「ハイビスカス(仏桑華)を見ると戦争を思い出すって よほど悲しいことなんだな、と思った」 ~沖縄を学ぶ子どもたち その1~

和光小学校 校園長ブログ
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緊急事態宣言が5月末まで延長されることになりました。感染対策をしっかりして学校生活、園生活を進めていきたいと思います。

小学校は5月末の運動会に向けての取り組みが始まっています。6年生のチームリーダー、5,6年生のサブチームリーダー選出には毎年熱い選挙戦が繰り広げられ、それぞれに選ばれたリーダーたちは悔し涙を飲んだ仲間の分までしっかりとやっていきたいという決意が、週末に行われたチーム集会での表情に表れていました。

 

さて、6年生は総合学習「沖縄」がすでにスタートしています。学級開きでの担任からの“プレゼント”で、いよいよ6年生になったんだという気持ちになり、その後は「入門講座」として、何人かの教員からいくつかのテーマでの授業を受けます。例年トップバッターは、沖縄学習旅行に同行する校長からの特別授業です。

5月末まで休校だった昨年は校長による入門講座を行う余裕はありませんでしたが、今年はクラスごとに“「沖縄」を学ぶ君たちへ”と題して授業をさせて頂きました。

和光小学校が総合学習「沖縄」を開始したのは1987年。私は81年4月から和光学園に勤務していましたので、それまでの総合学習「広島」を「沖縄」に変更する論議をよく覚えています。

当時、幼小中高の園長、校長であった丸木政臣先生は毎年のように教職員を連れて沖縄への旅を企画し、私も和光幼稚園に勤めて2年目の冬、両幼稚園の教職員十数名での“学習旅行”に連れて行って頂きました。それに先立ち数回の学習会があり、大江健三郎の『沖縄ノート』を読みふけったことを覚えています。

私が小学校に配転した84年、職員会議では、すでに丸木先生から提案されていた「広島」から「沖縄」への議論を重ねていました。当時の高学年担任を中心に学習旅行の下見を重ね、総合学習「沖縄」を始めるに当たってのレポートが検討されます。原爆が投下された広島の地を訪れ、被爆された方の証言を聞くなどの活動は戦争の実相を知る上で大きな意味を持つものでしたが、被爆者の方々のご高齢化と広島の街の近代化なども進み、戦争を実感することが難しいなどの課題も浮かび上がってきていました。

一方で先の大戦で唯一の地上戦が行われた沖縄は、住民が道連れにされ、南部には防空壕として多くの避難民が戦火を逃れ、また旧日本軍の病院壕としても使われたガマがあります。戦後は1972年の本土復帰を果たすまで長期に渡ってアメリカの統治下おかれ、今なお多くの米軍基地が存在しているのが沖縄でした。

よく“沖縄をみると今の日本が見える”と言われますが、沖縄を学ぶことで戦争とそれにつながる軍事基地の問題にも目を向けてもらいたいというのが教員たちの想いでした。

当時は高校生でも航空機を使った修学旅行をしているところはまれで、ましてや小学生が飛行機に乗って沖縄まで行くことに懸念を示す声もありました。それでもこの学習の意義を保護者のみなさんにも理解して頂き、いよいよ実施に向けて準備を進めていた矢先の1985年8月、日航機墜落事故。沖縄学習旅行は先送りとなりました。

それでも総合学習「沖縄」を何とかして実現したい、と準備を進め、1987年、ついに和光小学校の6年生は沖縄に旅立つことができたのです。

今年の“「沖縄」を学ぶ君たちへ”は、和光小学校に総合学習「沖縄」が位置付くことになったいきさつと、そのきっかけとなった丸木政臣先生の戦争体験から話を始めました。

丸木先生が1989年に上梓された『歌集沖縄』の扉には達筆でいらっしゃった丸木先生自筆の一首があります。「道端に仏桑華の花あかし 血の色のごとここは沖縄」

「仏桑華」には「アカバナ」、「沖縄」には「ウチナー」とそれぞれ沖縄方言のふりがな。真っ赤なアカバナ、つまりハイビスカスの花も添えられています。

自身も沖縄へ行くはずだった丸木先生は、直前に新型速射砲の訓練を受けるようにとの命がおり千葉へ行くことになりました。『歌集沖縄』には、「その後、わたしが沖縄に渡る頃には、爆撃が頻りで輸送船が編成できず、ついに沖縄赴任を断念せざる得なくなったのである。沖縄に赴いた知念清一や松田和友、仲村正儀らは、どこで戦いどうなったのか。その消息は全くつかめない。わたしは幾度となく沖縄戦の跡を訪ね歩いたが、その死に場所すらも判らない。」とあります。

6年生の子どもたちには、戦場がどのようなところであるのか、まだまだ想像もできないのですが、友と別れその消息もつかめないまま戦後の日々を送った丸木先生が、一度は断念した教師への道を、教師になって二度とこのような戦争をしてはいけないということを子どもたちに伝えておやり、という母親のことばに背中を押されて教職の道に進むことにしたということ、その丸木先生が、和光小学校の6年生に「沖縄」の学びを、と願ったことを胸の奥にしまい込むように、じっと耳を傾けていました。

沖縄は“琉球弧”と呼ばれる大小160あまりの島々からなります。東京から那覇まで1600キロ近くの距離がありますが、那覇から台湾の台北までは630キロ、那覇から上海は820キロ、那覇からソウルは1260キロと、アジアの各地へは東京よりも近く、したがって昔から南方との文化交流のカジマヤー(十字路)と呼ばれていました。また亜熱帯気候であり、「東洋のガラパゴス」と言われるように世界でも珍しい動植物が生息しています。天然記念物であるイリオモテヤマネコ、ヤンバルクイナ、卒業生の父母であり水中写真家の仲村征夫さんが撮影した見事な珊瑚、ヤチムンと言われる独特の焼き物、紅型染めの着物、ソーキそばなどの写真を見ながら、例年話している「沖縄が持つ5つの顔」の話をしました。

 


2021年度 和光小学校6年生 総合学習「沖縄」

「沖縄」を学ぶ君たちへ

~沖縄学習を通して、日本の現実と自分を見つめ、生き方を考えよう!~

2021年4月 北山ひと美

○総合学習「沖縄」で学んでほしいこと

1.沖縄の「5つの顔」について学び、沖縄の魅力を知るとともに、今の沖縄が抱えている問題について考え、沖縄と日本の現実を見つめよう。

2.多くの人に出会い、たくさんの事実にふれ、歴史の真実を見つめよう。

3.「学び方」を発展させ、沖縄学習の歴史を刻もう。

4.沖縄学習を通じ、自分の生き方を考えよう。

 

*沖縄の「5つの顔」

① 沖縄は九州と台湾に弓なりに連なる110あまりの島々からなり、亜熱帯的な風土の特徴を持っています。「東洋のガラパゴス」とも言われ、世界でも珍しい動物や植物があります。

② 沖縄は、位置、気候、風土などから独自の文化や生活を形成し、固有の歴史を発展させてきました。ことば、食、行事、焼き物、織物、歌、踊り、楽器などです。

③ 沖縄は、南方との文化交流のカジマヤー(十字路)にあたり、日本文化の源流の一つと考えられています。琉球王朝時代は、海洋民族として発展し、中国へ進貢船を送り外交関係を持ってきました。

④ 沖縄は、太平洋戦争末期、日本の「捨て石」として、住民を巻き込んでの激しい地上戦が行われたところです。

⑤ 沖縄は、戦後アメリカの軍事占領のもとでアジア支配の根拠地となり、復帰後もアメリカにとって「要石(かなめいし)」として多くの米軍基地を抱えています。


沖縄にある在日米軍基地は、かつては沖縄本島全体面積の20%を超えていましたが、少しずつ返還され今は16%、それでも本島全体の6分の1を沖縄の人が自由に入ることができない米軍基地となっています。沖縄に続き米軍基地面積が大きい都道府県が、すぐ隣の神奈川県であることにも子どもたちは驚きました。

今年の初め、沖縄戦の犠牲者の遺骨が混ざる土砂を基地の埋め立てに使うな、とハンガーストライキをしている方のことが東京でも報道されていました。この方は長年沖縄戦犠牲者の遺骨収集を続けている具志堅隆松さん。2年前に和光小学校に来て特別授業をしてくださったこともあります。遺骨の混ざった土砂を埋め立てに使うことに反対する署名も多く集まり、ちょうどこの授業をしている頃、沖縄県は開発を制限するかどうかの判断を下す時期になっていました。6年生の子どもたちは、「沖縄」学習の中で、沖縄の過去と現在を知り、今起こっていることの意味を考えるようになることでしょう。

6年生の真剣なまなざしと共に、振り返りの文章の中に「沖縄」に限らず真実を学びたいという熱意を感じました。

 

<子どもたちの振り返りから>

・沖縄といえばリゾート地で、すごい楽しいところだとしか思っていなかった。だけどそれだけではないと知った。

・沖縄には戦争があったと思えないほどおいしい食べ物やかわいい動物やきれいな海など見たことのないものばかりでびっくりしました。特に海がすごく好きです!沖縄の海の写真を見ると早く沖縄に行きたいと思います。沖縄に早く行きたいけど、戦争のこともちゃんと学びたいです。

・丸木政臣先生は校歌を作ったのは知っていたが、沖縄学習を提案した人だとは知らなかった。広島学習も大事だとは思うが、自分はやはり沖縄に意味があると思う。なぜかというと、太平洋戦争の中で日本の「捨て石」として戦い、多くの人が亡くなってしまったから。そんな人たちの思いを大切にしてこれから学習していきたい。

・今の沖縄は海がきれいとか食べ物がおいしいとかのイメージだけど、昔の沖縄は学生とかも戦争に行ったとわかった。今も亡くなった人の骨が土の中にあると聞いてびっくりした。

・私の沖縄のイメージは、きれいな海、温暖な気候、おいしいごはん、すてきな踊り、などでした。もちろん大きな戦争があってたくさんの人が家族を失い、とても辛い思いをしたのは知っていましたが、今の沖縄は私のイメージのようにとてもキレイな姿です。でも今日の先生の話を聞き、改めて戦争はしてはいけないと感じました。あとキレイな海はこわしてはいけない、残してほしいと思いました。戦争は忘れてはいけない、たくさんの人の心に残ってほしいです。珍しい動物や植物にも出会ってみたい。東京では見られない物と出会ってみたいと思いました。

・戦争で死んだ人の血で海が真っ赤になったということも他から聞いたことがある。ハイビスカスを見ると戦争を思い出すってよほど悲しいことなんだなあと思った。ハイビスカスはきれいな花だけど血を見た人にはこわいのかなあと思った。沖縄にはきれいな海や生物がいる観光地だけど、かつてはあれた地だったのかなあ。

・一気に沖縄のことがいろいろ知れた。沖縄の自然、文化、そして沖縄戦・・・話を聞いて昔はとても辛くて今も少しその支障があることがわかった。骨の埋まった土で辺野古を埋め立てるのを反対した沖縄の人は、昔の戦争のつらいことを知っているから反対したと思う。沖縄の自然は見たこともない色合いで、自然にも興味がある。

 

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