お弁当のメニューです。
11月29日~12月3日、12月6日~10日のお弁当メニューをアップします。
11月29日~12月3日、12月6日~10日のお弁当メニューをアップします。
これは訓練です。11月24日 14時現在学校にいる子どもたちです。全員元気です。
本当の災害時は 学級ごとに実名で掲載します。
1年1組 ○○ ○○ △△ △△
×× ×× □□ □□
1年2組 ○○ ○○ △△ △△
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2年1組 ○○ ○○ △△ △△
×× ×× □□ □□
2年2組 ○○ ○○ △△ △△
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3年1組 ○○ ○○ △△ △△
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3年2組 ○○ ○○ △△ △△
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4年1組 ○○ ○○ △△ △△
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4年2組 ○○ ○○ △△ △△
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5年1組 ○○ ○○ △△ △△
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5年2組 ○○ ○○ △△ △△
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6年1組 ○○ ○○ △△ △△
×× ×× □□ □□
6年2組 ○○ ○○ △△ △△
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これは訓練です。11月24日 14時現在学校にいる子どもたちです。全員元気です。
本当の災害時は 学級ごとに実名で掲載します。
11月15日から19日と、11月22日から26日のお弁当メニューです。
アップするのがおそくなってすみません。
第25回沖縄学習旅行 沖縄の地で子どもたちの学びに学ぶ
和光鶴川小学校 校長 大野裕一
今年も10月26日(火)から29日(金)までの3泊4日、6年生の沖縄学習旅行が行われました。鶴小の沖縄学習旅行は途切れることなく毎年行われ、25回目の節目を刻みました。私自身は担任として7回、補助の引率として3回(今回で4回目)沖縄学習旅行に同行しています。鶴小・沖縄学習旅行の2回に1回ぐらいは同行させてもらっていることになります。しかし何度来ても子どもたちの学びは新鮮で新しい発見があることを感じます。今年も子どもたちは五感をフルに使い、みずみずしい感性で沖縄の“ひと”“もの”“しぜん”“くうき”・・・からいろんなことを学び、つかんでいたように思います。
「沖縄はまだ差別されている。ジェット機の騒音など他人ごとではなくもっと深く考えたい」(Mさん)
この言葉は一日目の学習を終えホテルに向かう途中、一日を振りかえって一人ずつ感想を出し合うバスの中でMさんが言った言葉です。「沖縄に来る前は基地が必要だと思っていました。でも基地が本当にあっていいのか、わからなくなりました。」「日米地位協定が必要なのか考えていきたい」・・・子どもたちの感想が続きます。
嘉手納基地を見て飛び交う戦闘機の轟音を肌で感じ、宮森小学校のジェット機墜落の証言を聞いた上での感想、なかなか言葉が出てこない子どももいました。でも、深く学び考えたからこそ言葉は簡単に出てこないのだと思います。
4日目の学級集会では、はからずも1・2組どちらのクラスも「米軍基地は必要なのか?」が話されていました。もちろん簡単に答えは出ません。大人でさえ何十年も議論しているようなテーマです。でもそれを6年生の子どもたちが真剣に考え、自分のことばで伝えようとしている、そこに素敵さを感じました。
「まわりの人が自決していくのを見て、どう思ったのですか?」(Yくん)
渡嘉敷の「集団自決」(強制集団死)の場にいた吉川嘉勝先生の証言を聞きました。吉川先生は当時1年生、お母さんの「やさ、生ちかりるーうぇーかは、生ちちゅしやさ」(生きられる間は生きよう)「死ぬせーいちやてぃんないさ、あね、兄さんたー追ぅてぃひんぎーしないさ」(死ぬのはいつでもできるから、兄さんたちを追って逃げよう)という言葉で生き延びた経験を話してくださいました。
子どもたちの質問は率直で私たち教員が聞いてほしいことをズバッと聞いていました。「強制集団死の中で吉川さんはどう思いましたか?」(Mさん)「逃げた後の様子を知りたいです」(Eさん)…表題の質問に吉川さんは「直接は見ていないんだよ。あまり見ていない。ひどかったみたい。地獄だった。」と応えてくれました。子どもたちの率直な質問に真摯に応えようとする吉川さんの姿も心に残りました。
「当時のつらかったことを話してくれてありがとうございました」(Sくん)「軍隊から手りゅう弾を配られたのにお母さんが(命を大事にという)自分の考えを持ち続けたのがすごいなあと思った」(Kさん)…吉川さんに送ったお礼の言葉、感想にも子どもたちが学んだ大事な中身が表れていました。
「ぼくたちに伝えてくれる人が少なくなったら、どうなると思うか考えたい」(Sくん)
「この事実を身近な人に伝えていきたい」(Nさん)
「日本の教育に問題があったんじゃない」(Tくん)
3日目の夜、学級集会で一人一人が学習旅行をふりかえって感想を交流しました。私は1組と2組半分ずつ出席させてもらいました。本当はどちらのクラスの集会にも最初から最後まで参加したかった、それほど中身の濃い感想の出し合い、話し合いが行われていました。
子どもたちの感想は、自分の言葉で実感のともなったものが多く心に響いてくるものでした。特にSくんの「ぼくたちに伝えてくれる人が少なくなったら…」は、私たちも感じている大きな課題です。2016年第16回沖縄学習旅行まで証言してくださっていた元ひめゆり学徒隊の宮良ルリさんが今年8月にお亡くなりになり、昨年の第24回学習旅行まで欠かさず渡嘉敷の「集団自決」(強制集団死)の証言をしてくださっていた金城重明さんが体調などの問題で話していただけなくなり、沖縄戦を体験し子どもに話してくれた証言者は今回吉川さん一人でした。
1組に関わってくださっていた元ずいせん学徒隊の宮城巳知子さんは2015年10月に、2組に関わってくださっていた元ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さんは2014年12月に亡くなられ、25年前、1回目の学習旅行から関わってくださった証言者の方は1人もいなくなってしまいました。
宮良ルリさんが生前、子どもたちに話していた最後の言葉は「あなたたちにバトンを託しましたよ。お願いしますね。」でした。その言葉がより一層、重みをもってよみがえります。6年生Sくんの言葉、Nさんの言葉、Tくんの言葉、どれも大事で子どもだけではなく大人にも突きつけられた言葉でもあります。
今年25回という節目を迎えた鶴小・沖縄学習旅行、節目であると同時に転換点でもあるように感じています。しかし変わらず子どもたちの学びは常に新鮮で「子どもって、すごいなあ」と思わされます。