6年生 第24回沖縄学習旅行(10月27日~10月30日)②南部戦跡をたどる

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2日目 南部戦跡をたどる 10月28日(水)

沖縄学習旅行2日目、午前中は、南部戦跡に行きました。日本で唯一地上戦となった沖縄戦では、激戦の末、司令部が首里を放棄すると、軍も住民も南部へ撤退しました。これにより、さらに住民が巻き込まれていくことになったのです。学徒動員された14才から19才の中学生、2000名余りのうち、半数以上が命を失いました。多くの学徒隊が南部で犠牲になっていったのです。1組は、ずいせん学徒隊の宮城巳知子さんのたどったコース、2組は、ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さんのたどったコースを追体験しました。

ずいせん学徒隊 宮城巳知子さんのたどったコース(1組)

1組のコースを、長堂先生と宮城先生が案内してくれました。ナゲーラ壕では、宮城巳知子さんが学徒隊としての看護活動をした初めの頃の話をききました。川をはさんだ向こう側に、手掘りの壕の穴が見えました。自分たちが立っているところには、爆弾が落ちてできた大きな穴があったそうです。その穴に亡くなった人を運び入れたそうです。

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識名壕では、壕の中に入りました。自然壕で入り口は狭いのですが、クラス全員で入りました。

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当時ここには、負傷兵や逃げてきた住民、数百人がいたそうです。巳知子さんは、血を見るのも怖かったそうですが、そんなことは言っていられない状況でした。負傷兵は、どんどん運ばれてきました。

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当時と同じように明かりを消してみました。目を開けていても真っ暗で、息が詰まるように感じましたが、ここは天国だったそうです。そのときの様子を一人一人、想像しました。

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長堂先生は、魂魄の塔を案内してくれました。巳知子さんが最後にたどり着いたこの米須地域一帯は、沖縄戦の最後に、日本軍と住民が追いつめられた場所のひとつです。戦争が終わって住人が帰ってくると、この地域にはたくさんの骨が散らばっていました。田んぼや畑、道路などに散乱する遺骨を収集し、住人によってつくられた慰霊碑です。誰のものかもわからないってどういうことか考えました。

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最後に、ずいせん学徒隊の慰霊碑のある、ずいせんの塔に行きました。激しい砲弾の中を逃げ、巳知子さんは運よく生きることができました。しかし、たくさんの友達がなくなってしまいました。案内してくれた宮城先生のお母さんも、ずいせん学徒隊でした。声を詰まらせて話す宮城先生の顔を、みんなまっすぐ見て、話を聞いていました。

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慰霊碑に手を合わせました。そして、みんなで心を込めてエイサーをおどりました。

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ひめゆり学徒隊 宮城喜久子さんのたどったコース(2組)

2組のコースは、迫田先生が案内してくれました。

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南風原陸軍病院壕跡地に行きました。喜久子さんはここで看護活動をしていました。たくさんの負傷兵の手当てや、し尿の処理、傷口のウジをとったり簡単に想像できないくらい大変な仕事です。しかし、悲惨な光景や壕の中のにおいにも、やがて慣れていったそうです。

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迫田先生は、当時の食料がどれくらいか、おにぎりを用意してくれました。初めはテニスボールくらいのおにぎりも、やがて1日に1回、ピンポン玉の大きさ一1つになっていきました。「たったこれだけ・・・」という声がしました。

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喜久子さんたちは、壕の外にあるかまど場から、ごはんを運ぶ仕事もしていました。その「飯あげ」体験をさせてもらいました。足場も悪く、雨でぬかるむ坂道を下り、また登って壕に帰ります。担ぐだけでも重く、ご飯をこぼさないように運ぶことだけでも大変なのに、たくさんの砲弾が落ちてくるのです。命がけだったことがよくわかりました。

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第一外科壕跡では、ひめゆり資料館の学芸員、尾鍋さんから話を聞きました。ここで喜久子さんは、友達をたくさん失いました。打ち込まれた砲弾が当たり、さっきまで一緒にいた友達がなくなっていきました。「そこに、〇〇ちゃんがいたんですよ。」と言われ、ハッとします。尾鍋さんは、喜久子さんから聞いたことを、喜久子さんに代わってみんなに話してくれました。

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解散命令が出された後、逃げる場所もなく、さらに友達が亡くなっていきました。

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第一外科壕を出ると、サトウキビ畑が広がっています。みんなでエイサーを踊りました。

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平和祈念公園、そして佐喜眞美術館へ

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昼食で、1組と2組は合流しました。ソーキそばとジューシー(炊き込みご飯)がとてもおいしかったです。

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ひめゆり平和資料館を見学しました。

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韓国人慰霊の塔では、差別されながら沖縄戦を戦ったり、ひどい扱いを受けて死んでしまった朝鮮の人たちの話を聞きました。

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平和祈念公園にある「平和の礎」の前で、稲福さんに話を聞きました。稲福さんは、身内を沖縄戦と学童疎開船「対馬丸」の沈没でなくしました。そして、自分も宮森小学校ジェット機墜落事故を経験されています。沖縄戦が終わっても悲しみは続き、基地があることで悲しみが広がっている沖縄のことを考えました。

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「平和の礎」には、沖縄で亡くなったすべての人の名前が、刻まれています。これまで学んできた中で、自分の探したい人の名前を見つける活動をしました。24万人以上刻まれた名前の中から、探すことは大変でした。たくさんの人が犠牲になったことを改めて実感しました。

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最後に、宜野湾市にある佐喜眞美術館へ行きました。丸木位里さん、俊さんが描いた「沖縄戦の図」を見ながら、館長の佐喜眞さんの話をききました。

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「強制集団死」が描かれているその絵の大きさに驚き、とても恐ろしさが伝わりました。そこに描かれている〝真実を見つめる少年〟は何を見つめているのか考えました。

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佐喜眞美術館は、普天間基地から返還された土地に建った美術館です。美術館のフェンスの向こうは基地です。

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屋上から見える普天間基地の広さに圧倒されながら、ここでも基地問題について考えるきっかけをもらいました。

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圧倒された本物のエイサー、内間青年会とのエイサー交流

ホテルへ戻り、夕食のあと、楽しみにしていたエイサー交流会をしました。

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浦添市から、内間青年会の方々が駆け付けてくれました。太鼓の音の迫力がやっぱりすごい。

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大太鼓や手踊りのコツも教えてもらいました。内間青年会の人は、みんなやさしくて、かっこよかったです。

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最後に、「唐船ドーイ」をいっしょに踊りました。

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とっても楽しい沖縄タイムでした。

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