「決断一つで守れるいのちがたくさんある」 ~3・11の日に学ぶ、考える~

和光小学校 校園長ブログ
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例年なら卒業式を行う頃ですが、今年の卒業式は322日、3学期終業式は24日としました。3月になって、夏に行うことができなかったキャンプに向けての取り組み(テント貼り実習、屋外での調理活動)を、56年生縦割りで行い、小学校での最後の日々をできるだけ充実した毎日になるよう、日々学習、活動を進めている6年生です。

卒業式で「みなさんが和光小学校に入学したのは東日本大震災直後、原発事故による放射能汚染の不安を抱えながらスタートした小学校生活でした。」と話したのは、もう4年前になります。今年の6年生は当時2歳。東京でも地震による被害と何よりも東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染が広がる中での不安な日々を実感している人は少ないでしょう。3年生以下の人たちにとっては生まれる前の出来事となっています。

和光小学校の総合学習には、「トピック学習」として位置づけているものがあります。「3・11を学ぶ」もその一つ。毎年学年ごとに学習を組んでいますが、3・11から10年となる今年も、多くの学年が311日に授業を行いました。

1年生は、生まれる前のことですが、おうちの人に聴いたりして知っている人もいました。<地震の後の津波のことや火災が起こったこと、原発事故のことなど、それぞれがポツポツとつぶやく断片的な情報からも、なんだかすごく大変なことが起こったのだということがわかったことと思います。>と授業の様子が学級通信に紹介されています。二冊の絵本を読みました。『つなみ てんでんこ はしれ、上へ!』<子ども向けに書かれた絵本ですが、絵に迫力があるし「ちょっと怖いな・・・」という印象を持った人もいました。どうやっていのちを守ったかが伝わってきます。>(学級通信より)『きぼうのかんづめ』<石巻の缶詰工場と経堂がつながっている・・・地震、そして津波のあとサバ缶をめぐって起きたことが1年生の目を通して描かれています。「いい話だった~」と言っていました。>(学級通信より) ともに1年生にわかりやすい絵本でした。

2年生は担任が前任の学校での写真を見せて話をしました。訓練ではない本当の「避難」をしたのは初めてだったという山下先生、<テレビから流れてくる映像が、Mちゃんのママが言ってるように、映画みたいで、現実のものとは思えませんでした。映画みたいに「うそ」ならいいのに・・・。今も津波の映像を見ると心がザワザワします。>(学級通信より) 2年生は、「きいてみよう、3・11おうちの人はなにをしていた?」という聞き取りの取り組みをしました。10年前のあの日、<パパとママはひっこしのまっさいちゅう・・・><ちばけんにいてお兄ちゃんをだっこしておかいものにいくところだった。・・・スーパーの中にはいったらものがぐちゃぐちゃだった。・・・><ママはしごとででかけていて、でんしゃの中でじしんにあった。そのあと2じかんあるいてかいしゃへかえった。・・・> <ママは六本木のびょういんでおしごと中。かさいほうちきがなって、かいだんをおりてひなんした。いえまで5じかんかかった。>などなど、おうちの人から聞き取ったことを書いて交流しました。

3年生は先週時間が取れず、これから行う予定です。

4年生の学級通信には特別授業「3・11を考える 3・11から考える」の授業プリントが紹介されています。<死者15900人、行方不明者2525人、震災関連死3775人、避難生活41000人>の表には、<人数の多さで見てはいけないね。一人ひとりに命があり、家族があり、生活がありました。>(学級通信より)と書かれています。3年生の時はねこ踊りのお祭りに参加した人たちは、津波による大きな被害を受けた宮城県石巻市の大川小学校を訪問し、「伝承の会」の方からお話を聞いています。その時聞いたことを思い出し、当時の被害の大きさに想いを馳せました。授業では4年生の子どもたちと同じ年齢(当時)の子どもたちが震災直後に書いた作文を読みあいました。<その日のリアルな状況が伝わってきます。とても真剣に聞いてくれ、考えてくれました。大切なのは、他人ごとでなく、過去のことでなく、現在起きている自分ごととしてとらえることだと思っています。>(学級通信より) 10歳で被災し、お母さんがまだ見つからないと作文に書いた千代さん、5年後に千代さんが書いた作文も読みました。<「半年後にお母さんが見つかった」の意味がよくわからない感じの子どもたちでした。そしてさらに「うれしかったのですが・・・」ということばに、とても複雑な気持ちにさせられ、考えました。やはり、被災者にとっては、過去のことではないのです。>(学級通信より)

5年生は当時0歳~1歳、<みんなには記憶はないかもしれないけれど、その日から10年。それまでの生活といろんなことが変わった10年でした。>(学級通信より) 担任が体験した当時のこと、新聞記事を紹介しながら特別授業を行いました。この日、Yくんは生活ノートに向かいました。「今日は3・11でした。ぼくのおばあちゃんは福島に住んでいて3・11があってから家がなくなって神奈川県に住んでいます。3・11の日に1回ぼくのおじいちゃんが行方不明になりました。だけど、おじいちゃんは会社の近くの避難所にいたそうです。ぼくは3.11の時、おかあさんがベビーカーをおして友だちの家へ行きました。今日NHKスペシャルを見て、津波の被害がすごかった。治まってから被害の後があるところにNHKが定点カメラをおいて復興の様子を撮っていたそうです。復興はすごかったけど、原発10キロ圏内はずっと変わってなかったです。」 Sくんは「今日は3・11東日本大震災の日。・・・ぼくが生後1歳のニ日前、津波もとてもひどかったらしいけど、原子力発電所の爆発が一番ヤバかった。放射線はコワい。とってもコワい。・・・自然って大きな力だな~って当たり前のこと、改めて思う。」と書いていました。

6年生は語り部バスを取り上げたNHKの「クローズアップ現代+」を観て考えました。バスで現地を案内しながら「語り部」として震災、津波のことを語り続けている取り組みを紹介した番組でした

「避難しようと決めていたところが、実際には危険だったからもっと高いところに逃げようとしたのはすごいと思う。それで本当に人の命を助けられたのは、その判断が合っていたということだと思う。だから、その時のとっさの判断が最終的に大切だし、必要だと思った。」(Kさん) 「“想定外”とは本当にコワいなと思った。戦争でも地震でも伝えていくのは大事だと思った。結局はその時の判断が大事なんだなとわかった。核(原発)は恐ろしいと思った。」(Mさん) 「津波が海ではなく山から来ることがあるなんて思わなかった。高台に逃げてもそこにも津波が来るかもしれないから安心せずにさらに高いところに逃げようと思った。」(Fくん) 「決断一つで守れる命がたくさんある。自分が当時いた場所は東京だったから津波を体験していないけど、今回映像を観てとても怖かった。観ただけでも恐ろしいから、実際にその場にいた人、体験した人たちはもっと怖かったと思う。自然災害だから誰にも想定できない。だからこそ避難訓練が大切なんだと思った。」(Yさん)

子どもたちが書いた感想をNHKに送ったら、担当の報道局報道番組センター社会番組部チーフ・プロデューサーの赤上(あかがみ)さんから6年生の子どもたちに向けてお手紙をいただきました。赤上さんは、昨年、4年生のお嬢さんを連れて語り部バスに乗ったけれど、大人はここで何が起きたのか想像はできても子どもにはほとんど想像すらできない様子であったことから、ここであったことをしっかりと知ってもらえる番組を作りたい、と思ったのだそうです。「ですので、私が本当に届けたいと思っていた、震災を知らない、あるいは覚えていない子どもたちに観てもらえ、そして当時のことを知ってもらえたのは、本当にうれしいです。」と書いていらっしゃいます。2013年から仙台局に赴任された赤上さんは、多くの方を取材し報道を続けました。「大切な人を亡くした悲しい気持ち。毎日、当たり前にいるはずだった人が、突然いなくなることの割り切れない気持ち。中には、いまだに見つかっていない方もいます。同じ経験は繰り返してほしくない。その気持ちを被災したみんなが持っていること、ぜひお伝えさせてください。そしてそのためにも、まずは皆さんが過去の災害を知り、そこからしっかりと命を守る。大切な人の命を守るために、まずは自分の命を守る。このことを、これから心の片隅に入れておいていただけたらと思います。自分にとっての大事な人の顔を、思い浮かべてみてください。」 赤上さんからのメッセージです。

私は当時和光鶴川小学校の6年生を担任していました。あの日は午前中、12年生と6年生が遊ぶ会、午後は3年生以上が体育館に集まって「6年生を送る会」を行っていました。3年生、4年生からのクイズなどの出し物が終わり、5年生による寸劇を準備している時でした。大きな揺れがしばらく続き、立っていられなくなりました。6年生は山台を組んだひな壇に乗っていましたが、そのひな壇は体育館のほぼ中央に設置されており、私のクラスには車いすに乗った子どもがいたため、車いすが落ちないように必死で押さえていました。しばらくして一旦揺れが治まったところでカメラマンの方に手伝っていただいて車いすをおろしました。グランドに避難していると、余震によって屋上のプールから何度も水が降ってきました。各家庭からのお迎えを待ち、停電の中、日が暮れると体育館の中でキャンプ用の発電機で電灯をともし、生協に勤めていらっしゃった保護者から差し入れていただいた食料品を、キャンプ用具で調理して食べました。11時近くになってもお迎えに来ることができないご家庭が20家庭ぐらいはあったでしょうか。和光小学校はインフルエンザによる学校閉鎖中で、鶴川方面に住んでいる何人かの教員たちが車に乗り合わせて様子を見に来てくれました。深夜12時を過ぎてようやく電気が復旧し、会議室で泊まることになった数名の子どもと何人かの教員が朝まで学校で過ごしました。

和光小学校へ異動してからも、毎年「6年生を送る会」を迎えるとあの日のことを思い出さずにはいられません。

昨年は急な臨時休校で、「送る会」はできませんでしたが、今年は本日、グランドに全校の子どもたちが集って行いました。6年生は、例年のように入学式で手をつないで入場してきた1年生といっしょに壇上に登ってあいさつします。その後、3年生以上が体育館に移動して「思い出のスライド」を観ました。1年生の頃から今までの一人ひとりの姿をこころに刻んで。いつもは子どもたちがつくるアーチをくぐりますが、今年は目の前を通り過ぎる6年生を拍手で送ります。

今年度はコロナ禍という“災害”に見舞われた1年でした。その中でまっすぐに前を向いて進んでいく子どもたちの姿は、春の日差しの中で輝いていました。

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