「沖縄戦」学んだ 沖縄学習旅行2日目

成田 寛 高学年

2日目の起床は5時30分。外はまだ暗い。それでも子どもたちは遅れることなく、食堂に集合しました。

朝食も豪華でボリュウムがありました。20-1

明るくなった那覇市街を見おろしながらの食事。20-5

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今日は沖縄戦について学びます。

1組は首里高女の学徒隊「ずいせん学徒隊」で沖縄戦を体験した、宮城巳知子さんがたどった道を追体験しながら沖縄戦について学びます。

長堂先生と宮城千恵先生が案内してくれました。21-1首里高女の学校跡地で説明する宮城先生。

 

21-2巳知子先生が最初に配属された「ナゲーラ壕」の跡地で当時の学徒隊の様子を話す、長堂先生。

21-3ナゲーラ壕を出て南部に撤退するときに立ち寄った「識名壕」に入りました。そこで巳知子さんが体験したことの話を聞き、暗闇体験をしました。

巳知子先生が南部に撤退して「解散命令」を告げられた米須の壕の前で長堂先生の話を聞き、班ごとに用意していた平和のパネルを置きました。21-4

巳知子さんのたどった跡の追体験の最後は「ずいせんの塔」での長堂先生の話と学級集会でした。ここで慰霊の気持ちをこめてエイサーを踊りました。

 

2組は迫田先生の案内で第1高女の「ひめゆり学徒隊」に配属された、宮城喜久子さんのたどった道を追体験しながら学習をすすめました。最初に南風原(はえばる)に手掘りで30本近い洞窟をつくって野戦病院として使った、「南風原陸軍病院」のあった場所で学習をしました。22-1

ここで負傷兵に配られた食事は「最初はテニスボールぐらいの大きさだったのにそのうちにピンポン玉の大きさに変わった」という話を迫田先生から聞きました。  22-2

そのご飯を運んだのが女子学徒隊。その大変さを実感してほしいと迫田先生は5kgのバケツと担ぎ棒を用意してくれました。飯あげの道で実際に飯上げを体験しました。22-3

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次は戦況が悪化し南部への撤退が始まり、分院として使われた糸数にある、アブチラガマに行きました。200m超えるとても大きなアブチラガマ。ここでは2グループに分かれて暗闇体験をしました。

喜久子さんのたどった道を追体験する学習の最後は「第1外科壕」でした。当時ここで喜久子先生は「解散命令」を告げられます。その場所でどんなことが起こったか、ひめゆり祈念資料館の尾鍋さんから、話を聞き、みんなでエイサーを踊って慰霊の気持ちを伝えました。

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昼食は近くにあるでいごというドライブインで、「ソーキそばセット」を食べました。

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昼食後学年で「ひめゆり祈念資料館」と平和祈公園に行きました。23-2第3外科壕で話を聞く。

リニューアルした「ひめゆり資料館」では時間をかけて丁寧に資料に目を通す子どもたちの姿をたくさん見ることができました。23-3

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平和祈念公園では最初に韓国人慰霊碑で話を聞きました。韓国と日本の関係や日本軍の加害の側面を考えさせる学習になりました。24-1

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平和祈念公園での次の活動は「平和の礎」見学です。礎に刻まれてい名前の中から、事前学習で決めていた犠牲者の名前探しの活動を行ったあと。広場で学年平和集会をしました。

最後は沖縄戦終焉の地の広場でエイサーを踊りました。24-4

 

沖縄戦最後の学習は普天間基地の中に建てた、佐喜眞美術館での学習です。

この美術館には「丸木位里・俊」さんが描いた「沖縄戦の図」が展示されています。

大きな「沖縄戦の図」の前で佐喜眞館長の話を聞きました24-5

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バスに乗り込む前に屋上に上がって「普天間基地」の見学と話を聞きました。

今日は内間青年会とのエイサー交流会です。仕事後に駆けつけてくれた青年会のエイサーはとても迫力がありました。

鶴小のエイサーも見てもらい、感想を聞きました。

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