“雲になごむ光、をさなき我が空” ~和光学園校歌に寄せて~

和光小学校 校園長ブログ
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和光学園が誕生したのは、1933年(昭和8)11月10日です。
<その日の朝、空は青く澄みわたり、陽は燦然と輝いていた。東京世田谷の経堂駅の南へ徒歩数分のところにある“大橋”のたもとにあった予備校の玄関前に、7名の教師と33名の子ども、そして父母たちが集まって小さな私立小学校を発足させたのだった。敷地もなく校舎もなく、そのうえ学校の名すら未定のまま、教師と子どもと父母だけで新しい学園をつくったのだった。>と『和光学園五十年』の冒頭にあります。
“大橋”とは、現在の「経堂駅入口」の信号のところです。当時、城山通りは川であり、その上に“大橋”がかかっていました。私が和光学園に赴任した頃、町名版はまだ「経堂大橋」でした。
敷地もなく校舎もなく、学校の名前すら決まっていないところで、新しい学校を創ろう、と集った7名の教師と33名の子どもたちとその父母たち。校長に予定されていた吉田慶助氏は、そこで「メイフラワー号」の話をしたと言います。300年前、自由の天地を求めて新大陸アメリカに渡った清教徒たちの話でした。舟に乗って新しい天地の開拓に志した人々の希望と決意を、新しい学園をつくるためにそこに集まった人々と共有したいと願ったのでしょう。

1933年といえば近代日本の歴史における激動の年でした。前年にはいわゆる五・一五事件で犬養首相が青年将校により射殺され、この年の3月、日本は国際連盟を脱退し国際的孤立を深めていきます。ドイツでヒトラーを指導者とするナチスが政権を獲得したのはこの年の1月でした。教育労働運動や民間教育運動が厳しい弾圧を受けるに至ったのもこの年で、「滝川事件」が起こり、学問の自由と大学の自治が強力なファシズム権力に押しつぶされてしまうことになります。
そのような時代背景の中、「成城学園事件」といわれる事件が起こりました。和光学園はその過程で誕生することになるのです。
成城学園は、前京都帝国大学総長、沢柳政太郎氏によって、1917年、わが国初の教育改造運動の「実験学校」として創設されました。そして大正デモクラシーの潮流に支えられて展開し、自由教育のメッカとしての役割を果たしてきたと言われています。
1933年春から秋にかけて、その成城学園で「紛争」が起こります。高校生、父母たちも巻き込んでの事件となり、警視庁捜査課、文部省、府学務課(当時は東京府)が乗り出すまでになりました。事件を嘆いて、父母の一人であった北原白秋は数多くの歌を詠んでいます。

このような状況の中、9月20日、弘重寿輔を仮委員長とする「新学園設立準備委員会」は、成城小学校の全父母に新しい学園をつくるための呼びかけを行いました。
この時集まった父母たちがどのような思いで新しい学園の構想と理念について語り合い、学園設立への熱意を高めていったのかは、またの機会にご紹介したいと思います。
呼びかけを行った5日後の9月25日、全児童約400名のうち250名の退学届が一挙に成城小学校長宛てに提出されました。大部分が新学園設立の呼びかけに応じてくれるかと期待したのですが、新学園の設立に集うのは、7名の教師と33名の子どもたちとその父母たちとなり、吉田慶助氏を校長に迎えて、まことにささやかな規模での新学園の発足となりました。

校地を「世田谷区世田谷四丁目六二五番地」に選定したのは12月初旬のことでした。周りには麦畑が広がっていたと言います。地鎮祭のときは冷たい北風が吹き、参列者は襟をそばだてました。この学園の発展を心から期待していた北原白秋も建設現場にしばしば足を運んだということです。
当時を思い出して吉田慶助氏は次のように書いています。「材木が運び込まれた時の子どもたちの喜びはたとえようのないものだった。和光の名前が私の頭にひらめいたのも、この前後である。いつものように何か考え事をして大橋の袂へさしかかった。と朝の太陽が和やかに輝いて私の心を射た。和光、と思わず叫んだ、のがそもそもの起こりである。」(『和光』1934年7月発行 新仮名遣いにしています)
<吉田は東北帝国大学で哲学を学び、漢学の素養もゆたかな人であったから、「和光」ということばが、中国の古典『老子』にある「和其光同其塵」、すなわち「和光同塵」に由来している、ということを熟知していたにちがいない。それは「自分の知徳の光を和らげ隠し、世の塵俗の中に混じていること」を意味しており、彼の謙虚で実直な人柄にもなじむことばであった。>と中野光(あきら)氏(元和光大学教授)は『和光学園五十年』に書いています。
和光学園の校舎が落成したのは、明けて1934年(昭和9)3月20日、その3日後の23日に東京府知事により設置認可の通知がありました。4月2日には新校舎への移転が完了、記念植樹がなされ、4月5日に小学校の入学式、4月20日には幼稚園の入園式が行われます。そして4月29日には「和光学園開校祝賀式」が挙行されました。そこで披露されたのが、北原白秋作歌(作詞)、山田耕筰作曲の「和光学園校歌」です。

私が和光学園に赴任した頃は、入学式や卒業式には「ひとつぶの種」が歌われており、11月の創立記念日の頃、「和光学園には校歌があります」としてこの校歌が紹介され、音楽の時間に歌ってみる、ということが行われていました。
「和光学園校歌」を歌うたびに、新学園創立に希望の光を見いだした当時の教師、父母たちの願いが迫ってくるのでした。

和光学園校歌

作歌 北原白秋
作曲 山田耕筰

1.雲になごむ光、
をさなき我が空、
梢窓に見えて
新し、すべて明れり。
つどえよ、きそへ、われら。
かがやけこの丘、
和光学園。

2.土に映る光、
をさなき我が影、
育つものは伸びて
豊けしかをるまごころ。
磨けよ、学べ、われら。
かがやけこの丘、
和光学園。

3.常にあほぐ光、
をさなき我が夢、
瞳日々に燃えて
勇まし友と正しく。
鍛へよ、努め、われら。
かがやけこの丘、
和光学園。

みなさんにお聴かせする機会がありましたら、その時また。

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