2018年度和光中学校卒業式式辞

サイト管理者 校長ブログ

本日ここに、147名の卒業生を送り出します。

卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。そして今日の日を特別な思いで迎えられた、保護者の皆さん、ご家族の皆さん、心よりお祝い申し上げます。

最初に、この三年間、物心両面で和光中学校を支えていただきました保護者の皆様に、学校を代表いたしまして心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、卒業生の皆さん、3年前の4月、君たちは和光中1年生として、今と同じ体育館のステージに座っていたことを思い出してみてください。不安と期待がごちゃ混ぜになって緊張していたこと、それでもきちんと前を向き、これから始まる中学校生活を意味あるものにしようと決意を胸に入学式に臨んだこと、忘れていないと思います。その君たちの入学式で、私は校長として次のような言葉を贈りました。

「集団にはいろいろな色が、それぞれの独自の輝きを保ちながら光っていることが大切なのです。ちょうどチューリップや薔薇の花びらの色や形がさまざまであることと似ています。赤い薔薇が人気があったとしても、白いバラや黄色い薔薇が無理やり赤に変身しようとしなくてよいのです。白い薔薇は白い薔薇で、黄色い薔薇は黄色い薔薇でしか表現することができない世界があるからです。」

これは、人はみんな同じでなくていいんだ、むしろ一人ひとり違うことが大切なんだ、そういう学校になるようにみんなで力を合わせようという私のメッセージだったのです。

思春期真っただ中の中学生たちは、自分とは何者であるかを、厳しく自分に問うことをします。そのため自分の周りの人々がすごく輝いて見えてしまい、自分はつまらない存在なのではと卑下しがちになります。今の社会状況の中では、自分には自分にしかない宝ものがあると気づくことが、とても難しくなっているのも確かです。

あれから3年が経ちました。皆さんは自分の中の宝物にどれだけたくさん気づくことができましたか?私が卒業式の今日、皆さんに伝えたいことは、自分の中の宝探しをするうえで、どんなに沢山、この和光中学校の仲間たちが手伝ってくれたのかを思い起こしてほしいということです。

どういうことか?自分の中の宝物はなかなか自分だけでは見つけにくいのです。それは自分の顔を直接、見ることができないことと似ています。卒業演劇をつくる過程で、「シナリオを検討するホームルームで、あなたのあの発言がクラスみんなをひとつにしてくれたんだよ。ありがとう!」とクラスメイトからお礼を言われたとき、自分の中にそのような他の人に影響を与えられる力があったのだと気づくのです。いわば、クラスメイトの存在は自分を映す鏡なのです。そうやって、君たちは互いにお互いの宝探しに力を出し合った3年間なのだと思います。

中学生の悩みは、大きく分けて二つあります。ひとつは先ほど述べた「自分探し」の課題。もう一つは「人間関係づくり」の課題です。人間関係づくりにおける悩みとは、どのように他人と接したらよいかという悩みです。この他人との関係が親しければ親しいだけ、悩みは深くなります。「親友だと信じていた○○さんに、こんなひどいことを言われた。」「同じ仲間だと思っていた○○君が、私にこんな態度をとった。」などと、悩みが尽きないのが中学生時代です。

「赤いバラと黄色いバラ」の話は、この人間関係の話にもつながります。
この世の中には一人として、自分と同じ考え方をする人間はいない。家族や親友であっても、
その人が生きていく上で大切にしているものは、みんな違う。違っていてよい。むしろ違っているから、人間関係が豊かに、そして面白くなっていくんです。言い換えると、自分にとっての常識は、別な人にとっては非常識になることさえあるのです。これが親しい間柄だとなかなか理解しづらいのですが、民族や国籍が違うと理解できることもあります。

この自分にとっての常識が、別の人にとっては非常識になるということを気づかせてくれた私の経験(失敗談)をお話しします。

この話は、私が20代のころの新米教師だったころの話です。北インドのベナレスという町を旅行していた時のこと。美しいサリーを着た女性の胸に抱かれた赤ちゃんがとてもかわいかったので、写真を撮らせてほしいとお願いし、快く応じてくれたので夢中でシャッターを切りました。そして、別れ際にお礼の言葉と共に、赤ちゃんの頭をなでようとしたときのことです。その女性が私の手を払いのけ、大声で私を怒鳴りながら立ち去って行ったということが起きました。何が起きたのか分からず、ホテルに戻ってインド人ガイドにこのことを話しました。

わかったことは、赤ちゃんの頭をなでるという行為そのものが、インドではとんでもない非常識な行為だということ。理由は、赤ちゃんの頭のてっぺんには、見えない糸でヒンズー教の神々と結ばれているのに、なでるということでその糸を断ち切ることになるからという説明でした。問題はそれだけではありませんでした。私が赤ちゃんの頭をなでた手が、こともあろうに左手だったことです。インドでは食事は右手、排せつの処理は左手で行うが、左手は不浄、穢れの象徴そのものなのだ。

私に悪意はなくとも、サリーの女性をひどく傷つけ、怒らせてしまったことは、どのような弁解も成り立ちません。

生きている社会も文化も、そして宗教さえも異なるインドの女性だったから、「一人として同じ人間はいない」ということを実感し、考えることができたが、同じ日本人同士で親しい関係になってしまうと、なかなか相手のことを自分とは別人格とは、考えにくくなってしまうのだろう。

自分が「良い」と思っていることは、誰もが「良い」と思うに違いないという思い込みがある。親しい人があの人が自分の「良い」を否定するのは許せない、と思ってしまうことがケンカや紛争に発展することさえあるのです。私たちはSNSでたくさんの「いいね!」を求めますが、「いいね!」と応えない人たちの気持ちも分かる努力をしなくてはなりません。

どうか、君たちには、自分は独りぼっちなんかではない、たくさんの人々と出会って豊かな人生を送ってほしいと願っています。

教師は生徒からたくさんエネルギーをもらって生きている、とても恵まれた職業だということです。教師を育て成長させてくれるのは、生徒たちなんだということを実感しています。私もこの3月定年を迎え、皆さんと一緒に和光中学校を卒業します。和光での40年間にもおよぶ教師生活、生徒の皆さんへの感謝しかありません。

皆さんのこれからの活躍に期待します。卒業、おめでとう!

    2019年3月15日
和光中学校校長 松山尚寿

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