋本先生)高校1年生がコロナの中で悶々とする生活が続き、ある意味、出会ってないけど共通の体験をしていて、しかも、一つの行動やニュースでも、何が正解か不正解かもわからないような日々だったと思うから、だからこそ、共感的に「わかるなぁ、その思い」っていう人もいれば、「違う見方もあるんだな」みたいな発見もあって、感想も言いやすかったり、自分の思いが書きやすいっていうのもあったのかなと思いました。だからこそ、初めて会う人だけど、何か意見をして、別にそれが喧嘩になるとかじゃなく、語り合いやすかったのかなって思いました。

 

畠中先生)あるクラスでは「お父さんが家事するようになって良かったです」という話をすると、「本当?」とか(笑)「そうだね、そうだね」とか言い、そういう生活がすごく出てきました。でも、そういう生活実感みたいなことって大事にしていきたいところです。

 

小森理事長)コロナ渦で共通の体験をし、しかも、始まって以来出会えてないわけだから、自ら直筆で書いた手書きの日記が、思いを綴った文章が、そのままコピーされてね、クラスで共有されるっていう、まずそういうことを国語の授業として目論んだっていうことが決定的に重要ですよね。

こういうとき、人間ってものすごく訳の分からない不安な状況に落とされてるわけだから、それは、日常的な人間関係の中で言葉を交わしたりするだけでは認識できないので、そこを日記にそれぞれが綴り、今日体験したことを言語化しなきゃいけない。多分それは、今までの小中学校の夏休みの絵日記とかそういうことではない。すごくざわざわする、何がどうなるか分からない状況の中で、しかも今までの日常が、それこそお父さんが料理を作ったりとかも、日常が崩れて「えーっ?」というようなことになったり。そういう驚きを、課題を与えたことによって生徒たちが綴って、この瞬間に、そういう意味では国語のこの課題に救われたと思うんですよ。つまり『自己対象化』。言語化することによって、「あぁー、どうしよう」みたいな、下手すればパニックになるところを、「親父、料理作ってんじゃん」みたいな(笑)、引いた位置による精神的な安定みたいなね。高校生たちの日記の文章、いやなかなか皆面白いですよね。目の付け所というか、「高校生の日常生活、そこ注目するか?」みたいな。でもそれは、文字通りコロナ禍で非日常になっちゃったからね、日常が。だから、当たり前だと思ってた日常が非日常化したところで、「ことばにしてみて」っていう課題が出ただけに、ちゃんと自分が持ってることばで、コロナ禍の異常事態に向かい合うことが出来た」という実感が共有されてたんじゃないかと。それで、「読んでもいいよ」っていうことに。普通イヤですよね。とりわけ、高校ぐらいは「ちょっと先生、秘密に出したんだよ」って言いたくなるところ。でも、「皆どうだったのかな?」。それもやっぱり自分が対象化される実践だったから、「これは共有してもいいのかも」って。

体験をことばで表現するっていうことを教えるのが国語科の一つの役割なんだけど、そのことが持つこの非常事態の中における、ある種の個別の一人ひとりの生徒たちの魂の救いにもなるし、クラスで共有することによって、バラバラだった今まで会ってなかったクラスの社会的な集団性みたいなものも、相互のことばによって形成することにもなった。そのことでお互いに分かり合えてるわけですよね。「この子、こうなんだ」、「そこ、そう言うんだ」みたいな。だから、実際の日記表現をバラしちゃったっていうあたりが、中学校までは無かった、和光高校に入学したから有り得た人と人との知り合い方。それは、国語の授業としてはとっても重要な実践だったんじゃないかなって、今の話聞いてて思いました。先生としても楽しかったでしょ?それ。

 

畠中先生)楽しかったです。

 

一同)(笑)

 

小森理事長)羨ましいな~。その場にいたかったな~(笑)

 

畠中先生)なので、読んでて「これ私一人じゃ勿体無い、これは皆で読みたい」と思いました。

 

「自己対象化」するということ

司会(北山)小森先生、橋本先生のときも畠中先生のときも『自己対象化』という言葉を使っていらっしゃいますが、『ことばを育てる』というときの、自己を対象化するということの意味、どの年齢においてもそれがとても大事なんだろうと思うんですけど、もう少し説明をしていただけるでしょうか。(笑)

 

小森理事長)それは、いきなり哲学の分野に踏み込むことになってしまうわけですが(笑)、要するに、人間の意識って、自分の体が置かれてる状況の中で、一つ一つやっていかなきゃいけないわけですよね。そのときには、例えば今、北山先生からこの問いを受けて、「そんなこと言われたって困るじゃないかよ。そんなの考えてないし。口走っちゃっただけだよ。何でそういう難しいこと聞くんだよ」

 

一同)(笑)

 

小森理事長)とかって思ってる私は『即時』なんですよ。それが、今そう聞かれて追い詰められちゃって、「えぇ?そこでそれを聞くか?!」みたいなね。だけど、今日企画された対談の中でこういう話が出て、「じゃあここで今私が何を話すことが求められているのだろうか?この座談会では」という風に、イラっと来た気持ちを、

 

一同)(笑)

 

小森理事長)落ちつけて(笑)、ここで「小森陽一、そういう役割をちゃんと果たさなきゃいけないんだぞ」っていうところに立てるかどうかが『対峙』なんですよ。人間は基本的に即時的に生きてるわけですね。自分中心に。だから一人であれば「早くビール飲みたい」「家帰ってビール飲もう」というふうになるでしょ?だけど、とりあえずここで、残りの55分間、どういう役割を果たさなきゃいけないか、社会的にと言うと大袈裟だけど(笑)、「今この4人で座談会をしてる中で自分に求められていることは何だろう?そして、先ほどの『即時』と『対峙』という哲学的なことを言ってしまったことに対する、今の北山先生の突っ込みはどういう意図があるのだろう?」、

 

一同)(笑)

 

小森理事長)その他を並べて考えてみて、「じゃあ、お前何言う?」っていう風に考えていくのが『対峙』なんですよ。

 

司会(北山)なるほど。すごくよくわかりました。

 

橋本先生)(笑)

 

畠中先生)それで言うと、この日記を読んでコメントしてくれる人たちのことばは、その1.5ぐらいだったのかなって、今聞いて思いましたね。

 

小森理事長)そうそうそう。明らかに、日記をつけた瞬間に、その子自身、対峙化してるわけでしょ?だけど、それを読まれることで2段階目の対峙化が起きてる。そして、友人たちの感想が出てくることで、一気に4段階5段階の対峙化が出来て、つまり「自分って何?」っていうのがクラスの中で見事に分かり合える関係として社会化されたわけですよ。それはね、きっと「このクラスに来て良かったな」って思えるわけでしょ?そうすると、自分が所属してる社会集団の中で「自分の役割はこうだ」と。これはまさに、『即時』から『対峙』への、つまり人間の社会化のプロセスですよね。それが、この日記を読み合うことの中で、様々な形で、恐らく生徒たちの間で行われていったんだろうと思うのです。

「日記を読み合う授業を受けて、思い出してどうだった?」っていうのを、夏休み明けに聞いてみるのも面白いかも。更に対峙化が進んでいく気がする。そこは、国語っていう授業のすごく大事なところです。

 

畠中先生)いつも1学期にスピーチを3分でやってもらうんですけど、この年は6月からだったんで、10月にやりました。生徒はけっこうハードルが下がったというか、これで読み合ったり知り合ったり見合っていたので。例えばこの日記を読み合ったときに、「スケボーを毎日すごく楽しんでました」と、一応皆自宅待機中なので、「学校に苦情来ないですか?」とか(笑)、そんな質問もあったり、「そういうの得意なんですか?」とか、初めて会った人もいる中で、全然表情を動かさずに、「本当にそんな呑気な生活で羨ましいと思いました。うちは母と妹がいて、すごい緊張感で、自分が遊ぶなんて考えもしませんでした」というのもありました。コメントの中ではすごく異色だったんですが、きっと多分、そこに彼女の生活があったんだろうなっていうのは皆察しました。だからスケートボードを毎日やってたっていう子も、「ちょっとそういうのも考えないと、同じ高校生なのに、そんなに緊張して生活してる人もいて偉いですね。自分はちょっと呑気に過ごしちゃいました」とか返してたんですが、秋になって、別の子がスピーチをしてたときの感想に、(感想もお互い印刷して配り、読まれることを分かっていて)実はその顔色一つ変えずにいた子が、「自分の家は親に障害があってすごく大変だったので」と書きました。お話しした子も、「家族が聴覚障害で、音楽をやることについてなかなか理解してもらうのに時間がかかって」というのを感想に書いていたりします。そのときに繋がって、この段階ではもちろん語れなかったけれど、秋ぐらいになったら少し開いて、「話しても良いかな」と変化したんだなぁということがありましたね。

 

小森理事長)今の話は本当は知られたくないマイナスの家族の在り方でしょう?でも、そういうやり取りをきっかけに、クラスの中で共有するものとして言語化できたってことは、そのやり取りの中ですごい信頼関係が作られたが故の言語化ですよね。それで、恐らく、そう書いた子たちは、書くことによって救われてると思うのですよ。自分の中で抱え込んできてしまったことを、このクラスのみんなには言っていいんだなっていうね。クラスの中の、お互いにことばを交わしていく信頼関係が作り出された実践になったということなんですよね。それはすごく大きいことだと思う。

 

畠中先生)聞き手がすごいなと思いました。この日記を「いいよ」って言ってくれて、書いたものも魅力的だし、もちろん発表も話も面白いんだけど、聞いてもらい、コメントを最初にもらってドキドキして、感想を言ってもらったけど、どんなのが出てくるかなって、生徒のことを私も知らないでやっているので。でも、共通体験があるからなのか、即時の反応で「すごいなぁ」っていう感想と、その人と会えなかった生活に思いを馳せるっていうことが行き交う感想だったので、「あ、やって良かったな」と思いました。聞き手がすごかったですね。

 

小森先生)さっきの北山先生の質問、つまり即時と対峙っていう、自己の在り方に対する意識の違いなのですが、その二項対立の中に、ちゃんと即時から離れて対峙になれたときに、他者の思いとか、つまり自分じゃない他者の在りようが理解できたり、共感できたり、想像力を伸ばしたりすることができるわけですよね。

この三角関係が作られるかどうかっていうのが、社会的な生き物としての、人間の大事な生命線。そこをことばが担っているわけで、そこを教育するのが国語の授業なんですが、すごいじゃないですか。

 

司会(北山)すごいですね。

 

小森理事長)だってクラスが成長するんだもん。今の話聞くと。で、皆がそれを認め合ってる。

 

司会(北山)「ことばがそういう役割を担っている」という小森先生のことばが、私は今すごくストンと落ちました。自分でも、国語の授業やこのような発表などをやり、お互い響き合って面白いなっていうところはありましたが、そういう形で、きちんと自分自身でまとめたことがなかったので、恥ずかしながら。そういうことですね。なるほど。

 

小森理事長)だから、作文を書くプロセスの中で、自分をどう表現するのかで即時から対峙へ行って、それを読んでもらった周りの友達の感想を聞くことによって、更に人からどう見られるのかという、即時から出発した対峙じゃなく、他者から出発した対峙になり、それは自分を見直すことになる。それが、ことばを操る生き物としての、社会的な人間としての在り方なんですが、それが、実に見事に時間的な経緯を含めて、授業の中で実現してるなと私は思ったわけです。

 

司会(北山)今のおことばで、全てよく分かりました。お二人の実践の価値が、「あ、そこなんだな」と。小学校1年生の子どもたち自身が、作って聞いてもらうのも嬉しいし、次は友達のを「何て言うのかな?」と思って聞こうとしてるというのも楽しい。そういう子どもたちを見ている先生が、すごくわくわくしながら、その子どもたちを見つめているというのも素晴らしいことだと思います。それは、高校生でも同じですよね。思春期の時期に、自分のことを、と思うけれど、やってみたら聞いてもらいたいし、聞きたいし、それに対して何か言いたい、というのがあり、先生は、内輪だけじゃもったいないからと皆にも開いてもらっています。国語の授業として、『ことばを育てる』ことって、こういう意味があるんだというのを本当に勉強させてもらいました。

 

畠中先生)ニュースなど外から来ることば、晒されていることばが強いですよね。高校生は絶えずインスタやネットニュースを見ていたり、自分の体をくぐってないことばにいっぱい晒されています。

 

小森理事長)ああ、そうか。高校生はSNSの世界ですね。

 

畠中先生)そうですね。それが、学校に来て友達と話して、「それはちょっと違うなぁ」とか、「あの子はあんなふうに言ってたけど、ちょっとあれは無いよね」とか言われると、「あ、無いのか」となる。家族の会話はずいぶん日記の中から見えてきて、家族とそれをどのように話すかということも、それはそれで大事な時間なんだと思います。でもやっぱり晒されているものが強くて、一旦それを言ってみたけど、他の人から言われて、「やっぱりそんな在り方っておかしいのかな?」、「そんなふうに思わなくてもいいのかな?」と緩めてもらえる。日常的にもですが、コロナ禍では特に晒されていることばがきつい、厳しい、辛いなと思います。

でも、(小学校)1年生だってそうですよね。紋切り型のことばや決まったフレーズなどいっぱい世の中に溢れていて、それを操作して形にする、それらしく見せるということから入ると、字を美しく書くとかというようなこととかあると思います。「茶匠になりたい!」みたいな(笑)

 

一同)(笑)

 

司会(北山)ですよね。「『車掌さん』と言い間違ったかな?』って思ったら。

 

橋本先生)私も、「千利休」って言われて(笑)

 

畠中先生)そう。「えぇ~?!」って。

 

橋本先生)そういう意味では、国語だから、お話をみんなで読むのも、そのお話の世界をもちろん楽しんだり、普段読まないような本に出会ったりというところにも意味があると思いますが、話を柱にしながら、どうそれを読んだかというやり取りの中にこそ、意味があるんだろうなっていうのを、皆さんの話を聞きながら、改めて思いました。読みがお互いのやり取りの中で広がっていくのも大事にしたいし、でもやり取りする中で、発言した人のその子らしさの、「あの子ってそういうふうに読むんだ」とか。知識がどうとかじゃなく、その人の想いが見えるところを楽しめるような授業を、そこに「面白い」っていうのを感じられる授業を作りたいなぁということを聞いていて思いました。

 

<つづく>

 

 

 

 

5年生 多古町での農業学習

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5年生が千葉県の多古町へ出かけて、農業学習を行いました。多古町は、生産者と消費者を近づける農業作りをしており、その取り組みについて直接学ばせてもらっています。

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産直センターでは、実際に体験もさせてもらいます。

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多古町で生産された食材を使った昼食は、本当に美味しかったです。

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午後は、畑での作業も体験させてもらいました。

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有志の保護者の方も参加してくださり、ふりかえりの感想を寄せてくださいました。

多古町遠足楽しかったです!講習あり、箱詰めあり、草むしりあり、おいしい食事あり、踊りあり。多古町到着後の最初の活動は、日本の農業の現状と多古町の現場の様子を伝えてもらうこと。産直センターの小林さんの話を子どもたちは真剣に聞いていました。バスの中でやりとりした事前に考えた質問以上に、話を聞いた中で疑問におもったことが質問としてたくさん出ていて感心しました。そのあとの、野菜の箱詰め作業のお手伝いも楽しかったようです。再びバスに乗って、畑と発電のソーラーシェアの現場へ。生産者の寺本さんからお話をうかがったあと、雑草取りのお手伝いをしました。「草むしり」をイメージしていたら大間違い!引き抜く相手は機械での刈り取りの邪魔になる1mくらいの雑草たち。ほうずきやタデ科の太い雑草たちです。子どもが抜くにはけっこう力が要りました。またまた場所を移動して遅い昼食、美味しいおにぎり(特に五目ごはんが絶品!)と超具沢山豚汁をいただきました。地元の食材で作られたごはんは本当に美味しかった!もっと食べたかった~。やはり「体験」や「直接聞くこと」に勝るものはないなと感じた次第です。ありがとうございました。

 

とても充実した一日となりました。多古町の皆さん、ありがとうございました。5年生は引き続き、「日本の農業」について学んでいきます。

卒業生の姿から④

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シリーズでお届けしている、卒業生インタビューの4回目です。(前回からずいぶん間があいてしまいました。)今回は2007年度卒業生の笹部真由さんを紹介します。笹部さんは、小学校から高校まで和光学園で学び、日本歯科大学に進学、その後国家試験に合格して国家資格を取得、現在は歯科技工士としてデンチャーを作っています。(インタビュアーは副校長の増田です。)

(増)どうして歯科技工士をやろうと思ったのですか?

(笹)親戚に歯医者がいて、もともと知っていたこともあったけど、細かい作業が好きだったからです。あとは、就職活動が自分には合っていないなーと思いました笑。高校2年生くらいの時くらいに決めたかな?

(増)小学校の時の思い出を教えてください。5年生の合宿に行くときに、出発の時に泣いていたよね笑

(笹)たしかに。ママと離れたくなかったな。

(増)6年になったら、ピタッとなくなったじゃない?なんでかわかる??

(笹)わからない。でも、6年生の時にはもう泣いていなかったよね。小学校ではいちょうまつりが好きだったな。一番好きだったのは七頭舞かな?

(増)中学校の時の思い出は??

(笹)館山(水泳合宿)はレク総務やって、秋田学習旅行の実行委員もやった。卒業してからは館山のコーチにも行きました。

(増)すごいね!そういうタイプじゃなかったのにね。なんでやるようになったの?

(笹)うーん・・・中学校が一番楽しかったからかな。立会演説会も平気でした。

(増)大学はどうだった?戸惑ったことはなかった??

(笹)大学は勉強しに行くだけって感じでした。座学や実習が忙しかった。それで、授業が終わったら即帰る。阿波踊りをずっとやっていたので、“連”に入って、いまだに家族でやっています。あとゴルフも。大学では“当たり前”だと思っていたことが当たり前じゃないことに驚きました。(制服がなかった、給食がない、高校の体育祭、髪型、ピアスetcの話を周りの人にしたらすごく驚かれた。)

(増)それって、真由さんがカルチャーショックを与えていたんじゃないの?笑

(笹)たしかに!あと、名字で呼ばれた時にえっ?と思った。「ささべさん」って。名字で呼ばれることなかったから。

(増)勉強とかは困らなかった?

(笹)専門的な学習だから、困らなかったかな?追試とか再試になるとお金がかかるから、ならないようにがんばった!

(増)和光で学んだことが今の自分の生きていることはありますか?

(笹)技術の授業がすごく好きだった。そこで、細かい作業が好きだということに気がついて、今につながっている気がします。

(増)和光で良かったなと思うことは?

(笹)小学校から変わらない友だちがいて、いまだにつながっていることですかね。

(増)もっと他の友だちが欲しいとか思わなかったの?

(笹)阿波踊り、バレエとか、そういう所でも関係があるから、そうは思わないかな??

(増)今の和光生に伝えたいことはありますか??

(笹)楽しい行事がいっぱいあるから、行事を全力で楽しんでほしい。思い出に残るよ!卒業しても、合宿の指導員や館山のコーチetc そういうつながりは楽しいし、他の学校では味わえないこと!

(増)今日はありがとう!!

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公開研究会、ありがとうございました。

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19日(土)公開研究会が、3年ぶりに対面で行われました。

【公開授業】

1-1 算数「くりさがりのあるひき算」

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1-2 生活べんきょう「からだたんけん」

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2-1 生活べんきょう「世界を見つける・世界の〇〇」

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2-2 国語「劇作り」

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3-1 総合「韓国」

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3-2 算数「小数と小数の加減」

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4-1 社会「ごみと私たちのくらし」

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4-2 理科「ものの温まり方」

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5-1 総合「食を考える」

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5-2 体育「マット運動」

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6-1 国語「活憲の時代」

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6-2 総合「沖縄を学ぶ」

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【授業検討会】

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【基調報告】

幼小研究「表現の力を耕し、自分らしく未来を生きる子どもを育てる」(植林 恭明)

小学校研究「今だからこそ総合学習を問い直す」(増田 典彦)

【分科会】

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とても学びの多い研究会となりました。参加してくださった方の感想を一部紹介します。

〇既定路線でない学びの面白さ、結果や結論に至るまでのプロセス、子どもたちのやりとりを徹底してやっていくことに価値があり、だから総合学習は面白くて大切なのだとよくわかりました。子どもの「問い」と「疑問」のちがいの話も大変考えさせられました。私も安易に子どもたちの疑問だけを拾って、「子どもから出発する学び」をした気にならないように、子どもの中に「問い」をしっかりと育てられる教師になりたいです。そのためにも教師自身が“探究者”であることに努めたいと思います。

 

〇「問い」なのか「疑問」なのかというところは、改めて自らで検討したいと思いました。そもそもその2つをほとんど同一視していたので、言葉の力に飲み込まれて、きちんと理解しきれていなかったのではないのかと感じました。最終的に諦める形になったグループにしても、とことんやるまでやって、その結論に至ったのであれば良いというのも印象に残りました。どこか結果を求めてしまうところが私にも、また、子どもにもあるように思います。でも、「学び」というのは、必ず結果が得られるというわけでもないです。だからこそ「経過」を大切にしていきたいです。

 

〇基調提案本当にすばらしかった。今後、この提案を頭に入れながら、目の前の子どもたちに向かい合いたいし、多くの教師仲間や保育士たちと話し合っていきたいと思いました。「明日また行きたくなるところ」…学校はそうでなくてはなりませんね。公立小学校に勤めていた頃は、主体的・主体性が、型にはまった押し付けられた感がすごくありました。本当に、心から主体的・主体性について語り合えることが嬉しいです。

 

〇松本先生の報告とともに、フロアの発言からとても学ぶものが多かったです。付け足せば、杉見学級の子どもたちの姿からも感じた所ですが、自分たちの学んでいることに誇りを持っている、その人類的価値の大きさ、“生きる力”につながるその意味の重さ、そのことを知っているからこそ(本物と言ってもいいですよね)深く学ぼうとするのではないかと感じました。学校のカリキュラムの統一性、全人格を育てるという意味が実感できる、それが沖縄ですね。

 

〇朝のエイサーの時の子どもの顔を思い出した。その表情の訳が少し分かった。他者がいるから成長をしていること、その他者が多くいることで、この学びが作られていること、リアルな学びがあること・・・学びが多かったです。(言語化するにはまだ整理できていません・・・)

 

〇公立小に所属しており、中々できないことの方が多いと思っていましたが、様々な人と関わる、自分たちで学ぶ、現在を生きる学びをしていけば少しは子どもの興味に沿った学びが出来るのではと思いました。

 

〇「アメリカザリガニ」という一つの題材で、子どもたちから多くの意見が出たり、坂本先生が考える「アメリカザリガニ」という題材の切り込み方、他の先生方がおっしゃっていた題材の切り込み方、多種多様でとても面白い題材だったなと思いました。「アメリカザリガニ」という生き物一つとっても、ここまでの引き出しが出たのは、坂本先生の公開授業と、その後の話し合いがあったからこそで、広がりのある授業だったのだと思います。

 

〇保護者のつながりで何ヵ国もの話を聞けるなんてすごいなと純粋に思います。YUAIとの交流も、子どもたちにとって大きな学びの一つになっていると思います。改めて具体物や「人」との出会いが重要だなと思いました。発表が始まると、スッと聞き入る子どもたちの姿が素敵だなと思いました。これまでの積み重ねを感じました。また、子ども一人一人の興味関心を拾い上げ、活動に丁寧に付き合う山下先生がすごいなと思いました。

「ことばを育てる」その1 ~2022年度和光学園報特別号 座談会より~

和光小学校 校園長ブログ
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まだまだコロナの影響を受けることもありますが、行事を含めた学校生活はほぼ戻りつつあります。親和会(PTA)活動も通常通り行われ、何よりも子どもたちの活気にあふれた姿に力づけられる日々です。

2学期も下旬になりました。小学校のいちょうまつり、幼稚園の運動会は秋晴れの中滞りなく実施でき、6年生の沖縄学習旅行は今年も充実したものとなりました。

8回目となる和光小学校・和光幼稚園合同公開研究会は、先週末3年ぶりに対面で行い、授業研究、保育研究も行うことができました。ご参加頂いたみなさまに心から感謝申し上げます。

この秋発行の和光学園報特別号では、「ことばを育てる」と題して4月から理事長に就任された小森陽一先生と和光鶴川小学校の橋本先生、和光高校の畠中先生の座談会を企画しました。

7月末に行った座談会は、鶴小と高校の授業にとどまらない“ことば”と向き合う実践、さらには小学校の美術教育や幼稚園のげき作りにも拡がり、あっという間に2時間あまりの時間が過ぎていきました。

学園報は紙幅の関係で前半、それも大きく割愛した内容しか掲載することができませんでしたので、このブログで紹介させて頂きます。

 

【和光学園報 座談会 ことばを育てる】  2022726

出席者:小森陽一理事長・ 畠中由美子先生(高校)・橋本紗弥先生(鶴小)

司会者:北山ひと美(和光小幼校園長)

司会(北山)小森先生が理事長として来ていただきましたので、私は是非小森先生からたくさんのことを学びたいと思っており、「ことばを育てる」という座談会が実現することを楽しみにしていました。

今日は、和光鶴川小学校の橋本紗弥先生が、小学校の子どもたちの国語の授業を中心にした実践、和光高校の畠中由美子先生には、コロナによる休校中のことを課題にした日記の交流を通した実践を報告していただきたいと思っています。まず橋本先生お願いします。

心が動いたことを詩に綴り、読みあう

橋本先生)和光鶴川小学校の橋本です。今回は、以前1年生を持ったときの詩の実践の話をさせていただきます。

私自身、音のリズム、短いことばの中に情景や作った方の思いがぎゅっと込められている詩がすごく好きでした。一つの詩が読み手によって受け取り方が全然違うところが面白いのですが、何よりも子どもが書く詩がとても好きです。大人には到底ひらめかないなということばの選択や、目の付け所があるところが昔から好きでした。1年生を担任したとき、今回も詩の実践をやりたいと思い取り組みました。

鶴小の国語のカリキュラムには、どの学年にも4月に詩が入っています。これまではその後も年間を通してじっくり取り組むということはなかったのですが、今回、「1年生でも詩を作ることができないかな?」と考えて挑戦してみました。

1年生って1学期にたっぷり時間をかけてひらがなを学び、その中で、ことばあそびや詩もいくつか扱います。声に出して楽しめる詩や、文字の学習にもつなげてまどみちおさんの『あいうえお』の詩を読んだりします。

くどうなおこさんの『うたにあわせてあいうえお』というのを読み、詩を作ることに挑戦しました。「あかるい あさひだ あいうえお」「いいこと いろいろ あいうえお」と、法則性のある詩なので、まねっこ詩で作りやすいかなと思い、最初はその詩を取り上げて、いくつかやり取りをしながら作ってみました。

すると1年生なんだけど、すごく面白くって、「えがおで えをかく あいうえお」とか、「うんちだ うきうき あいうえお」とか、「おかしだ おかしだ あいうえお」とか、短いのですが「この詩、この子作りそうだなぁ」というような個性が表れていました。交流すると、すごく子どもたちが盛り上がっていたのが印象的で。

しばらく休み時間とかも、おにごっこすると「はっしー はしるよ はひふへほ」とかって、子どもが作って遊んでいたりしました。その時「1年生でも、これだけお互いの作ったものを楽しめるんだ」っていうことを感じ、2学期にも、引き続きやってみようかなって考えました。

2学期には重点的に作るっていうことに挑戦をしました。日記やあのねのーとにも取り組んでいますが、1年生はまだ書く力が充分あるわけではありません。でも短くても、その瞬間の心の動きが中心になって作られる詩っていうのは、よりその子らしさが表れ、そこからお互いを知り合う柱になるかなと思います。

どの子にもハードルが低くて、取り組みやすくなるかなという思いもあり、同じ小学1年生が作った詩をいくつか紹介をしたり、他にも、詩人の方の詩を紹介したりしました。

初めは<えん・けら・ぷん・えい・あら・しゅん>っていうのを黒板に書いて、「これは心の動きを表したものなんだけど、何だと思う?」って言ったら、「えんっていうのはえんえんって泣いてるってことだ!」とか、「けらっていうのはけらけら笑ってるってことだ!」っていうのが、子どもたちから出されました。「そういう、心が動いた瞬間をことばにしたのが詩なんだよ」っていうことを最初に伝えて、「じゃあ、今日は最近心が動いたことを詩にしてみよう」と提案しました。

自分としては2つ心掛けたことがあります。詩を作った後に、「もっとこうしたら良いんじゃない?」って正直思うこともありますが、そこは言わない、手直しをその場ではしないということ。もう一つはその詩を出してきたときに、その詩を私自身が一番面白がろうっていうことを心掛けました。中にはまだ書けない子もいるので、やり取りをして話したことばを、私が文字にするということもありましたが、全員が詩を作ることができました。

その詩もすごく面白くって、KAくんは、『ちゃしょう(茶匠)』という題名で、「ぼく ちゃしょうになりたい だって せんのりきゅう(千利休)って ちゃしょうでしょう?」っていう詩を書いていて、「あっそんなふうに思ってたんだ!」と私も新しい発見でした。MIちゃんは、『せかいって なんだろう?』 という詩で、「ちきゅうって なぜまるいの? さんかくでも いいじゃん」と2行の詩なのですが、その子の中にある「不思議だなぁ」っていう思いが表れています。

学級通信でも紹介して、みんなで読み合いました。まだ、リズムとか連などを意識して書くのは難しいので、詩っぽく見えるような形に私が打ち直して、学級通信に載せてみんなで読み合うと、子どもたちもすごくゲラゲラ笑ったり、「あぁー」ってなったりで盛り上がりました。

ちょっと間隔を空けて、読み終わった後にもう1回書いたりすることを続けてやったら、だんだんスムーズに思い付いたり、書けるようになった子が増えてきたかなと思います。中には、「何書いていいんだろう?」って悩む子もいますが、悩んでいる子には、「じゃあその悩んでるのも心の動きだから、詩にしてみたら?」と言ったら、その子は『わたしって すらんぷ』っていう詩を作りました。「もうもう なんで でも もしかして すらんぷ」っていう詩を作り、クラスの子から「詩ってそれでもいいんだ!」と声が上がりました。だから、「こういうのも詩になるんだなぁ」っていうのが、だんだん子どもたちの中にできていったのだと思います。

作ることもそうですが、子どもたちは読み合うことを一番楽しみにしていて、通信に載せると反応し合って、またそれがあのねノートで届いてというのが、少しずつ循環していくような形になっていきました。KOちゃんが、雨の日、友達の傘に入れてもらって嬉しかったという『やさしいきもち』という詩を届けてくれたら、その次の日に、MAくんも、友達にしてもらって嬉しかったっていうようなことが詩で続いていったり、反応し合って「自分も書いてみようかな」というふうになっていったのかなと思います。

AKちゃんは、詩を書くことを通してセンスが開花したなぁって私は思っています。そんなに前に出てきたり、毎回手を挙げて発言したりするという子ではなかったのですが、詩が本当にユニークというか、毎回お父さんがオチに使われるような。『おちゃわん』っていう詩で、「ぱぱは たまーに わたしの おちゃわんを わる」とか(笑)、『おにの つのは なんこある』っていうので、「わたしは にほんで ままは さんぼんで ぱぱは いっぽんだ」っていう、最後にお父さんが笑いに使われるようなところとかがすごく面白かったり、うんちの観察をしたことの詩を届けてくれたりしました。親和会でも「AKちゃんの詩のファンなんです」っていう親たちがいるぐらいです。お母さんの「AK自身も、あのねノートや日記では書けないことでも、なんか詩だと書けたりするようです」というのを聞いて、AKちゃんにとっては「これだったら、自分の思いや考えを自信を持って出せるなぁ」という一つになっていたんだったら嬉しいなと思いました。

詩って、その人の興味関心や感情、生活が見えるところが面白いなって思うので、だからこそ、詩を読み合う子どもたちがすごく生き生きとしているのだと感じます。友達のことを知りたいという気持ちの表れだったり、正解不正解じゃないからこそ面白がることができたり、書けたりすることにつながっているのかなと思っています。国語の読み物教材でのやり取りや作文など、どれもお互いの考えを知るとか、その人らしさがそこで知ることができるということを大事にしています。

司会(北山)ありがとうございます。もっとたくさんドラマがあるのでしょうね。今の橋本先生の実践を聞かせてもらっていかがでしょうか?

畠中先生)読み合うことを楽しみにして、『やさしいきもち』 という詩で、「自分も、その気持ちを日常の中から拾ってきたいな」という気持ちになるような目線をもらっていく感じは、本当に小学校1年生らしい感じがあって良いなと思います。

私の息子が公立の小学校に通っていた時、朝スピーチの時間に誰かが「朝来る途中で、公園でカラスが死んでいた」っていうような話をし、次の子どももその話に刺激を受けたのか生き物が死んだ話をしたのですが、質問が3人と決まっていてそこで切れてしまい、キャッチボールされずに終わってしまいました。「あ、いいなぁ」って響き、次に違う形で自分で返していくというやり取りを育むのはどうしたら出来るのかなと思いました。

橋本先生)読み合うときのお互いの反応を、多分書いた子は楽しみにしていて、「あぁー」とか、「えぇー!」とか(笑)そんなにうまくことばになるわけではないのですが、そういう反応一つが、書いた子にとっては「受け止めてもらえた」という気持ちになり、「次を書きたいな」「自分も書いてみようか」というような安心感に繋がるんだろうなと思います。

小森理事長)小学校で「詩を書きましょう」って言って、みんな書いてこられるの?一応詩人の詩は紹介したということですが、先生の方から「詩とはこういうものだ」という話は特にしてないのですか?

橋本先生)そうですね。ことばあそびや、情景が見えるなど、バラエティーに富んだ詩は出来るだけ紹介して、その幅が広がればいいなぁとは思うのですが、「詩っていうのはこういうものです」とか、「こういうふうに書きます」っていうのはしていないですね。

小森理事長)そういうのはやらないで、1年生の子どもたちに「詩を書いてみよう」って言って、何でこういうのが出てくるんですか?

橋本先生)多分、1年生だからっていうのは結構大きいなと思っていて。

小森理事長)だって、そういう意味では、詩っていう概念も無いわけでしょ?だから、大人の書いたいくつかの詩を見せられ読まされて、「こんなもんなんだな」と。そのとき、子どもたちは先生が言ってる『詩』っていうのは、何だって受け止めてる感触だったんですか?そこが知りたいなぁ。だって、言ってしまえば、小学校1年生は、『詩』って言われてもわけ分かんないでしょ?詩という概念は無いわけじゃない。でも、いくつか見せられて、ああいう言葉が出てくるまでの、彼ら彼女らのプロセスが知りたい(笑)

橋本先生)そうですね。正直、私も「詩ってじゃあ何?」って聞かれると、答えられないなと思うんですよね。

小森理事長)答えられないよね。うんうん。だから、だいたい辞書で『詩』って引くと、ふざけんじゃねぇよみたいな説明が載ってるじゃないですか(笑)「短くて」、「韻律があって」、とかね。そういうすごい形式的なことしか説明してないんだけど、だけど、出てきている言葉は、詩ですよね。紹介してくださったのは。それが、どうやって子どもたちの中でスパークしてるんだろうか?

橋本先生)そうですね。今回は、詩って別に心の動きだけを書くものでもないと思うんですよ。ことばあそびとかもあるし。授業の中ではそういうことばあそびなども扱うけれど、書くときには、今回は最初は心の動きを短い言葉で。「何がありました。今日こういうことをしました」って辿るよりは、そのときの心が動いた瞬間を、短い言葉で書けばいいんだよっていう話を1年生のにやったんですね。

小森理事長)あ、そうなの。「心の動き」っておっしゃったんだ。

橋本先生)はい。心が動いたときのこと。それが、えんえんって泣いたときなのか、えいってやってみたこととか、けらけら笑ったっていう、そういう「心が動いたときのことを、短い言葉で言いたいことを書いてみるんだよ」っていうふうにやったから、詩が何かっていう概念は無いかもしれないけれど、「心が動いたこと短く書けば詩ができるんだ」っていうのが、最初で。

小森理事長)それすごい言語教育だよね。本質だもんね。つまり、自分の中で、あのとき「うわっ」と動いた。心が。小学校1年生にとって、それは対象化されてないんだけれども、「それは何だったのか」っていうことを思い起こして、これは第1段階。「そのときの自分は何だったのか」って。ここで、絶対子どもたちはあんまり日常的にはやらない、『自己対象化』っていうことをやってみて、その上で、「あのときの私って僕って、これ!」みたいな言葉を探し出してきて、書きつけたっていうことですよね。そのプロセスを考えると、「それは詩だよ!」って言えますね。うん。あぁ、なんかすごく分かりました。その導入が、ああいう素晴らしいことばを生み出させたんだなっていうのがね、今よく分かりました。なるほどね。

畠中先生)心が動いたっていう、そのことばそのものは、もうちょっと大きい年齢になると分かるんですけれども、「心が動いた?何?」って、多分1年生ぐらいだと、「心?」って思うんだけども、そこに、この<えん・けら・ぷん・えい・あら・しゅん>っていう分かりやすいことばがありますよね。これが1年生にはすごく分かりやすい示し方だったんだと思いましたね。

小森理事長)で、それが分かった瞬間に、言いたくなる気持ちが出てくるわけですね。

畠中先生)あ、そうですね!そこですね。

小森理事長)「分かった!」感が、表現を促す。それの連続が起きていくっていうかね。だから友達の表現聞いても、「あ、これなんだ!」っていうのがわかると、自分もことばを出したくなる。だから、詩は必ずしも個別的・個人的表現ではなく、まさにことばのやり取りの中で、どんどん詩的環境が生み出されていくっていうか、詩的能力が作りだされていくっていうかね。そういう実践ですよね。みんなが、友達の表現を聞きながら、「これが詩なんだ!」、「これで良いんだ!」とその授業全体で「詩ってこうなんだ」ということを理解しているという現場になってますね。

畠中先生)だから、形の正しさみたいなことを追って行かないで、何行で書く人も色々。言いたいことも、用いる言葉も違う。表現したい言葉で。

小森理事長)そうそう。そうなの。形に行かないで、みんな自分に行ってるでしょ。自分に行きながら、「前聞いた友達のよりも、何かもうひとこと言ってみたい」みたいな。だから、受けを狙うっていうことも大事だよね。つまり、友達に通じる、自分の気持ちをちゃんと伝える、的確な言葉を生み出したいっていう、それはまさに詩的表現の真髄と言えば真髄だよね。そういう現場だったりするのかなって思いましたね。

橋本先生)そうですね。多分、一人で詩を書いていては広がらないものが、読み合うだけで、次に書く表現、向かう気持ちがまったく変わっていったりする。

小森理事長)そうそうそう。私たちの、文学的な学問としての詩の表現というのはさ、ずーっと一人で深く考えて、その深い考えの底から浮かんできたことば。でも。実はそうじゃなくて、自分の中でぐちゃぐちゃしてたり、わだかまってたり、「これ大事だ」と思っていることを、言葉にしたいって思っている。活字の詩の表現だと受けるまで時間が掛かるんだけど、教室はその場で朗読の現場にもなるから、まさにその詩のことばが、活き活きと共有される。そこが、国語の教室の、詩の学習の大事なところだということも、今日の話聞いてわかりました。

表現したことばが活字媒体になって共有されるという体験

畠中先生)詩の発表って、どんな形でされたんですか?

橋本先生)出したその日には打って、子どもが読みやすいような形にして、次の時間か、学級通信でも紹介をします。でも1年生なので、まだちょっと自分の書いたものを読み切れないので、私が読んで紹介します。

小森理事長)先生が読んだの?

橋本先生)そうですね。

小森理事長)それも大事だね。その話無かったんだけど、つまり、子どもたちが習ったばかりの文字で書いて、それを集めて、先生がちゃんと打ち直して、みんなが共有できる活字媒体にして、なおかつ先生が音読した。だから、子どもたちは、自分が表現した言葉に3段階の工程を経て、自分の心の中の言葉が活字媒体に載るっていう、詩人の体験をしたんだね!あぁ~、そこも大事だね。ぐちゃぐちゃの字でそのまま読むんじゃないっていう。詩はそうだもんね。人に読んでもらうために。子どもたちの頭の中で浮かんだ言葉がちゃんと詩になって、教室でもう一度生まれ変わったんだ。あぁ~、それも大事だね。

畠中先生)すごく素敵なものになりますよね。自分の手を離れて。みんなに届いたときに。

小森理事長)自分の言葉なんだけど、別物に。つまり、その瞬間、芸術作品になっているっていう。

橋本先生)「作れた!」みたいな感覚を、やっぱり最初は得て欲しかったんで。

小森理事長)そのプロセス大事ですね。

畠中先生)額に入れてもらったみたいな感じがしますね。

一同)(笑)

小森理事長)うんうんうん。なるほど。それ、聞けて良かった。

司会(北山)橋本先生が心掛けてた2つっていうのも、すごく大事だなと思ったんですね。「もっとこうしたら?」とかって、つい大人は「ここ、こうだったら良いのにな」って思うけれども、絶対言わない。で、何が出てきても面白がるっていうので、みんなに入っていくような詩となったんですね。

橋本先生)そうですね。まずはみんなに「詩を書けた」とか、「良いのが出来た」とかっていう感覚を得て欲しかったので。

小森理事長)そうか。そうだね。自分が習ったばかりの字で書いた拙いものが、先生に提出して、これ学校で大事ですよね。課題を提出する。そうすると、先生が活字に打ち直してくれる。。それで先生が読んでくれて、「俺って、あたしって、こんなこと書いたんだ」という、自分のぐちゃぐちゃの文字の表現が、まさに芸術作品になって本人たちに戻ってきた。それはまさに詩の授業をやったということになるね。自分の発した言葉が詩になって届いて、もう一回皆に届け直された。それは詩の授業だわ。

橋本先生)中高学年ぐらいになると、もしかしたら、自分で行とかを意識しながら書いて、その人の字も字で、力強い字だったり優しい感じの字だったりとか味があるから、そこも表現の一つだと思うんですけど、1年生なので、まずは、作ったものが「こういう詩がちゃんと出来た!」というような思いも大事かなっていうので、今回は打ち直して出しました。

小森理事長)でも、あえて、人間の成長段階の問題で言うと、そのクラスの、習ったばっかりの文字で詩を書いて先生に提出した生徒たちは、初めて、おそらく、自分の発したことばが打ち直されて文字になって、先生の声で読まれることによって、自己対象化できたってことでしょう?「僕ってこういうこと言う人なんだ」とか、「私ってこう言ったんだ」。それはすごい成長ですよね。つまり、即時から対峙への詩の媒介っていう、哲学的にあえて言うと。それが、教室で皆で共有されて。それが「楽しいんだ」、「素敵なことなんだ」って、皆で共有できたっていう授業ですよね。

畠中先生)小学校1年生と言えども、入ってきて、文字が読める書けるも差があったりとか、「自分がどう思われるんだろう」とかね、1年生なりのプライドもありますよね。

小森理事長)そうだよね。緊張しまくってるわけですから。だけどそれが、そのプロセスを経て、一人前になれた感、達成感も共有できてる。

橋本先生)「皆が面白がってくれた」みたいな思いもすごく大事かなと。

                                                             <つづく>

3年生 東京韓国学校との交流

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3年生の総合学習は「韓国」の学習をしています。お隣の国「韓国」ですが、日本と似ている所やちがう所、そのような所を楽しみながら学び、世界に目を向けてもらいたいと思っています。

コロナ禍で2年間実施できていませんでしたが、3年生が韓国ツアーに出かけました。

まずは東京韓国学校との交流会です。韓国学校の皆さんが準備をして、温かく迎えてくださいました。

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お互いの学校の”文化”交流です。

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グループごとにわかれて、コースを学校案内をしてくれたり、ブースで韓国の文化を楽しませてもらいました。

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短い時間の交流でしたが、とても充実した交流会となりました。別れを惜しむ子どもたちの姿もありました。

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続いて、新大久保に移動します。高麗博物館では、韓国の絵本を読んでもらったり、遊びを教えてもらったり、楽器の演奏にも挑戦しました。

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待ちに待ったお昼の時間。韓国料理屋さんで韓国料理を味わいました。

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韓国のことを身近に感じることができ、とっても楽しい一日となりました。東京韓国学校をはじめ、お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。

韓国の学習は、まだまだ続きます。

低学年”名人になろう”の時間

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好きなコースを選んで取り組む、低学年の「名人になろう」の時間がありました。

各コースをちょっとのぞいてみました。

<りょうりめいじん>

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おしずしを作って食べました。とってもおいしそう!

 

<おんがくめいじん>

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みんなで歌いながらハンカチ落とし。この後、トーンチャイムにも挑戦しました。とっても良い音色♬

 

<しゅげい・こうさくめいじん>

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秋のリース作り。自分で拾ってきたものを使ってリースづくりをしました。

 

<しつないあそびめいじん>

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コマや花札で遊んでいました。

 

<スポーツ・そとあそびめいじん>

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みんなでSケン。良いお天気の下、思いきり体を動かしていました。

 

<マスキングテープめいじん>

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コースターを作ったり、紙袋にマステをはってデコレーション。

 

<こびとめいじん>

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こびとをつかまえに、公園へ。今回も残念ながらしかけには入りませんでした。。。

 

自分で選択すること、そのことを思いきり愉しむこと。これからも大切にしていきたい時間です。