5日延期しての卒業式となりました。おめでたい席であるはずですが、開式に先立って、巨大地震とその直後の大津波によって生命をなくされた多くの方々のご冥福をお祈りして、まずは黙祷を捧げたいと思います。
ご賛同いただける方、ご起立願います。黙祷。
いよいよ君たちが和光中学校から旅立つ日となりました。
なにはさておき、卒業式なのですから
「卒業生の皆さん、卒業おめでとう」と
「ご参列いただいた保護者の皆さん、お子さんの卒業おめでとうございます」 を言います。
しかし、今こうしている間にも、被災地の人たちは寒さと飢えに震えています。生命の危険にさらされています。そのなかには、君たちと同じ中学生もいます。小学生もいます。幼児もいます。乳呑み児もいます。胸がつぶれされるような思いに襲われます。
「千年に1度の規模」と言われる今回の大津波で、たくさんの人の命が奪われました。好きで死んだ人など一人もいません。テレビニュースの画像を見ながら、「人間、いつ死ぬか、誰もわかっていないのだ」と思いました。
「人間、いつ死ぬか、誰もわかっていないのだ」という言葉、おぼえていますか?君たちは映画『翼は心につけて』の鑑賞に先立って、私の話を聞いてくれました。和光高校の入試判定会で、余命数カ月かもしれない亜里さんを合格にするか、不合格にするか、議論されたことを話しました。その議論のなかで「人間、いつ死ぬか、誰もわかっていない」という発言があり、そこから「たとえ、現代医学が余命数カ月と診断したとしても、亜里さん本人は、これから何十年も生きていくつもりなのだ」「ケースワーカーになって、世のため、人のためになりたいと考えているのだ」……といった発言がつづき、亜里さんを合格にしたことを話しました。
そして、最後に、君たち一人ひとりが自分の翼を持ってほしいと結びました。
翼……これから君たちが歌う合唱「旅立ちの日に」のなかにも翼が出てきます。
今や、「旅立ちの日に」は全国の学校の卒業式でもっとも歌われる歌になっているそうです。しかし、この歌は、今からちょうど20年前の1991年3月、埼玉県秩父市立影森中学校の卒業式で、先生たちから卒業生に贈る歌として、たった1度だけ歌って終わるはずだったのです。
荒れていた影森中学校をなんとか明るい学校にしたいと考えた当時の校長・小嶋登先生は、「歌声の響く学校」を目指そうと先生たちに提案し、合唱の機会を増やしました。最初は抵抗していた生徒たちも、やがて合唱を楽しむようになり、学校が明るくなっていきました。「良い文化が良い集団をつくる」ということが、3年間かけて証明されたのです。
そして91年3月の卒業式、それは小嶋先生にとっても、41年間の教職生活を終える卒業式でした。先生たちから卒業生に贈る歌をつくろうとなり、小嶋先生が作詞したのです。その詞に若い音楽の先生が曲をつけたのだそうです。
影森中学校ではその後も歌い継がれましたが、しかし、あくまで「影森中学校の歌」でした。それが何年かして秩父市内の小中学校や周辺の市町村の学校に広がっていったのです。
今年1月20日、その小嶋先生が亡くなりました。残念でなりません。私は、私個人の総合学習として、いつか小嶋先生を訪ね、質問したいと思っていたのです。
◆小嶋先生、あの歌には「翼」が何度か出てきますが、『翼は心につけて』が歌詞の下敷きになっていますか?
◆先生は、きっと、『翼は心につけて』を読み、映画も観ていますよね?
◆先生と同じく、私にも、荒れに荒れていた北海道の高校で「良い文化が良い集団をつくる」と考え、文化祭でクラス合唱を取り入れる実践をした経験があります。聞いてもらえますか?
◆先生、先生はツッパリたちと、どうつきあったのですか?
◆小嶋先生、あの歌のなかで、先生は
「飛び立とう 未来信じて はずむ若い力信じて この広い大空に」
と語りかけています。
先生、先生があの歌を作詞した20年前と同じ広い大空が、今の中学生にもあるのでしょうか?信じられる未来があるのでしょうか?
◆大学生、短大生、専門学校生の8人に1人が中途退学する現実があります。大学生の4人に1人が正規職に就けない現実があります。それでも、広い大空があるのでしょうか?信じられる未来があるのでしょうか?
◆先生は、
「こんな現実でいいわけがないでしょう。人間は信頼するに足る、ですよ。人間の知恵で、この暗雲をきっと振り払い、広い大空を取り戻しますよ」
と、答えてくれるのでしょうか?
◆小嶋先生、あの歌の1番で「振り返ることもせず」と歌いながら、2番では
「懐かしい友の声 ふとよみがえる
心通ったうれしさに抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて」
と、しっかり振り返っています。振り返るor振り返らない、先生のなかでは、どちらが本当なのですか?過ぎてしまった思い出を強く抱くのは、どうしてですか?
「思い出」……私は「思い出」という言葉を、正直なところ、あまり好きではありませんでした。なんとなく「昔は良かった」的な後ろ向きのニュアンスを感じてしまうからでした。
しかし、私は、私の父の最後の1年余を通じて、「思い出」という言葉のとらえ方を変えました。思い出は前に進むときのエネルギーになるのだと思えるようになりました。
そう思えるようになったときに、野鳥を捕獲するかすみ網について書かれたものを読みました。私はかすみ網の網目に鳥が頭からつっこみ、翼をひろげられなくなるから捕獲できるのだと思っていました。しかし、翼をひろげた鳥が翼ごと網につっこむということは、まずありえないのだそうです。鳥は網にふれた途端、とっさに足の指で網糸をつかむのだそうです。そして、網糸ではいくら蹴ろうとしても蹴ることができないので、飛び立てないのだそうです。鳥は木の枝や地面を蹴って初めて飛び立つことができるというのです。
それを読んで、「あー、人間にとっての思い出は、鳥が飛び立つときの木の枝や地面なのだ」と思えました。
昨夜のテレビニュースで、思い出の品を捜して歩く親子4人が紹介されていました。自宅のあったところから数百メートルも離れた瓦礫の中から、写真を見つけた出した時の、家族4人の喜び合う姿が印象的でした。あの写真は、親子4人が昔をなつかしみあうためでなく、避難所暮らしの大変さに耐え、復興に向けて、一歩を踏み出すためのエネルギーになるのだと思いました。
君たちは、和光中学での思い出をたくさんつくったはずです。
思春期のトンネルはもう少しつづきますが、君たちは、和光中学という大きな思い出の木を、持っているのです。その木には、たくさんの枝があります。ともに賢くなるために学んだ思い出=学びという太い枝があります。タテヤマ、秋田の思い出という太い枝があります。クラスや学年で取り組んだ文化祭や演劇、クラブの仲間と練習に励んだ思い出=団結という太い枝があります。
疲れたとき、勇気を出す必要があるとき、和光中学という思い出の木に戻り、翼を休めてください。そして枝を蹴り、また飛び立っていってください。仲間と力をあわせ、暗雲を吹き払い、広い大空を獲得してください。
別れのときが近づいてきました。
ここまで君を育ててくれた家族に、「ありがとう」を言ってほしいと思います。 そして、私が口にするのはおこがましいかも知れませんが、和光中学の先生・職員にも「ありがとう」を伝えていってください。11日のあの地震のとき、和光中学教職員が示した夜を徹しての行動を詳しく報告する時間はありません。見事の一語に尽きるということだけを伝えます。そんな教職員に守られて、君たちの和光中学生活はあったのです。
そして最後にお願いします。寒さと飢えに震える被災地の人たちのために、今、何ができるのかを考えながら、卒業していってください。
2011年3月20日
和光中学校 校長 両角 憲二
掲載日時: 2011年3月21日 05:09
