校園長ブログ

リーダーがリーダーとして育つとき ~2018年度 和光小学校運動会への取り組みの中で~

和光小学校 校園長ブログ
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今年も運動会が近づいてきました。和光小学校の行事の中でも、運動会は子どもたちにとって特別な意味を持っている行事だと、担任をしてきた時から感じています。

 

和光小学校の運動会は、4つの目標を持って取り組んでいます。

①競技することの楽しさを味わい、運動する力をのばす。

②チームやクラスで作戦を立て、協力して競技に取り組み、学級や縦割り集団の結びつきを深める。

③子ども、教師、親、みんなが協力し合って充実した運動会を作り、和光小学校としての団結を作る。

④日常の学習、生活、遊びも大事にしながら、運動会に取り組む。

 

個人種目としての徒競走もありますが、それ以外は縦割りでの団体種目です。(4年生リレーだけ単学年)その団体種目は、すべて1組対2組で勝敗を争い、最終的に合計点数の多い方が“優勝”します。

子どもたちは自分のチームが勝つためにどういう練習をするか、真剣に考えます。リーダー学年である2年生、4年生、6年生はいっしょに取り組む下の学年に何を伝えるかを考えます。

中でも、1年生から6年生までのチームリーダーとなる6年生は、チームの勝敗は自分たちの手に委ねられていることを、練習が進むにつれて実感し、これまでの取り組みとは格段に意識が変わってきます。

 

5月15日の学校説明会では、算数の授業とともに、4,5,6年生がいっしょに行う「グランプリレース」の練習を参観していただき、その後チームリーダーたちからお話をさせていただきました。

1組は青チーム、緑チームの2チーム、2組は白チーム、黄チームの2チームとなり、それぞれに6年生のチームリーダー、6年生と5年生のサブチームリーダーがいます。つまり、1つのチームにチームリーダー1人(6年生)サブチームリーダー2人(6年生と5年生)がいて、1組、2組とも6人のリーダーたちが相談して作戦を立てるのです。

 

学校説明会でお話をさせていただいたのは、4つのチームの6年生のチームリーダー4人。4人がどのように分担して話をするのかは、4人で相談して決めました。

青のチームリーダーのたまきさんは、競技の説明をしました。「ほとんどが2学年から3学年がいっしょに行います。高学年がやる騎馬戦は、帽子を取り合うとかの学校がほとんどですが、和光小の騎馬戦は3人が作る馬の上に1人が乗り、乗り手同士が組み合って闘います。全学年が協力し合って取り組みます。」

緑のチームリーダーのきりくん、「6年生はみんなに教えます。この学校のいいところは運動会なので、がんばっていきたいです。」と話しました。

黄チームのいろはさんは、リーダーについて話をしました。「6年生はみんながリーダーです。6年生だけではなく、いろいろな学年にもリーダーがいます。2年生も4年生もそうです。運動会のいいところは、学年どうしでつながることができることです。」

白チームリーダーしきさんは、自分にとっての運動会とは何か、を語ってくれました。「和光小学校の運動会は熱いところがいいところです。6年生は最後の運動会なので、特に気合いが入っています。ルールなどは両クラスのリーダーたちで話し合いをする競技委員会で厳しく決めていきます。競技を盛り上げるために行う“チクサク”も熱いです。そして、子どもたちだけじゃなく親も先生も熱いです。時には先生たちがけんかをすることもあります。私は、“勝つ”ことに取り組む自分たちの姿勢が好きです。」

 

参加して下さった方から、質問をしていただきました。

Q:「どうしてリーダーになりたいと思ったのですか?どう思って立候補したのですか?」

たまき:「前の6年生のチームリーダーが引っ張ってくれたので、自分もみんなを引っ張っていけるようになりたいと思ったからです。」

きり:「前のリーダーにあこがれを持っていました。自分もあこがれられるようになりたいと思いました。」

いろは:「1年生から5年生のあいだのチームリーダーをやっている人がかっこよくて、自分も引っ張っていける存在になりたいと思いました。」

しき:「この学校には運動会が好きな人も嫌いな人もいると思います。そういう子たちもいっしょにやっていけるような運動会にしたいと思いました。」

 

Q:「今日見た「グランプリレース」は、誰がどの競技をするかを6年生が中心に考えると聞きましたが、この競技はこういう人に、というのはどのように考えるのですか?」

たまき:「むかでは足が速い人、キャタピラは力が強い人と考えました。」

きり:「大縄跳びは、息を合わせることができる人たちです。」

いろは:「大縄跳びの縄を回す人は背が高い人がいいです。回しやすいので。」

しき:「6年生は最後の運動会なので、これまでに2回(4年生と5年生で)やってきて慣れている競技にすることもあるし、最後だから新しい競技をやってみることにすることもあります。」

 

Q:「チームリーダーをやっていて、いろいろな意見が出てまとまらなかったり、ぶつかったりしたことはありますか?そういう時はどうやって乗り越えたのですか?」

たまき:「6年生と5年生のリレーは、みんなの意見を聞いて決めました。何か困ることがあったら競技委員会に出して話し合って決めていきます。」

いろは:「グランプリレースはやりたくない人がいました。そのことはチームリーダーで話し合って、どうやったらやりたくなるのか、みんなで説得しました。」

しき:「仲間割れをしたことがあります。チームリーダーが中心になって相手の意見も聞いて話し合いました。」

 

6年生担任の増田教諭からは、リーダーたちに選ばれた人たちは、これまでも前面に立ってきたかというと決してそうではなく、1年生から5年生までの間、リーダーとして立ってきた人たちの姿を見ていて、いつか出てみようという気持ちを温めてきたこと、そういう意味でも、多くの学校で学校行事が削られている中、“行事”が子どもたちの育ちにとって大切な意味を持っていることが語られました。

1年生から6年生まで、全校のチームリーダーとなることは、とりわけ6年生は自分がその立場に身を置くことができるかどうかを考え、さらにそのチームリーダー、サブチームリーダーを“選ぶ”ということにも責任があるのだということを、否応なく迫られます。

6年生のチームリーダー、サブチームリーダーは6年生のクラスで選挙が行われます。今年、2組は選挙の前に話し合いが持たれました。ある立候補者に対して「(編入してきて)1年しかいないからちょっと・・・」という声が聞こえてきたので、担任の増田先生がそれに対して子どもたちに投げかけました。

増田先生は学級通信で“「投票してね」と「○○には手を挙げないで」というのは、ちょっと質が違うよね、ということを確かめた上で話し合いを行った。”と書いています。言われた側、言った人たちの気持ちを話してもらい、その上でクラスの人たちがどのように考えるか、一人ひとりの発言を学級通信に紹介しています。

そうやって選ばれたリーダーたちですが、いざ取り組みが始まると、1回目のチーム集会前の大切なリーダー会議に2人のサブチームリーダーが現れない、ということが起こりました。1人はすぐに呼ばれて参加しましたが、もう1人は居場所がわからず、結局欠席してしまったのです。

その前にも危ないのでやってはいけないことになっていた校舎内での鬼ごっこをやってしまい、そのことに対するふりかえりの作文も出さず、いよいよこのままで全校のリーダーとしてやっていけるのか、と担任は考え、クラスの子どもたちに問題提起します。“リコール”という制度があることも伝え、それはリーダーをみんなの意志で解職できる制度であること、解職賛成票が過半数に達すればリコールが成立し、リーダーはすぐにやめなければならないことも説明しています。“ただし、何でもかんでもすぐにリコールすればいいのではなく、リコールをせざるを得ない特別な理由がある時に限る”と、その特別な理由についての話し合いを行います。

話し合いに先立ち、担任からは問題提起したい4つの視点が示されました。

①選挙に落ちてしまったAやBの気持ちはどうなるのだろうか?

②リーダーとしての責任感はあるのだろうか?

③選んだクラスの人たちの責任はどうなのか?

④1回や2回の失敗はしょうがない。誰にでも起こるし、失敗してしまったからすぐに“リコール”というのはよくない。その失敗から学ぶこと、そこから変わっていこうとする姿が見えればいいのだが・・・。

クラスの子どもたちは、自分たちが選んだリーダーの課題について真剣に話し合います。当然、鋭い批判も出されますが、「これからちゃんとやってくれるなら」とリーダーに身を寄せた意見も出ます。そうやって話し合った後、リコールの投票をするかしないかを決めました。「投票するべき」が圧倒的に多く、リコールの投票をすることになりました。担任は“これは、リコールに「賛成」であっても、「反対」であっても、2人に対して“期待”や“気持ち”を示したいという意志の表れであると先生は感じた。”と学級通信で書いています。

結果は2人とも「過半数の賛成」にはならなかったので、リコールは成立せず、引き続き2人にはサブチームリーダーを続けてもらうことになりました。増田先生はこの時の学級通信を以下のようなことばで締めくくっています。

“この結果、そして話し合いをC、D、そしてみんなはどう受け止めるのだろうか。くり返しになるけれど、一度や二度の失敗はしょうがない。その失敗から学ぶことの方が大切だ。しかし、CやDはみんなから「もう少し様子をみてみよう」とチャンスをもらったわけだ。このチャンスをどのように生かすのか?みんなの期待を裏切るのか? 今年のテーマは「全員がリーダー」でもある。一人ひとりが大切な役割を担っている。現時点で自分たちの仕事はしっかりとできているだろうか?今回の話し合いのような要求や、責任は、自分たちにとっても同じことが言えてくるわけだ。じゃんけんだったが、なりたいリーダーになれなかった人もいるわけだ。6年生として一人ひとりがリーダーとなり、2組チームをひっぱっていってもらいたい。”

 

実は、今回のようなことは特別珍しいことではなく、6年生の担任をしていると体験することがあります。リーダーになりたい、という“あこがれ”と、実際にリーダーとしての役割をきちんと果たしていくことができるかどうか、の間にはギャップがあることが多く、選ばれたのはいいけれどやるべきことがやりきれず、批判を受けることもあります。

リーダーは選ばれたからリーダーとなるのではなく、日々の地道な仕事を進めながら、その姿にチームの人たちが信頼を置き力を合わせていくことができたときに名実共にリーダーとなるのです。

そして担任はリーダーをリーダーとして立たせていくための学級集団作りのために、子どもたちとがっぷりと組み合い、勝負を続けていきます。そのような6年生担任の緊張感と醍醐味を、私も何度か味わったことを、6-2の学級通信を読みながら思い出していました。

 

いよいよ運動会は今週末です。

最後の一週間、子どもたちも教師達も“勝負”に対する真剣さが高まることでしょう。

これまで積み重ねてきたクラスやチームでの様々なドラマを経て紡ぎ出された一体感を、当日は、参加されたみなさまと共有できることを楽しみにしています。

 

ようこそ、和光小学校へ!〜2018年度 和光小学校入学式 迎えることば〜

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和光小学校に入学してきた1年生のみなさん、入学おめでとうございます!

ずいぶん長くお待たせしました。

和光小学校は、日本で一番遅い入学式です。どうしてこんなにお待たせするのかというと、それは学校中で1年生のみなさんをお迎えする準備をするからです。

1年生のみなさんの前には、2年生から6年生まで、和光小学校のお兄さん、お姉さん達が座っています。これから和光小学校の仲間になる1年生のみなさんのこと、準備をしながら楽しみに待っていましたよ。

 

玄関で待っていて教室で遊んでくれて、この式場まで連れてきてくれたのは、和光小学校で1番大きな6年生のお兄さん、お姉さんです。仲良くなりましたか?明日からもみなさんが学校に慣れるまでお世話をしたり、遊んだりしてくれます。

教室の壁にステキな絵があったでしょう。それも6年生の人たちが作ってくれました。今日みんなに配るお手紙の準備や靴箱の掃除まで、6年生の人たちがしてくれましたよ。

5年生はこの会場の準備をしてくれました。そして2年生、3年生、4年生はみんなにプレゼントを準備してくれています。楽しみにしていて下さいね。

学校中の人たちが、今日のこの日を迎えるために、みなさんのことを思いながら心を込めて入学式を準備しました。

 

これからみんなが通う和光小学校は、楽しいことがたくさんある小学校です。

楽しいことだけではなく、こころが動くことがあると、だれかにお話ししたくなるでしょう? 幼稚園や保育園でもたくさんお話ししてきたことと思います。 和光小学校でも、クラスのお友だちや先生にお話ししたいことや見せたい物を「はっぴょう」します。友だちの「はっぴょう」を聞いて、また自分も発表したくなります。

 

ひらがなを覚えて字が書けるようになると、『あのねのーと』というノートに、先生や友だちにお話ししたいことを書くようになります。

これは、去年の1年生が「せんせいあのね」と書いたあのねのーとを担任の先生がまとめてくれた文集です。

「はじめてのあのね」から1年生の終わりまでの『あのねのーと』を読むと、毎日、学校やおうちであったこと、やってみたことなど、先生やお友だちに話したいなあ、と思うことがたくさんあったのだということがわかります。

 

このあと2年生の人たちがアイヌのおどりを見せてくれます。その時、頭にマタンプシというのをまき、手にはテクンペというのをつけて踊ります。マタンプシにもテクンペにもアイヌの模様を刺繍していますが、これは自分で針と糸を使って刺繍しました。

その時のことを、はやとくんが『あのねのーと』に書いています。

「せんせい あのね まだまだみんなといっしょにぬいものをしたいけど、マタンプシとテクンペがおわっているから残念だよ。でも うまくできてうれしかったよ。テクンペのダイヤのところがいっきに下を向いたから失敗しちゃったから残念だったよ。今でもまだ悔しいよ。」

 

算数という勉強もあります。「じゅうらしっくぱあく」というゲームをして勉強しました。あいさんは、お客さんが見に来てくれた時のことを『あのねのーと』にこんなふうに書いています。

「せんせいあのね、じゅうらしっくぱあくの、一人でやるじゅうらしっくぱあくが成功できてうれしかったよ。最初はやる気がなかったけど、どんどんやろうかなと思って、やる気があったから、ひとりじゅうらしっくぱあくで手を挙げたんだけど、あたんなくて困っていたら当たったよ。そしてその日は、和光小学校に入ろうかなあっていう人が見に来る日だったよ。それでその日に当たったから、とってもラッキーだったよ。つぎは、でかいシールをとるよ。」

 

ナイフを使って柿の皮を剥いて干し柿も作ります。ゆうりさんは、学校で柿の皮むきをしたあと、おうちでもやってみたそうです。

「せんせいあのね、金曜日、あさ、食後に柿の皮を剥いて、それを剥いたときの包丁は、干し柿を作ったときのほうちょうにしたよ。あと、柿のへたも柿の皮も、どっちも一人でやったよ。手をちょっとケガしたりもしなかったよ。あと、こんど、柿の他に、キウイとかにも挑戦してみるよ。あと、この前干し柿を作ったときに渋柿がすっごく甘かったって、きなりとかかのんとかが言っていたけど、いいなあってすごいなあと思ったよ。」

 

さあ、今日からみんなは和光小学校の1年生です。

“なぜかな?”“ふしぎだな”と思う気持ちを大切に、なかまといっしょにたくさん学び、たくさん遊んで、こころもからだも賢くなっていって下さい。

 

新入生の保護者のみなさま、本日はお子さんのご入学、ほんとうにおめでとうございます。

大切なお子様の教育を、和光小学校に託して下さったこと、たいへんうれしく思っています。ご期待に添える教育作りを進めるために、教職員一同、力を合わせていきたいと、身の引き締まる思いです。

保護者の皆様には、今日から親和会の一員として、三位一体の和光の教育を見守り、支えていただきますよう、お願いいたします。

そして、お子さんといっしょに和光小学校の教育を体験して下さい。

これからの6年間、どうぞよろしくお願いします。

 

2018年4月11日      和光小学校 校長 北山ひと美

和光小学校を巣立っていくみなさんへ ~2017年度 和光小学校卒業式 式辞~

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今年も和光小学校、和光幼稚園の卒業生を見送って10日が経ちました。

毎年「卒業証書」を手渡しながら、在学、在園中のさまざまな姿が思い出され、胸がいっぱいになります。

卒業生に送ったことばです。

 

 

卒業生のみなさん、いよいよ卒業の日を迎えました。和光小学校での日々、今みなさんの心にはどのような出来事が思い出されるのでしょう。

私は4年前、3年生だったみなさんがカイコの世話をしている姿を思い出していました。

和光小学校の学びは、“実感を持って学ぶ”ことを大切にしています。資料を読む、先生から話を聞くだけではなく、実際にやってみる、確かめてみるという学び方が“実感を持って学ぶ”ということです。

生活勉強や総合学習はもちろん、算数や国語などの教科の学習でもそのことを大切にしています。

そして学んだことを自分の言葉で表現する、伝えること、そのことでさらに学びが深くなることも、みなさんは肌で感じていることでしょう。

 

昨年10月の沖縄学習旅行、台風が直撃し出発予定の日には飛行機が飛ばない可能性が出てきました。急遽1日早く出発することにしたので、みなさんの沖縄学習旅行は5日間となりました。

沖縄には到着しましたが、予定していた見学はできず、そのかわり嵐の中をホテルまで来て下さった北上田先生と琉球大学の6人の学生さんたちといっしょに「ワークショップ」を行いました。

あの激しい沖縄戦の中、戦前から戦後にかけて住民がどのような運命をたどったか、丹念に調査し詳しい資料が残っている地域があります。その沖縄本島西海岸、浦添市小湾地区の住民になって時間の経過とともにそれぞれの人がどうなっていったのかを体験するというものでした。

当時、実際に暮らしていた人になり“ロールプレイ”をすることで、家族と離ればなれになること、大切な家族を亡くしてしまうことを肌身で感じることができたのではないかと思います。

 

沖縄戦を体験した方たちはみなさんご高齢になっています。

当時10歳だった玉木利江子さんは、家族と共に南部を逃げまどい、10人の家族のうち生き残ったのは利江子さんと、全身に砲弾を受けながらも九死に一生を得た叔母さんだけでした。

学習旅行から戻った後、1組の人たちは玉木利江子さんに聞いてみたいことを手紙で届けると、すぐにファックスで返事が来ました。

利江子さんは、その返事の冒頭に「私の伝えたいことをしっかり受け取ってくれた。つらい戦争体験をなぜ語り続けているのか、ということに対しても自分たちでちゃんと答えを出している、そしてこれから自分たちが何をするべきか、など、小学生とは思えないほど深く考えていることに驚きました。」と書いて下さいました。

 

また、今年は「3.11」の特別授業に、当時宮城県の中学の先生だった和光大学の制野先生に来ていただきました。

制野先生は、大地震と津波でこころに大きな傷を負った教え子たちの作文と、津波が迫ってくる時の映像を紹介して下さいました。

49秒間の映像でしたが、1組のゆうたくんは、「49秒があんなに長く感じられたのは初めてでした。49秒であんなことが起きるとは思ってもみませんでした。映像の中で「どこに?」と言っていた子どもが津波の恐怖を感じている気がしました。」と授業の後の感想に書いています。

 

沖縄戦の体験を語って下さった玉木利江子さん、中山キクさん、それからお母さんが座間味で体験した集団死のことを伝えて下さった宮城晴美さん、沖縄民謡を聴かせてくれた伊藤幸太さん、長崎での原爆体験を語って下さった木村徳子さん、報道写真家の嬉野京子さん、水中カメラマンの中村征夫さん、「3.11」の体験を伝えて下さった制野先生・・・・・みなさんはこの1年間だけでも、多くの方に出会い、直接お話を聞くことができました。

1年生の頃から振り返ると、ほんとうに多くの方が和光小学校の学習にと、みなさんに直接語りかけて下さいました。

今、本や映像、インターネットでもさまざまな情報を手に入れることができ、ともすれば“知っているつもり”になってしまうこともあります。でも、みなさんがその人と直接顔と顔を合わせて話を聞く、質問に答えてもらうことは、出会わないで得られる知識とは比べものにならないくらいの大きなものを得ることになります。まさに“実感する”学びになるのです。

北上田先生のワークショップで、当時の沖縄の人に身を寄せて考えられたのは、そういう学び方をしてきたからだろうと思いました。

 

そのことは、“ふりかえり”の一言一言にも表れています。『命どぅ宝』沖縄作文集には、自分の目で見て、耳で聞き、肌で感じたこと、“実感したこと”がたくさんあるからこその作文が詰まっていました。

その文集を読み合って書いた2組の人たちの感想を読みました。それぞれに心に響くものが違い、それを自分の言葉で表現しています。

りゅうまくんは「ただ跡地を見るのと、体験者の方たちのお話を聞くのとでは感じるものが違います。そうなんだ、という気持ち、自分たちが平和のバトンをつなげようという気持ちに変わるのです。」と書いています。

ななこさんが書いているのは“目線”のことです。

「えまの米軍基地での、どっちの目線で沖縄を学べばいいのかわからなくなりました。という文が心に残りました。本当にそうなのかもしれないなぁ・・・と思いました。アメリカ目線での沖縄と日本目線の沖縄はなんだか違うなぁーとえまの作文を読んで思いました。でもどっちも最初にわかってほしいのは沖縄目線の米軍基地のことです。本当に沖縄の人は困っている、米軍基地があるから戦争が終わってからも命を落としている人がいるということ。私たちが大人になったらどこからの目線でもものごとを見られるようになりたいです。」

片方だけから見るのではなく、違った場所から眺め直してみることで、新たなことが見えてくることがあります。ななこさんはえまさんの作文で、様々な“目線”を持つことの意味に気がついたということを書いているのです。

友だちの考えを知り、さらに自分の考えを深めていく、学校で学ぶことの意味はこういうことなのだと思います。

 

いよいよ中学生になります。これからも自分の目で確かめること、直接体験すること、そして自分の頭で考えることを大切にして下さい。

学習も生活も、これまでよりぐんと広がり、深まっていくことでしょうが、和光小学校で培った力を信じて新しい世界に羽ばたいていって下さい。

卒業、おめでとうございます!

 

卒業生の保護者のみなさま、ご卒業、おめでとうございます。

学力偏重の世の中で、この和光小学校を選んで下さったこと、そして親和会活動をはじめ、まさに「三位一体」で物心両面にわたり力強く支えていただきましたこと、こころより感謝申し上げます。

在学中には様々なことがあり、はらはらされることもあったことでしょう。

でも、今ここにいる卒業生たちを見ていると、大丈夫、と確信を持つことができます。

少しずつ子どもとの距離を取りながら、あとしばらくは子育てを存分に楽しんで下さい。

 

2018年3月16日

和光小学校 校長 北山ひと美

 

 

 

生き残った人も72年間ふるさとに戻れていない ~今年の沖縄学習旅行で学び、感じたこと~

和光小学校 校園長ブログ

2学期も残すところあと数日となってしまいました。

1年生は生活べんきょうで「がっこうではたらくひと」で、先生たちや事務室で働く人たちを見つけて、何をしているところかのインタビューをし、自分の周りの小さな社会を感じ取りました。

12月最初の金曜日は2年生げきの会が行われ、『ばんねずみのヤカちゃん』(1組)『女王さまと九人のきょうだい』(2組)、ともにクラスの子どもたちみんなで生き生きとしたげきを見せてくれました。

3年生は東京韓国学校、4年生は横濱山手中華学校をそれぞれ訪問、交流し、異文化(多文化)国際理解としての総合学習「韓国」「中国」への取り組みを進めています。4年生は総合学習「多摩川」を伝える会を控え、その準備にも向かいました。(3年生がインフルエンザによる学級閉鎖のため、「伝える会」は3学期に延期となりました。)

5年生は総合学習「食」のまとめの時期に入り、値段の違うせんべいを食べ比べ、成分表示と値段の関係など、食品問題に目が向き始めました。鶴川駅近く、岡上の田んぼで育てた稲の稲刈り、脱穀、もみすりも終わり、今年も保護者の皆さんのご協力を得て「収穫祭」を行うことができました。

11月18日の公開研究会は「算数」に焦点を当てた研究会となり、どの教員も1時間の授業作りに教員チームでの検討を重ね、子どもたちの学びに向かう姿とともに充実した研究会となりました。

 

6年生の総合学習「沖縄」の取り組みは31年目となり、沖縄学習旅行も31回目を迎えました。学習旅行からもどって1ヶ月あまり、子どもたちはこれまでに学んだことを含め、沖縄で見たこと、聞いたこと、感じたことを自分のことばでまとめ、伝えるという課題に向かっています。1組、2組ともに、保護者の方への「沖縄を伝える会」を行い、3学期には5年生に「伝える会」を行います。

学習旅行から1ヶ月あまりが経ちますが、今年、図らずも4泊5日になった学習旅行の特徴をお伝えしたいと思います。

 

学習旅行1週間前、大型台風21号が通り過ぎたので、今年の沖縄学習旅行は穏やかな天候の中で実施できるだろうと思っていました。

ところが、出発4日前に発生した台風22号が出発日の28日に沖縄に近づき沖縄便が欠航になる可能性が出てきました。急遽、旅行社と相談し、出発を1日早めることにしました。と言っても、航空機の空席、那覇での宿泊など、プロの技で前日の夕方、ギリギリのところで手配していただくことができたのです。

急な変更にもかかわらず、27日の朝は全員揃って沖縄に向かうことができました。この日はバスがないので、雨風が出てくる中、ゆいレール(モノレール)で首里城へ。数年前まで和光小も学習旅行のコースになっていましたが、コースの変更で割愛していたところです。首里城は琉球王朝時代の王府でした。沖縄戦では、この首里城の下に司令部壕が作られ、それ故に、沖縄に上陸してきた米軍の標的となりました。首里城は破壊し尽くされ、沖縄学習旅行が始まった30年前は「守礼の門」しか残っていませんでした。1992年に復元されていますが、沖縄学習旅行で訪れるのは司令部壕跡でした。

6年生が到着すると、ちょうど沖縄学習旅行最終日の和光鶴川小学校の6年生が司令部壕跡で学習しているところでした。両小学校がこのような形で沖縄学習旅行中に出会うことはないのですが、今回、1日早く到着したことで思いがけず鶴小の6年生の姿を目にすることになりました。

風雨がだんだん強くなってくる中、再びゆいレールで「沖縄県立博物館」へ。沖縄の文化、歴史、風俗などが一目でわかる博物館は、これまで学んできた「沖縄」を確認する意味でも是非訪れたいところですが、ここも学習旅行中の日程の中で省略されてきた場所でした。今回、“0日目”ができたため、ゆいレールに乗り、首里城、県立博物館を訪れることができました。

翌日、本来は学習旅行1日目となり、那覇空港から沖縄戦当時の激戦地であった嘉数高台、新基地建設で揺れ動く辺野古を訪れるはずでしたが、航空機はもとより、すべての公共交通機関は運休、高速道路を初めとした幹線道路も通行禁止とあっては、チャーターしていた観光バスはホテルまでの送迎のみの運行となりました。

その状況を予想していた学年主任の増田先生は、嘉数高台でお話をして頂くことになっていた琉球大学の北上田源先生に、前日から連絡を取り、ホテルに来て話をして頂くことをお願いしていました。いつもは空港からのバスの中で、沖縄の米軍基地の話などしてくれる琉球大学の学生さんたちも、北上田先生と一緒にホテルまで来て下さいました。公共交通機関が止まっている台風まっただ中を、北上田先生と6人もの学生さんたちが来て下さったことは、沖縄での学びをできる限り充実したものにしたい、という私たちの願いに応えて下さった結果であり、ほんとうにありがたいことでした。

時間はたっぷりあるこの機会に、と、北上田先生は「沖縄戦を追体験してみよう」と、ワークショップ形式での授業を組んで下さいました。

あの激しい沖縄戦で壊滅的な被害を受けた地域も多かったのですが、その中で、戦前から戦後にかけて住民がどのような運命をたどったか、丹念に調査し詳しい資料が残っている地域があります。沖縄本島の西海岸、那覇からも近い浦添市小湾(こわん)地区です。ここには戦前90戸519名の住民が暮らしていました。1980年代後半、この地域の戦前の集落を再現するプロジェクトができ、地図やジオラマとして、一戸一戸の家をそこにあった植物までも細かく再現し、どんな人が住んでいたのかもわかるようになりました。その資料を基に、家族ごとの詳しいプロフィール(名前、年齢、いつどこへ移動したか、どこで亡くなったかなど)が書かれたカードが、子どもたちのグループに配られました。子どもたちのグループは「家族」となり、カードの裏に書かれた地図と、戦前住んでいた家の形、間取り図、部屋の作りにより、1人1人が「その人」になりました。

「家族」ができたところで、北上田先生から「戦前のある日曜日の朝です。それぞれの家族は何をしていただろう」と声がかかります。6年生の子どもたちはすっかりその気になり、自分の役割を演じます。サトウキビ畑に仕事に行く男性、朝ごはんの支度をする女学生とおばあ、赤ちゃんは小学生の兄に子守りをしてもらっています。ここでNHKスペシャル「戦争の記憶」を観ました。宮城千代さんが戦前を思い出して話をしています。

1940年に沖縄に神社が建てられ、44年8月には日本軍が進駐し、陣地を構築し始めます。多くの兵隊たちが沖縄に来るので、その食糧を確保するため戦闘員とならない子どもや年寄りは本土へ疎開するという計画が立てられたのもこのころでした。疎開船「対馬丸」が米軍の魚雷によって沈没し、子どもたちを含む1400名を超える犠牲が出たのは44年8月末です。戦争のための「人」が必要となり、小湾の人たちも移動を始めます。

ここで沖縄戦のときの行動別に、A~Gのグループに分かれ、時間が進むごとに動いていきます。家族のプロフィールにはその記号も書かれています。

まずAグループ。戦争が始まるもっと前に海外へ移民した人たちです。小湾からは中国やフィリピンなどへ移民する人が多かったそうです。今回は3人です。

1931年からいわゆる「15年戦争」が始まりますが、軍人として海外へ行った人たちがBグループ。中国、フィリピン、台湾、ボルネオ、ニューギニアなど、アジア・オセアニア各地へと向かいました。4人いました。

1944年から九州への疎開が始まります。多くの子どもたちが宮崎や熊本へと疎開しました。Cグループ、11人です。

ここでまたNHKの映像を観ました。子どもやお年寄りが本土へ疎開した後、残った人たちは軍に協力しなければならなかったのです。当時18歳で「防衛隊」になったという方は、「何でも国のため。国のためなら死んでもいいという気持ちだった」と語ります。日本軍は、沖縄決戦のために、17歳から45歳の沖縄の人たちを「防衛隊」として軍に協力させました。沖縄全土で約2万人いた、と言われています。アメリカ軍が撮影した「防衛隊」と見られる写真には、13歳や65歳の男性も写っていましたから、“根こそぎ動員”と言われるように動ける者はだれでも戦闘に参加させたのでしょう。こうして軍に協力した人たちはDグループ、12人です。

さらに沖縄の北部、ヤンバルに疎開した人たちは、小湾地区で130人ほどいたと言います。老人や乳幼児と母親たちで、ヤンバルには日本兵もたくさんいました。Eグループ11人です。

そして、1945年4月、いよいよ米軍が迫ってきたときに小湾に残留していたのはからだの弱いお年寄り達で、残るしかなかったのでした。Fグループです。南部に避難していったのはGグループ。

NHKスペシャル「戦争の記憶」では、4月28日、米軍歩兵部隊が小湾へ迫ってきたときのことを、宮城千代さんが語っています。「戦争は見たことがない。弾(たま)だけしかみたことがない。」と。

AグループからGグループまで、それぞれ生き残った人たちの証言集が手渡され、子どもたちは自分の立場の人の証言を読みました。「自分」が死んでしまったのか、生き残ったのか、捕虜になったのか、戦死したのだとしたらその時期はいつなのか、その記録も確認しました。

戦争が終わり、生き残った人たちは戻ります。と言っても、米軍により収容所へ入れられるのです。

南部へ避難したGグループの35人のうち、生き残ったのはわずか2人でした。家族全員が戻った家はほぼありません。一家全滅の家もたくさんありました。

小湾の人々の戦後が、今の小湾の写真と共に映像に映し出されます。収容所は沖縄の各地に作られましたが、小湾の人たちは北部の収容所へ入れられた人たちが多く、小湾地区はキャンプキンザーとなり、基地のゲートに阻まれて今でも戻ることができません。生き残った人たちも、72年間ふるさとに戻ることができないでいるのです。

キャンプキンザーにしろ普天間基地にしろ、沖縄戦の最中、住民から土地を奪って作った基地です。沖縄の米軍基地は、もともとそこに住んでいる人がいたところに作られた、ということ、「基地があることでお金を儲けている」ということを、もし小湾の人たちだったらどう思うだろう、と北上田先生は子どもたちに問いかけました。

当時、実際に暮らしていた人になり“ロールプレイ”をすることで、家族と離ればなれになること、大切な家族を亡くしてしまうことを肌身で感じることができたのではないかと思います。移民した人たちはほぼ命を落とすことがなかったこと、ヤンバルへ疎開した人よりも南部へ避難した人たちの方がたくさん亡くなっていること、なども時系列で動くうちに、はっきりとわかってきました。

終わった後、子どもたちからは、「家族全員が生き残ってよかった」「家族全員が亡くなって悲しかった」「宮崎へ疎開したけど帰ることができてよかった。疎開先でシラミをからかわれていやだった」「ごはんを取られて飢え死にしたなんて」と、まさにそこに生きた人としての感想が出ました。「人の生活史が削られてしまう。平等じゃないと思った」という意見は、“いのち”の重みを実感したからこそなのでしょう。

学習旅行2日目(今年は3日目)、南部戦跡を追体験した後、沖縄戦で犠牲になった人たちの名前が刻まれている平和の礎 では、「浦添市小湾」と表示されたところへ駆け寄り、「自分」の名前を見つけ、このワークショップの時のことを思い出している子どもたちもいました。

 

台風の影響で座間味島に渡ることができず、座間味で待っていて下さる平田ご夫妻から沖縄戦当時の証言を聞かせて頂くことができなかったのは残念でしたが、大浦湾に面したカヌチャベイのビーチで海遊びをし、グラスボートで辺野古の海の埋め立て工事が進む現場を目の当たりにしました。

お母さんが座間味で「集団自決」を目撃した宮城晴美さん、沖縄戦当時10歳で家族とともに南部を逃げまどい、10人の家族の中で1人だけ生き残ったとう玉木利枝子さんには、ホテルに来て頂いてお話を伺いました。南部戦跡での追体験には、元白梅学徒隊だった中山きくさんも白梅の塔の前で子どもたちに語りかけて下さいました。

いずれも戦争を体験した方たちからのメッセージを、子どもたちはしっかりと受け止め、こころに刻んだことでしょう。お礼に踊るエイサー、歌う「命どぅ宝」からも、そのことは伝わってきました。

3日目(今年は4日目)の夜は学級集会で学んだことを交流し、テーマを決めて話し合います。ここで語られる子どもたちのことばは、“ほんもの”に触れることで感じ取ることができたこと、仲間と一緒に体験したからこそ語り合うことができる内容でした。

またの機会に、子どもたちの沖縄での学びをお伝えしたいと思います。

 

「悲しいことから救ってくれるのは、人だよ」 ~温かい人と人の触れ合いを描き出した朝ドラ「ひよっこ」~

和光小学校 校園長ブログ

先月、NHKの連続テレビ小説(最近は朝ドラで通ってますね)「ひよっこ」が終わりました。脚本を書かれた岡田惠和さん、音楽担当の宮川彬良さんは、ともに和光の卒業生です。

岡田さん脚本の朝ドラは、2001年の「ちゅらさん」、2011年の「おひさま」に続き、三作目となります。NHK朝ドラでは初めて沖縄を舞台とした「ちゅらさん」では、底抜けに明るい沖縄の人たち、ヒロインが東京で暮らす一風館の人情味溢れる人たちが新鮮でした。 (さらに…)

抽象度が高いほど豊かな具体的な学びが大切 ~算数・数学で育てたい力~

和光小学校 校園長ブログ

*今年の研究課題

和光小学校、和光鶴川小学校は10年に一度の教育課程改訂を行っています。昨年2016年度、改訂された新教育課程をスタートさせました。

その第1の柱は、<引き続き「教科教育」「教科外教育」その基底となる「総合学習」の三領域で教育課程を編成し「学ぶ喜び」にあふれた授業づくり、教育づくりを進めます。>となっています。

和光小学校では、新教育課程一年目に続き今年も「教科教育」、その中でも「算数」を研究課題として取り組み、教材論の議論を改めて進めています。1時間の授業をどう作っていくか、低中高の各ブロックで教材研究を行い、授業研究を進めてきました。

11月18日(土)に開催する「第4回和光幼稚園・和光小学校合同公開研究会」では長年公立小学校で教鞭を執ってこられた市川良先生、大東文化大学の渡辺恵津子先生、元和光中学校教諭の榛葉文恵先生を共同研究者にお招きして、「算数」に焦点を当てた研究会を持つことにしています。

共同研究者の先生方には、条件が許す限り日常の研究会にも参加して頂き、私たちの授業作りの力量を高めていくお手伝いをお願いしています。9月中旬に行った3年生「わり算」の研究授業には、渡辺恵津子先生に参加して頂きました。

四則計算の最後に出会うわり算は、全体の量をいれものに配っていくと、1つのいれものにどれだけ入るか(1あたり量)を求める「等分除」を最初に学びます。21個のアメを6人に同じように分けると1人あたりいくつもらえるか、という問題がそうです。具体物であるアメも示しながら、半具体物としてタイルを使って実際に配り、1人に3個ずつもらえることがわかりました。

この日の授業は、わり算にはもう一つの意味である「包含除」があること、「等分除」と「包含除」のちがいがわかる、ということがねらいでした。「等分除」の問題を解いた後、23個のアメを1人あたり4個ずつ配ると何人まで分けられるでしょう。という問題を考えました。子どもたちには一人一人が手元でタイルを配ることができるようにタイルとアメをもらうお皿が配られ、それぞれ配ってみました。

渡辺先生からは、ねらいをどこにおくのか、子どもたちに何を発見させるのか、ということ、授業書で示されている数字とはちがう数で問題を設定していたがそれでよかったかどうか、「包含除」は5時間で扱うがその中には子どもたちが“問題作り”をする時間を取るといい、というような助言をいただきました。

和光の両小学校では、算数のカリキュラム作りの中で教材をどのように配置し、それぞれの単元をどのように授業作りをしていくか、民間教育研究団体での研究会などでも学びながら30年以上前から「授業書」を作り、改訂を重ねています。「授業書」は子どもたちに手渡しますが、授業でそのまま使う場合もあれば、それぞれの教師が「授業書」を元にプリントを作って授業を進める場合もあります。

算数の教科目標は「現実世界と算数を切り結んで考え、解き明かしていける力をつける」としています。子どもたちが“解き明かしたくなる”場面とは何か、を教師は常に考えながら授業の準備をするので、その学年、そのクラスの状況に応じたプリントを作り、教材、教具を準備することが、大切になってきます。しかし、「授業書」の中で扱う数字には、その演算の意味を子どもたちが理解し次のステップに進むために、これ、と設定してきた理由があることも、今回のわり算の授業研究の中で納得できました。

 

*榛葉文恵先生の教育講座

「算数(数学)っておもしろいんだね!~算数・数学で育てたい力~」

和光小学校では保護者の皆さんに教育内容、授業についてより深く理解して頂くために、年に数回教育講座を行っています。

9月の授業公開の後の教育講座は、今年度公開研究会の共同研究者のお一人である榛葉先生にお願いしました。

榛葉先生には、2014年度の公開研究会でも共同研究者をお願いし、その時、教員向けの講座も行って頂き、私たちが算数教育の目標としてきた“現実世界と算数を切り結”ぶとは何か、と正面から問題提起されたことを印象深く思い出します。

今回は和光小学校、和光幼稚園の保護者の皆さんに、和光小学校の算数の考え方、そこでの学びが中学、高校の数学にどのようにつながっていくのかを、和光中学校で40年間数学を教えてこられた榛葉先生に語って頂きたい、と思いました。

榛葉先生は和光学園と校風が近い明星学園のご出身です。和光中学を退職されてからは大学でも数学科教育法を教えていらっしゃいます。また、民間教育研究団体の一つ「数学教育協議会(数教協)」にも50年以上係わってこられました。数学研究の中で、折り紙を使った算数、数学の面白さ、有効性から「折り紙数学・折り紙算数」の研究会も立ち上げられ、活動を続けていらっしゃいます。

教育講座では、算数・数学とはどのような特徴を持った学問か、といきなり本質的なところから話し始められました。

算数・数学は、自然科学の中でもより抽象的な学問です。“抽象”に対するものは“具体”であるということを確かめた上で、数学者・遠山啓(とおやまひらく)氏の「山は高ければ高いほど、その土台となる裾野は広く豊かである。」ということばを紹介して下さいました。つまり、抽象度が高い学問ほど、“具体”をたくさん学ぶ必要がある、ということです。和光小学校の算数教育の目標「現実世界と算数を切り結んで考え、解き明かしていける力をつける」というのは、まさに現実世界を読み取ることで抽象的な算数・数学の世界に結びついていくということです。 数の背景には「量」があり、量の背景には「実在」、つまり具体物があります。この、“具体”と“抽象”を行き来できる力こそ、数学的認識に結びつくものです。その力をどのようにしてつけるのか。キーワードは「同じ」と「ちがう」。“共通”を探すと抽象度が上がっていく、ということを、チューリップ→花→植物→生物→物質→宇宙・・・ と参加されたみなさんといっしょに考えながら確かめていきました。

1つの柿の中にどのような量があるか・・・重さ、長さ、体積などなどいろいろな属性があることに気づきます。客観的に比較可能な性質としての属性を取り出すことが“抽象”に近づいていくことです。

また1枚の折り紙を使って「裏が見えないような折り方をして面積を半分にする」ことに参加されたみなさんといっしょに挑戦しました。頭を柔らかくして考えていくといくつかの方法を思いつきますが、こうして図形の世界に入っていくのは、とても楽しい時間でした。

和光中学の1年生で、エッシャーのペガサスから連続する図形を子どもたちが考えて作品に仕上げていく実践、デカルト座標を使って基本のスヌーピーの絵をさまざまに変化させ、そこに子どもたちが物語を作り出していく実践、など、どれも数学の世界でたっぷり楽しんでいる子どもたちの姿が目に浮かぶようでした。(エッシャーの連続図形の作品の中に、和光中学在学当時、榛葉先生に数学を習ったという和光小学校のM 先生のものがあり、会場のみなさんで盛り上がりました。)

榛葉先生の軽快でわかりやすいお話に、すっかり算数・数学の魅力に虜となり、私もこのような授業を受けてきたら、もう少し数学の楽しさを味わうことができただろうに、と残念な思いもしました。

そういえば、「和光生は数学が好きな生徒が多いよね」と、和光高校の先生から聞いたことがありました。私の三番目の子どもも小中高と進むうちに、数学のおもしろさにとりつかれ、今は某女子校で数学の教員をしています。

どんなに遠回りをしても本質を学ぶことのおもしろさを体験すると、迷ったときはそこに戻ることができ、次のステップに進むことができます。学ぶことが楽しいと思う、もっと知りたい、解き明かしてみたい、と思うことができれば、子どもたちは自分から学びに向かっていきます。

和光で大切にしていることを、再確認することができる、そんな教育講座でした。

 

3年生「わり算」の学習

和光小学校の算数は、数字の計算ができればいい、とは考えていません。「量」を実感し、その数字が何を意味しているか、を1年生の時から大切にしています。 2年生で学習する「かけ算」は、1あたりの量がわかれば、それがいくつ分あるかで全体の量がわかるという「かけ算」の意味を、具体物をたくさん使いながら実感していきます。「1箱に6個入っているアメが3箱あると、アメは全部でいくつでしょう」という問題は、6個/箱×3箱(6こパーはこかける3はこ)の式で表します。具体物と数字をつなぐものとして、半具体物であるタイルを使い、「量」を実感しやすくします。

3年生で学習する「わり算」は、全体の量÷いくつ分で1あたり量を求める計算、として出会います。「アメが全部で13個あります。4人に同じように分けると1人あたり何個もらえるでしょう。」という問題は、13個÷4人=3個/人あまり1個 となります。このわり算を、平等に等しく分けるという意味の「等分除」と言います。

“わり算は1あたり量を求める計算”ということをじゅうぶん学習した後、もうひとつのわり算、「包含除」を学習しました。「アメが全部で13個あります。1人あたり4個ずつ配ると、何人に配ることができるでしょう。」という問題。これまでわり算は全体の量÷いくつ分だと思っていた子どもたちは、式を立てるところで混乱します。そこで登場するのが“タイル算”。実際にタイルを配って答えを出すところから、もう1歩数字の世界に近づきます。「等分除」では、入れ物(いくつ分)を書いて、その中にタイルを1個ずつ配っていきます。1つの入れ物に入っているタイルの数が答えとなります。でも、この問題では入れ物の数、つまりいくつ分がわからないので、1つの入れ物にタイルを4個ずつ配りながら、1つずつ入れ物をふやしていくことになります。タイルを配り終わったところで入れ物がいくつあるか、が答えです。

数字だけでは13÷4という計算ですが、1あたり量を求める問題といくつ分を求める問題では、その意味は全く違ってきます。

3年生は「包含除」の学習をした後、この2つのわり算に名前を付けました。

「等分除」には、<1あたりタイプ>(1あたり量を求めているから)、<ふつうのわり算>(これまでやってきたから)、<あんしんタイプ>(みんながもらえて安心だから)という考えが出て、どれにするかみんなで考えました。その結果、<あんしんタイプ>に。

「包含除」には、<いくつ分タイプ>(いくつ分を求めているから)、<新わり算>(新しいわり算だから)、<スーパーわり算>、<ドキドキタイプ>(もらえるかどうかわからないから、配るまでわからない、ドキドキ!!)。こちらは、<ドキドキタイプ>となりました。

どういう計算なのか、自分たちが一番イメージしやすいことばで表すことは、計算のタイプを分類し、印象づけるために有効だと考えています。子どもたちは、2つのわり算に名前をつけることで、わり算には1あたり量を求めるわり算といくつ分を求めるわり算があることを理解することに結びついたことでしょう。

 

6年生「単位あたり量」の学習

私たちは、算数の有効性を発見し、算数と現実世界を結ぶことを大切にしています。そのために、低学年では1つ、2つと数えられる量、分離量の世界を学びます。整数の加減から十進構造の理解に結びつけます。中学年では、乗除法を学び、小数の学習で十進構造の理解を深めます。さらに長さ、重さ、面積といった連続量の世界に入っていきます。そして高学年で分数と出会います。“はんぱ”で“はんぱ”を測りとることから生まれた分数は、これまで学んできた数の世界とはまったく別の世界になります。さらに「単位当たり量」として学習するこみぐあい、単価、濃度、速度といった2つの量の関係を表す内包量の世界に入っていくのです。

6年生の2学期、いよいよ「単位あたり量」の学習が始まりました。こみぐあいの学習では、「混んでいるのはどんな時?」という先生からの問いかけに、「朝の電車」「休日の遊園地」など、生活体験の中からいろいろなの声が上がりました。その後、校内の3カ所の部屋に入り、そこが混んでいるかどうか、どのように感じたのか、交流しました。やはり感じ方は分かれました。同じ部屋に入っていても、混んでいると感じる人もいればそうでもないと感じる人もいる、人の感じ方はそれぞれなのだ、とうことを確かめることがねらいでした。

次の時間、体育館でマットゲームをしました。2枚から4枚のマットで作った「島」を準備し、まずは「一番混んでいる島に乗った人が勝ち!」と先生が声を掛けます。30秒後、クラスのほとんどの人が1つの島に乗りました。次は「一番すいている島に乗った人が勝ち!」としました。子どもたちは周りを見ながらギリギリまで様子をうかがい、30秒後、4つの島に分かれました。「どこがすいていると思う?」と声を掛けると、ここでも意見が分かれました。では、どうやって「一番すいている島」を決めればいいか、その時の様子を撮影した映像を教室で再現し、それを見ながらプリントの「島」に1人を1枚のドットシールで表して貼っていきます。

2枚の「島」3枚の「島」4枚の「島」2枚の「島」にそれぞれ乗っていた人の数をドットシールで貼ると、同じ枚数の「島」どうしでは、人数が多い方が混んでいることがわかります。でも枚数が違い、人の数も違うとどのようにして比べればいいでしょう。子どもたちはあれこれ意見を出し合いながら、1枚あたりに何人乗っているかを計算すれば、どの島が一番混んでいるかがわかる、ということに気づきました。

こみぐあいでは、3つの公園の面積と遊んでいる子どもの数で混み具合を比べるという問題に取り組みます。500㎡に40人、300㎡に30人を比べるとき、子どもたちはまず500㎡÷40人、300㎡÷30人で答えを出そうとします。出てきた答えの数字が大きい方が混んでいる、としてしまうのですが、この計算で出てくるのは㎡/人、つまり「1人あたり何㎡」か、ということです。これは1人の人のまわりにある空間の広さとなりますので、大きい数の方が「すいている」ことになるのです。

式を立て、その式の意味をみんなで考えあっていくうちに、そのことに気がついていきます。ここでも、低学年の時から式につけている“数の名前”が大切になってきます。

人口密度を学ぶと、地図帳の資料として載っている都道府県の人口密度、各国の人口密度からその地域がどのような場所であるか、考えを巡らすことができます。このように「単位あたり量のメガネ」で世の中のことを見てみよう、と呼びかけました。

ダーツゲームで“命中率”を競いました。5つの班が、それぞれ形も大きさも違う的に向かってダーツを投げます。1人10回ずつ、班で50回のうち何本的に当たったかを出してみると、1番数が多かったのは3班。「29本当たった3班が一番上手だったということだね」、と先生がまとめようとしたところで、「的の大きさが違う!」と声が上がります。的を同じにしてもう一度やり直す、という意見も出たそうですが、「この結果から考えられない?」という先生の投げかけにさまざまな意見が出て、1c㎡あたりの本数で比べることに行き着きました。本数÷c㎡で計算すると、144c㎡に21本刺さった5班の勝ち、となりました。条件をそろえる= 1c㎡あたりで考えることの大切さと便利さに子どもたちは気づいた、と言います。Hくんの“ふりかえり”には、「算数はつかえる」と書いたそうです。

単価の学習では、スーパーのチラシで、サケの切り身やブドウ、牛肉など、どちらのスーパーの方が安いかを比べます。主要都市の住宅地の平均価格(1㎡あたり何万円)、各国の米、麦などの小売価格(1㎏あたり何円)、先進国と発展途上国の1人あたりGNP、1人1日あたりのカロリー摂取量、1人あたりの乗用車の普及率・・・・などなど、さまざまな資料も「単位あたり量のメガネ」をかけて見ると、社会の構図を読み解いていくことができます。

「算数はつかえる!」という感覚を持つことは、この単元の大きなねらいであり、まさに学ぶことが生きる力になる、ということを子どもたちが実感する瞬間なのです。

「へいわって、あさまでぐっすりねむれること」~絵本作家・浜田桂子さん講演会に参加して~

ブログ担当 校園長ブログ

「美術教育を進める会」の全国集会が和光小学校を会場に開催されました。

大会3日目には、絵本作家、浜田桂子さんの記念講演があり、和光小学校の教職員、保護者の方々をご招待頂きました。

 

浜田桂子さんの作品は、赤ちゃんの誕生を楽しみに待つ家族の姿を描いた『あやちゃんのうまれたひ』を印象深く覚えています。2年生の「たんじょう」の学習のとき子どもたちに読み聞かせることにしていたのですが、 (さらに…)

自分のからだも、友だちのからだも 大切にできる子どもたちに ~幼児期に育みたい“からだ観”~

和光小学校 校園長ブログ

幼稚園の年長の子どもたちに、今年も「からだのはなし」をしました。

和光幼稚園の年長の子どもたちは、7月に二泊三日の合宿に出かけます。

合宿ではお風呂、着替えなど自分や友だちの「からだ」を意識する場面があります。水泳で水着に着替える時もそうですが、友だちと自分のからだ、女の子と男の子のからだに、子どもたちは気がついていきます。 (さらに…)

“子どもたち自身がどう考え、どう対応するかを折に触れ考え合っておくことが、また次の様々な場面に対応する力を育てていく” ~日々の生活の中で起こることから学ぶ~

和光小学校 校園長ブログ

小田急線経堂駅から学校までは大人の足で10分あまりの道のりです。私が出勤する頃はまだあまり多くの小学生と一緒になることはないのですが、時々話しかけてくれる人たちもいます。

この間のこと。2年生のBちゃんと1年生のCちゃんが歩いているところに追いつきました。二人は通学路が同じなので、朝はよくいっしょに登校しています。私といっしょになることも何度かあり、今日発表する物のこと、おうちでのことなど話してくれます。

この日は、「ねぇねぇ、私たちおいしいもの食べたんだよ。」とCちゃんが話しかけてきました。「おいしいもの?」と聞くと、「Bちゃんが持ってきた<さくさくぱんだ>。経堂駅のトイレで食べたんだよ。ねぇ~」とCちゃん。駅のトイレ?と思っていると、2年生のBちゃんが「おいしかったよねぇ~。」と言いながら私の表情に気づいたのか、「あ、これね、誰にも言っちゃダメだよ。」と唇に人差し指を当てました。 (さらに…)

「自分の命と引き替えにでも あの写真を残さないといけないと思う勇気に感動した」 ~6年生が学ぶ日本の歴史・総合学習「沖縄」~

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身近な人から学ぶ歴史

6年生は「お父さん、お母さんが生きてきた時代」「おじいちゃん、おばあちゃんが生きてきた時代」と題しておうちの人に聞き取りをします。その時代に起こった大きな出来事、印象深い出来事など聞き取ったことを出し合い、それを戦後の歴史学習の入り口にしています。

もう十数年前になりますが、私の子どもが鶴小の6年生だったとき、父親である私の夫は、「戦争や平和に関する出来事」として「背嚢(兵隊が背負うカバン)」を挙げ、 (さらに…)

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