2011年3月11日(金)という日は、この時代を生きる日本人にとって、忘れようにも忘れられない日になったのではないでしょうか。
その日私は、翌12日の高校卒業式に向けて式辞を書いていました。午後2時46分、校舎全体がかつて経験したことのないほど大きく揺れ、すぐに電気が停まりました。 職員会議で翌日の卒業式の中止を決め、帰宅できない生徒300人のため泊り込み態勢をとりました。23時に停電が解除になり、テレビからの映像を見てことばを失いました。とんでもない事態になっていることを知りました。
12日朝の中高合同職員会議で「14日から休校、そのまま春休み。卒業式実施の可否は16日の合同職員会議で判断」を決めました。その後、福島原子力発電所事故の深刻さが日増しに明らかになっていきました。16日に、「計画停電の合間を縫って、19日高校、20日中学の卒業式を、在校生抜きで行う」ことを決めました。
テレビで繰り返し放送される映像、新聞や雑誌に掲載された写真を見て、「人間、いつ死ぬか、誰もわかっていないのだ」と思いました。首都圏が直下型地震に襲われたらと考えると、「生かされている」という思いを強く持ちました。
もとより人類は海と大地からの恵みを得て生かされてきました。火を我が物とし、道具を作り、科学・技術を発達させることで、食料を安定的に確保し、また、自然の脅威=天災からの自由を獲得してきました。しかし今回、天災からの自由がまだまだ脆弱であることを思い知らされることになりました。
被災地の人たちに対する申し訳なさのなかで迎えた卒業式で、
私は「今こうしている間にも寒さと飢えに震える被災地の人たちがいます。その人たちのために、今、何ができるのかを考えながら卒業していってください」
と述べるにとどめました。
巨大地震は大地を震わせ、大津波を引き起こし、原子力発電所を破壊しただけではありません。私たちの精神、価値観をも激しく震わせました。憲法前文で謳われた「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を、あまりに拡大しすぎたのではないか、便利さを求めるあまり「自然界のなかで生かされている」ことを忘れてしまったのではないか、その結果、原発事故による大気汚染、海洋汚染といった恐怖にさらされ、怯えることになっているのではないか……といった思いに、私はとらわれたままでいます。
「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」について学校教育はどう応えるべきなのか、生徒、保護者とともに考えていきたいと思っています。
掲載日時: 2011年5月29日 15:47
