北山校園長ブログ

和光小学校校長ブログ「子どものなる木」学校、幼稚園と家庭をつなぐ学級通信 ~学級通信のタイトルに込めた担任の想い①~

幼稚園 北山校園長ブログ

青葉がまぶしく輝く季節になりました。ふつうなら、小学校は月末の運動会に向けて子どもたちも教師も初夏の日差しを浴びてグランドを駆け回っているのになぁ・・・ 幼稚園の子どもたちも井戸から水を汲んではだしで砂場に大きな山を作ったり、芝生の広場を駆け回っているんだけどなぁ・・・ がらんとした校舎、園舎、グランドを眺めながらそんなことを思っています。

新学期が始まると動き始める親和会(PTA)活動も止まったままです。

 

和光学園は「日本一の学校を創りたい!」という願いを持った父母のみなさんの力によって誕生した学校です。創立当初から子どもを真ん中に、父母のみなさんと学校が力を合わせて「三位一体」での教育づくりを進めてきました。

ほぼ1か月に1回開かれる学級親和会では、授業のこと、子どもたちの様子がリアルに語られます。そして、担任は、学校と家庭、子どもと子ども、家庭と家庭をつなぐために学級通信を発行します。

 

和光幼稚園も和光小学校も学級通信には子どもたちの名前がたくさん出てきます。いいことだけではなく、時には子どもたちどうしのトラブルも、クラスの中で話し合わなければいけなくなったような出来事も、学級通信で取り上げることがあります。

私も三十数年の担任時代、せっせと学級通信を書きました。

この通信で誰に何を伝えるか、ということをはっきりさせた上で担任は原紙に向かいます。幼稚園では遊んでいる子どもたちの様子はもちろん、担任が捉えた子どもの表情、ちょっとしたことばから感じ取られることも。小学校では行事に向かっている子どもたちの姿、算数の討論でこんなやりとりがあった、文学作品の読みの授業の流れ、授業を終えての子どもたちの振り返りの紹介、子どもたちがもめたこと、けんかになったこととその解決のための話し合い・・・・・・ 一時間の授業を終え、一日の生活を終えるとこれを伝えたい、と思うことが次々と出てきます。

あの子のあのことば、この子のこの動き、あの子とあの子のこの関わり、と浮かんできたものを通信として仕上げていきます。

幼児、低学年のあいだは主におうちの方に伝えたい、ということが多いのですが、中学年ぐらいからは子どもたちに向けてのメッセージとしての役割が大きくなります。

時には「教科通信」となることもあり、前の時間の討論の様子とその授業への感想を次の時間に通信で紹介するところから授業展開していくこともありました。低学年で“ことばあそび”に夢中になったクラスでは、友だちの発表に刺激を受けて自分もやってみよう、という子どもが次々と出てきて、友だちが作った作品は通信で紹介すると手元で改めて眺めている姿も。

 

今年は子どもたちに会うことがかなわないまま2か月が過ぎようとしています。それでも子どもたちへのメッセージを届けたい、子どもと子ども。家庭と家庭をつなぎあわせたい、という願いを込めて、各担任は学級通信を書きます。幸いにもメールで配信するという方法がありました。子どもたちやおうちの方々からは返信をいただき、「せんせい、あのね・・・」で始まる「あのねのーと」、3年生以上は日々の生活の中で感じたこと、考えたことを書く「生活ノート」、見つけたもの、こと、作ったもの、などなどが、中には写真も添えて届けられます。担任は届いたものを学級通信で紹介し、友だちの姿に刺激を受けた子どもが返信を届ける・・・・ 休校中ではありますが、このような形でクラスの仲間たちがつながりあっていく様子が伝わってきます。

 

幼稚園は1回目のオンライン面談を終え、来週は2回目のオンライン面談を予定しています。小学校は4月に行ったオンライン面談で新担任との顔合わせを行い、今週からはクラスをいくつかのグループに分けて“オンライン朝の集い”を開始しています。子どもたちは週に1回、“朝の集い”で担任とクラスの人と出会い、オンライン上ではありますが、顔を見て話をします。

幼稚園は「動画サイト」に配信された先生たちからの動画を見て園生活を思い出し、小学校は「家庭学習資料サイト」に日々配信されている授業動画、プリントで学習に取り組む毎日ですが、再開までの日々、それぞれのご家庭、子どもたちに、少しでも学校、幼稚園の風を届けたい、と願っています。

 

今年も各クラスの学級通信のタイトルと担任の想いをご紹介します。

今回は和光幼稚園、各クラス、各グループの学級通信です。

<  >は、担任が学級通信で紹介したことばです。

 

にじグループ   「いろいろ」

<今年の通信は「いろいろ」。縁あってにじグループになったみなさん。虹のようにたくさんの色をだしたり受け止めたりしていけたらいいなぁなんて思って決めました。> 第1号のタイトル、カラフルでした。

 

かぜグループ  「しゃくなげ」

花組を担任する時はいつも花の名前にしているという担任。山登りが好きで、亜高山帯の林や稜線に自生するという アズマシャクナゲにしようと思ったそうですが、<マイナーすぎるので、ただのシャクナゲにしました。>とのこと。第1号には鮮やかなアズマシャクナゲの写真が載っています。

 

そらグループ  「テヌート」

音楽用語で「その音を十分に保って」、つまり、その音を通常より気持ち長めに弾く、という意味です。<私はテヌートには「その音を大切に」「あっさり通り過ぎないで」「一音一音心をこめて丁寧に」というイメージを持っています。>「1日1日大切に」「一人一人と心を通わせて」という意味を込め、<一人一人とテヌートで関わっていく1年にしたいです♪>

 

月1組   「いってきまーす!」

当たり前にしていたことができなくなって、今までの日常がかけがえのないもの

に感じている、という担任。<幼稚園に向かって家を出発する時に、、、おうちの人たちと別れて幼稚園で遊び出すときに、、、今年は「いってきまーす」と言えることが嬉しい一年になったらいいな>という願いを込めて。<でも、きっと離れぎわに泣いて、爽やかな「いってきます」ばかりじゃないと思いますが、、、笑>

 

月2組  「がちゃがちゃどんどん」

同じタイトルの絵本があります。<月組の1年、がちゃがちゃしながらどんどんと楽しい感じで行きたいなーと。(そのままですね~)その様子がおうちの方に伝わるような通信を書いていきたいなと思います。> 担任は、これまでの通信名の中ではたぶん最長の文字数だとか。

 

星1組  「今年は特別!」

一年間、タイトルに込めた願いやイメージを意識して生活するという担任、<そこで今年は・・・「今年は特別!」でいこうと思います。><マイナス面ばかりが先立ってしまいますが今年ならではのことがいくらでもみつかるはず。そして、普段はダメだけど、今年は特別だもんね!みたいな感じでできることもたくさんあるのではないかと思います。そう考えるとちょっとわくわく。>

 

星2組  「アウラ aura

フィンランドの言葉で「たがやす」という意味だそうです。<子どもたちの幼稚園での生活を思い返している時、“友だちと繋がりながら、耕せ自分”という言葉が頭に浮かびました。人との関わりや繋がりの中で、自分を耕していく…。幼稚園の生活が子どもたちにとって、そんな時間になっていくといいなぁと思っています。>

 

 

和光小学校校長ブログ「子どものなる木」子どもたちが集い学ぶ学校の再開を願って ~2020年こどもの日と“アンネのバラ”~

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わが家の玄関先の植え込みの中に、今年も“アンネのバラ”が鮮やかに咲きました。鶴小に勤務していた頃、同僚のK先生が、欲しい人に、と株分けして下さったものです。園芸に疎い私に替わって夫が世話をし、毎年この時期になると深紅のつぼみから開花するにつれて橙、黄、黄金色に変わっていく色を楽しませてくれます。

 

「アンネのバラ(Souvenir de Anne Frank)」とは、第2次世界大戦中の強制収容所で、15歳という短い生涯を終えた少女アンネ・フランクの形見のバラです。戦後、彼女の日記が『アンネの日記』として出版されると、自由と平和の大切さを願う言動が多くの人々に感動を与え、世界的ベストセラーとなりました。『アンネの日記』に感銘を受けていたベルギーの育種家が、アンネの父オットー・フランクと出会い、自分が作り出した交配種の中から最も美しいバラをアンネの形見として捧げる事を申し出、オットー氏が自宅で栽培を始めたのがこのバラです。オットー氏は、娘の平和を願う心をこのバラに託し、各地の人々に贈ります。その後、アンネのバラに託された思いに共感した多くの人々の手によって、世界中に広がっていきました。

1971年春、イスラエルを訪問公演していた日本の合唱団がネタニアのレストランに居合わせたフランク夫妻と出会い、交流が始まり、翌年オットー氏から“アンネのバラ”の苗を贈られました。ただ、輸送に時間がかかり、到着したときには枯死寸前だったとか。10本贈られた苗のうち、生き残った1本が73年春、 京都の嵯峨野で開花しました。

2年後、NHKの番組で紹介されると、“アンネのバラ”を育てたいという杉並区の中学の要望に、合唱団は次の公演でオットー氏に依頼して再度、苗が日本に贈られてきました。

“アンネのバラ”は、一般的には販売されていないようですが、K先生は育てている方から分けてもらった苗を私たちにも分けて下さったのでした。

 

『アンネの日記』を通じ、世界中の人のこころに残っているアンネ・フランクは、第二次世界大戦中、ドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムで、ユダヤ人狩りから逃れて2年あまりを「隠れ家」で暮らします。同居人はアンネの両親、姉を含む7人。アンネは13歳から15歳までの2年間、この「隠れ家」から一歩も外に出られず、咳をするのも気を遣うような暮らしを強いられました。そして、1944年8月4日、ナチス親衛隊に見つけられ、全員強制収容所へと送られます。戦後、8人の住人のうちただ一人生き残った父親のオットー氏により、アンネが書いていた日記が『アンネの日記』として出版されました。

1933年、ドイツからオランダに逃れたフランク一家ですが、1940年5月、オランダはドイツ軍により占領されます。やがてナチスによるユダヤ人への迫害が激しくなり、アンネ達は学校へも通えなくなり、準備をしていた「隠れ家」へと逃れることになりました。「隠れ家」での日々は、周りの人々との関係を絶たれ、限られた空間で家族と同居人だけとの暮らしであり、身体的にも精神的にも辛かったであろうことは容易に想像できます。将来は作家になりたかったというアンネは、隠れ家生活の中でたくさんの本を読み、短編小説もいくつか書き残しました。食糧事情も悪くなり、電力も制限されるという厳しい状況になっていきますが、 どんなに絶望的な状況になってもアンネは最後まで希望を捨てなかったといわれています。1944年7月15日の『アンネの日記』には「自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと。」と記載されています。日記は、この後、7月21日に記述があり、その次の1944年8月1日火曜日を最後に終わっています。

 

このコロナ禍の中、私たちは人との距離を取り、出来る限りの外出を自粛するように努力しなければなりません。学校で仲間と一緒に学び、遊び、活動する時間を奪われている子どもたちのことを考えると、『アンネの日記』が思い出されます。迫害から逃れた隠れ家生活と、家にこもらなければならない子どもたち、比べるべくもありませんが、自由を制限されることの厳しさということでは、成長期にある子どもにとってはあってはならない状況であることに変わりはありません。

今年4月8日、国連子どもの権利委員会は「新型コロナ感染症(COVID-19)に関する声明」を出しました。COVID-19パンデミックが子どもたちに及ぼす重大な身体的、情緒的および精神的影響について警告するとともに、各国に対し、子どもたちの権利を保障するよう求める、として11項目について具体的な措置をとるよう求めています。

とりわけ、「2.子どもたちが休息、余暇、レクリエーションおよび文化的・芸術的活動に対する権利を享受できるようにするための、オルタナティブかつ創造的な解決策を模索すること。」「3.オンライン学習が、すでに存在する不平等を悪化させ、または生徒・教員間の相互交流に置き換わることがないようにすること。」は、学校現場にいる者として考えさせられます。

また、「10.COVID-19および感染予防法に関する正確な情報を、子どもにやさしく、かつすべての子ども(障がいのある子ども、移住者である子どもおよびインターネットへのアクセスが限られている子どもを含む)にとってアクセス可能な言語及び形式で普及すること。」「11.今回のパンデミックに関する意志決定プロセスにおいて子どもたちの意見が聴かれかつ考慮される機会を提供されること。子どもたちは、現在起きていることを理解し、かつパンデミックへの対応の際に行われる決定に参加していると感じることができるべきである。」とあります。子どもたちにも正確で必要な情報を与えることはもちろん、この状況の中で生活する最善の方法をともに考えあっていきたい、と思います。

学校と、クラスの仲間と少しでもつながりあっている実感を持ちたい、という子どもたち、担任からの切実な声を受け、ネットを介した朝の会を試みることにしました。その中で、少しでも子どもたちの想い、願いを聞きあい、伝えあっていくことが、学校を再開した時のエネルギーになるのではないかと思うのです。

 

2020年こどもの日、子どもたちが健やかに育つための日々を一日でも早く取りもどしたいという願いを込めて。

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和光小学校校長ブログ「子どものなる木」“雲になごむ光、をさなき我が空” ~和光学園校歌に寄せて~

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和光学園が誕生したのは、1933年(昭和8)11月10日です。

<その日の朝、空は青く澄みわたり、陽は燦然と輝いていた。東京世田谷の経堂駅の南へ徒歩数分のところにある“大橋”のたもとにあった予備校の玄関前に、7名の教師と33名の子ども、そして父母たちが集まって小さな私立小学校を発足させたのだった。敷地もなく校舎もなく、そのうえ学校の名すら未定のまま、教師と子どもと父母だけで新しい学園をつくったのだった。>と『和光学園五十年』の冒頭にあります。

“大橋”とは、現在の「経堂駅入口」の信号のところです。当時、城山通りは川であり、その上に“大橋”がかかっていました。私が和光学園に赴任した頃、町名版はまだ「経堂大橋」でした。

敷地もなく校舎もなく、学校の名前すら決まっていないところで、新しい学校を創ろう、と集った7名の教師と33名の子どもたちとその父母たち。校長に予定されていた吉田慶助氏は、そこで「メイフラワー号」の話をしたと言います。300年前、自由の天地を求めて新大陸アメリカに渡った清教徒たちの話でした。舟に乗って新しい天地の開拓に志した人々の希望と決意を、新しい学園をつくるためにそこに集まった人々と共有したいと願ったのでしょう。

 

1933年といえば近代日本の歴史における激動の年でした。前年にはいわゆる五・一五事件で犬養首相が青年将校により射殺され、この年の3月、日本は国際連盟を脱退し国際的孤立を深めていきます。ドイツでヒトラーを指導者とするナチスが政権を獲得したのはこの年の1月でした。教育労働運動や民間教育運動が厳しい弾圧を受けるに至ったのもこの年で、「滝川事件」が起こり、学問の自由と大学の自治が強力なファシズム権力に押しつぶされてしまうことになります。

そのような時代背景の中、「成城学園事件」といわれる事件が起こりました。和光学園はその過程で誕生することになるのです。

成城学園は、前京都帝国大学総長、沢柳政太郎氏によって、1917年、わが国初の教育改造運動の「実験学校」として創設されました。そして大正デモクラシーの潮流に支えられて展開し、自由教育のメッカとしての役割を果たしてきたと言われています。

1933年春から秋にかけて、その成城学園で「紛争」が起こります。高校生、父母たちも巻き込んでの事件となり、警視庁捜査課、文部省、府学務課(当時は東京府)が乗り出すまでになりました。事件を嘆いて、父母の一人であった北原白秋は数多くの歌を詠んでいます。

 

このような状況の中、9月20日、弘重寿輔を仮委員長とする「新学園設立準備委員会」は、成城小学校の全父母に新しい学園をつくるための呼びかけを行いました。

この時集まった父母たちがどのような思いで新しい学園の構想と理念について語り合い、学園設立への熱意を高めていったのかは、またの機会にご紹介したいと思います。

呼びかけを行った5日後の9月25日、全児童約400名のうち250名の退学届が一挙に成城小学校長宛てに提出されました。大部分が新学園設立の呼びかけに応じてくれるかと期待したのですが、新学園の設立に集うのは、7名の教師と33名の子どもたちとその父母たちとなり、吉田慶助氏を校長に迎えて、まことにささやかな規模での新学園の発足となりました。

 

校地を「世田谷区世田谷四丁目六二五番地」に選定したのは12月初旬のことでした。周りには麦畑が広がっていたと言います。地鎮祭のときは冷たい北風が吹き、参列者は襟をそばだてました。この学園の発展を心から期待していた北原白秋も建設現場にしばしば足を運んだということです。

当時を思い出して吉田慶助氏は次のように書いています。「材木が運び込まれた時の子どもたちの喜びはたとえようのないものだった。和光の名前が私の頭にひらめいたのも、この前後である。いつものように何か考え事をして大橋の袂へさしかかった。と朝の太陽が和やかに輝いて私の心を射た。和光、と思わず叫んだ、のがそもそもの起こりである。」(『和光』1934年7月発行 新仮名遣いにしています)

<吉田は東北帝国大学で哲学を学び、漢学の素養もゆたかな人であったから、「和光」ということばが、中国の古典『老子』にある「和其光同其塵」、すなわち「和光同塵」に由来している、ということを熟知していたにちがいない。それは「自分の知徳の光を和らげ隠し、世の塵俗の中に混じていること」を意味しており、彼の謙虚で実直な人柄にもなじむことばであった。>と中野光(あきら)氏(元和光大学教授)は『和光学園五十年』に書いています。

和光学園の校舎が落成したのは、明けて1934年(昭和9)3月20日、その3日後の23日に東京府知事により設置認可の通知がありました。4月2日には新校舎への移転が完了、記念植樹がなされ、4月5日に小学校の入学式、4月20日には幼稚園の入園式が行われます。そして4月29日には「和光学園開校祝賀式」が挙行されました。そこで披露されたのが、北原白秋作歌(作詞)、山田耕筰作曲の「和光学園校歌」です。

 

私が和光学園に赴任した頃は、入学式や卒業式には「ひとつぶの種」が歌われており、11月の創立記念日の頃、「和光学園には校歌があります」としてこの校歌が紹介され、音楽の時間に歌ってみる、ということが行われていました。

「和光学園校歌」を歌うたびに、新学園創立に希望の光を見いだした当時の教師、父母たちの願いが迫ってくるのでした。

 

和光学園校歌

作歌 北原白秋  作曲 山田耕筰

 

1.雲になごむ光、

をさなき我が空、

梢窓に見えて

新し、すべてれり。

つどえよ、きそへ、われら。

かがやけこの丘、

和光学園。

 

2.土に映る光、

をさなき我が影、

育つものは伸びて

豊けしかをるまごころ。

磨けよ、学べ、われら。

かがやけこの丘、

和光学園。

 

3.常にあほぐ光、

をさなき我が夢、

日々に燃えて

勇まし友と正しく。

鍛へよ、努め、われら。

かがやけこの丘、

和光学園。

 

 

みなさんにお聴かせする機会がありましたら、その時また。

 

 

和光小学校校長ブログ「子どものなる木」“桜が咲いて顔もほころび” ~和光小学校校歌「この道をゆく」に寄せて~

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今年は長く花を楽しませてくれた桜も、若葉が芽吹くようになりました。
桜吹雪の頃、いつもなら1年生が桜の花びらを手に受け、その様子を初めての美術で絵筆の使い方を教えてもらいながら表現していたことを想っていました。

和光小学校のHPで来るべき入学式に備えて、教員たちがリレー形式で歌った校歌「この道をゆく」(作詞:丸木政臣 作曲:池辺晋一郎)を配信したのは十日前になります。子どもたちといっしょに思いっきり歌う日を想いながら、時々動画を流しながら、一人で歌っています。

「この道をゆく」、作詞は当時の丸木政臣学園長、作曲はかつての親和会員でもあった作曲家の池辺晋一郎さんです。誕生したのは1997年でした。
<不思議なことに、和光学園には、和光学園歌、和光学園校歌、和光幼稚園の歌、和光鶴川幼稚園の歌、和光中学校校歌、和光高校校歌はあっても、長い間和光小学校には校歌がなかった。入学式や卒業式では「ひとつぶの種」を全校で歌い、子どもたちの中にはこれが校歌だと勘違いしている者もいた。>と『和光学園八十年史』に記されています。
1992年に和光鶴川小学校が誕生し、1997年には6年生までがそろう完成年度を迎えましたが、その前年、鶴小の教師たちが完成校のお祝いに校歌が欲しい、と丸木先生に懇願しました。作曲を和光学園とつながりがある池辺晋一郎さんにお願いすることにし、鶴小の校歌が誕生します。
と同時に、同じように丸木先生作詞、池辺晋一郎さん作曲の和光小学校の校歌「この道をゆく」もできあがりました。
かくして鶴小の校歌は、校舎裏に広がる雑木林の四季折々の姿をイメージした歌詞となり、和光小は「桜」「いちょうの木」をモチーフにした校歌となりました。
そして、両校ともに「自由」「希望」「平和」と、丸木先生が和光教育の中に理念としてしっかりと位置づけたことばが入っています。

毎日子どもたちの笑顔を思い出しながら、「この道をゆく」を口ずさんでいます。

次回は、和光学園開校当時の「和光学園校歌」についてお話ししたいと思います。

和光小学校校歌「この道をゆく」
作詞:丸木政臣 作曲:池辺晋一郎

桜が咲いて 顔もほころび 朝の光が 輝きわたる
肩を並べて 元気にゆけば 憧れの空の下 雲は流れ
自由のあかりが 行手を照らす

庭のいちょうが 黄いろく萌えて こずえを見れば 歴史の流れ
夢を描いて 集う人たち 未来への空の下 僕らはみな
希望を抱いて 歩き続ける

木枯らしの中 顔をほてらせ みんなでうたう 命の讃歌
山の彼方に こだましあって 朝焼けの空の下 喜びあふれ
平和の未来を 語り続ける

和光小学校校長ブログ「子どものなる木」歴史に残る卒業式 ~2019年度 和光幼稚園・和光小学校卒業式 式辞~

幼稚園 北山校園長ブログ

3月2日からの臨時休校、その後の春休みと、教室から子どもたちの声が聞こえなくなってそろそろ1ヶ月が経とうとしています。
東京都の感染者数が増えていく中、子どもたちはどのような気持ちで日々を過ごしているのでしょう。保護者のみなさまも、私たち教職員も先が見えない不安を抱える日々ではありますが、私たちは2020年度の開始を目前にし、子どもたちに少しでも楽しく実りある学びを準備したいと思っています。

新年度の開始日、入学式の日程については、学園対策会議を経て、改めてお知らせ致します。

さて、臨時休校が続いている中、3月17日、和光幼稚園、和光小学校の卒業式が行われました。感染拡大を防止するための方策をとりながらの挙行でした。
幼稚園、小学校の子どもたちに向けた式辞です。

<幼稚園>
卒業生のみなさん、急に幼稚園に来ることが出来なくなって寂しかったりつまらなかったりしたことと思います。先生たちもみんなと一緒ににやりたいことがたくさんあったのに、急にそれができなくなって悲しかったです。
でも、和光幼稚園でみんなが仲間と一緒にたくさん遊び、生活してきたことはみんなのからだの中に詰まっています。どうぞ胸を張って1年生になって下さい。
1年生になるみなさんに、北山先生から大事にしてほしいことを2つ、お話ししたいと思います。
1つめ、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分でやってみる、ということを大切にして下さい。小学生になると、本で読んだり、だれかから聞いたりして新しいことを知ることもふえてきます。それでわかったつもりになることもあります。でも、“自分で”確かめることをせひ大事にして下さい。
2つめは、自分が思ったこと、感じたことを大切にする、ということです。他の人と違っていても、自分はこうしたい、と思うことを大切にして下さい。
これからみなさんはそれぞれにちがう小学校へ進んでいきます。新しい場所で新しい人との出会いを大切に、大きく育っていって下さい。そして、「和光のこども」であったことをいつまでも忘れないでいてくれるといいな、と思っています。
卒業、おめでとうございます!

2020年3月17日 北山ひと美

今年ほど今日という日を待ち遠しく、また緊張感を持って迎えたことはありません。2019年度の卒業式は、まさに歴史に残る卒業式となりました。
2月末、突然の臨時休校に、卒業までの大切な日々を奪われてしまったみなさんの気持ち、和光小学校での最後の日々を共に楽しみにして下さっていたおうちの方々の気持ち、みんなといっしょにやりたいことがたくさんあった担任を初め先生たちの気持ち・・・・・・ ほんとうにどこにも持って行きようのない多くの気持ちがありました。そのような日々の中で迎えた今日の卒業式です。

歴史に残る、ということでは2つの卒業式のことをお話ししたいと思います。
9年前、東日本大震災の瞬間、私は鶴小の6年生担任として「6年生を送る会」に参加していました。その後に続く余震と東京電力福島第一原発の事故による計画停電で休校が続き、日程を変更した卒業式を行いました。今年ほどの長さではなかったのですが、卒業までの最後の日々にやりたいと思っていたことがすべてなくなり、放射能という見えない敵が立ちふさがる不安の中、卒業を迎えたのです。みなさんの中には3年生の時、津波の大きな被害にあった大川小学校を訪れた人もいると思いますが、被災地の学校では卒業式どころか、多くの方が命を落とし、日常の生活が戻るのに長い年月がかかっています。
75年前の3月、太平洋戦争の末期、米軍が沖縄に迫ってくる中、中山きくさん、島袋淑子さんたちは女子学徒隊として戦場に駆り出されました。昨年10月の沖縄学習旅行で訪れたひめゆり平和祈念資料館の最初の部屋には、戦争が始まるまでの楽しい学生生活の様子が展示されています。きくさん、淑子さんたちは卒業式を目前にした3月23日、学徒隊として従軍するために、先生と一緒に南部へと向かったのでした。ひめゆり学徒隊の卒業式は、南風原陸軍病院壕のそばの三角兵舎で行われました。その時は卒業証書もなかったそうです。

沖縄戦に駆り出された学徒隊の方たち、東日本大震災の被災地の方たち、そして今回の新型コロナウイルスによる突然の臨時休校となってしまった6年生のみなさん、到底比べることはできませんが、当たり前の日常生活が何ものかの力によって突然奪われてしまい、そのことに抗いようがないということでは、沖縄で出会った証言者のみなさんのお話しが実感を持って迫ってくる想いがします。
ただ、私たちはウイルス感染を避け、いのちを守るために学校生活を手放さざるを得なかったということであり、大きな地震と津波によって多くの人が命を奪われた被災地の人たち、いのちを奪い合う戦場に駆り出されたきくさんや淑子さんとは、見えている未来が違っています。

この2週間、みなさんも様々なことを感じ、考えて過ごしたことと思います。人類はこれまでもウイルスとの戦いを続けてきました。SARS、新型インフルエンザは記憶に新しいところです。今回もほんの2か月前までは海外での感染の広がりであり、直接私たちに関わることはまずないだろうと思っていたのですが、今や世界的な感染拡大の中、私たちの日常生活がすっかり変わってしまうという状況になってしまいました。みなさんは、どうしてこれが今年なんだ、というやりきれない思いを持っていることでしょう。私もそう思っています。
でも、最後の日々がなくなってしまった悔しさはあるものの、みなさんが和光小学校で過ごした日々、学んだこと、仲間とともに作り上げてきた生活、行事などなどは消えることはありません。
1組の2月26日の学級通信には、円の面積の求め方をあれこれ考えたみなさんのノートが紹介されています。何千年も前からいろいろな国の学者たちが試行錯誤して求めたことを、同じように試行錯誤してみる、仲間の考え方を知り、さらに考えを深める… 低学年の時からみなさんが身に着けてきた学び方です。
2組は休校が決まった最後の日に書いた「6年間をふりかえって」が、休校中も学級通信で交流されていました。総合学習では「沖縄」のことを書いている人が多かったのですが、私は5年生で取り組んだ「羊羹」がとてもこころに残っています。「本物」に近づけるために試作を繰り返し、プロの方々と出会い、プロの方が舌を巻くような意欲的な探求を行う… 自ら問いを持ちそれを解き明かしていくおもしろさを体感しているからこその学びの姿だと思いました。
運動会、キャンプ、いちょうまつり、そして花組との交流会、どれもこれまでの6年生の二倍の仕事をこなしてもらわなくてはならず、それでも活き活きと活躍している姿がまぶしく感じられたものです。
とりわけ最後の劇の会、「ミラボロリン」「ハッピーバースディ」は、脚本を決めていく過程、キャスト、スタッフを決め練習を進めていく様子から、自分たちの劇を自分たちの力で作る、という意気込みが伝わってきました。どちらの劇も見ている人たちに届けたいメッセージがあり、自分たち自身がこの劇づくりの中で家族のこと、仲間のこと、人間が生きていくということを深く考えることになったのではないかと思います。

いよいよ中学生になります。これからも自分の目で確かめること、直接体験すること、そして自分の頭で考えることを大切にして下さい。学習も生活も、これまでよりぐんと広がり、深まっていきますが、和光小学校で培った力を信じて新しい世界に羽ばたいていって下さい。
卒業、おめでとうございます!   

2020年3月17日

和光小学校 校長 北山ひと美

和光小学校校長ブログ「子どものなる木」あこがれの空の下、雲は流れ ~ドキュメンタリー映画、クラウドファンディングが終了しました~

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学校が突然の休校となって一週間が経ちます。
子どもたちにとってはこれまで続けてきた学校生活がいきなり「終わり」となってしまい、何が何だかわからないうちに長いお休みが始まってしまいました。感染拡大防止のための緊急措置であるとはいえ、子どもたちも保護者のみなさまも、心の整理がつかないままの日々を過ごされていることでしょう。
私たち教員も、そうでなくてもあと何日、と指折り数える3学期、あれもやりたい、これもやろう、と、子どもたちとともに過ごす最後の日々を楽しく充実したものにするため、それぞれに考えを巡らせているところでした。今は、会えなくなった子どもたち一人ひとりのことを想いながら、この1年間の学習と生活を振り返り、4月、始業式で手渡す「評価カード」を作っています。
6年生のみなさん、和光小学校での大切な最後の日々を、こんなに理不尽な形で取り上げられてしまったことに、気持ちの持っていき場がなく、辛い悲しい想いをされていることだと思います。保護者のみなさまも、親和会で語り合う場も持てないままに卒業が近づいていること、やりきれない想いをお持ちだろうとお察し致します。
みなさんの体調が安定し、少しでも心安らかに毎日を過ごされることを願うばかりです。

さて、この“コロナパニック”でドキュメンタリー映画「あこがれの空の下」の先行上映会のお知らせなどが滞ってしまっていました。みなさまにご協力をお願いしたクラウドファンディング、先ほど終了となりました。
最終的に、186名の方に応募して頂き、4,252,001円が集まりました。目標額の300万円を大きく上回る金額となりましたこと、驚きとともに感謝に堪えません。
臨時休校措置で子どもたちの生活がどこかに追いやられてしまいかねないような事態であるからこそ、私たちは、子どもたち一人ひとりを大切にするということはどういうことなのか、子どもたちが多くの時間を過ごす学校生活、学校での学びをどう作っていくのかを落ち着いて考えなければなりません。

一昨日、古い卒業生の方が和光小学校を訪ねてきて下さいました。
2年前、戦後間もない頃、和光学園で学んだという同窓生の方々が、90歳になられたかつて和光高校の副校長(当時は主事と言いました)であった小林先生を囲んで、和光小学校の教室で同窓会を開きました。後で当時の貴重な写真をCDにしたものを頂き、「昔の和光学園」の学習に使わせて頂いたのでした。
その小林先生から、第14回卒業のみなさんが和光小学校で同窓会をしたいそうだ、とご連絡を頂きました。一昨日は昭和23年(1948年)生まれだという卒業生の方が、会場の下見にいらっしゃいました。当時は小学校、中学校、高校が今の和光小学校の中高学年棟にあり、今の幼稚園園舎の向こう側には豚小屋があって、時折においが漂ってきたのだとか。当時と変わらないのはいちょうの木と校舎わきの松の木だけとなりました。
小中高とこの校舎で過ごしたというその卒業生の方が、和光で学ぶことが出来てほんとうによかったと思っている、この教育のよさはすぐにはわからない、大人になってようやくわかるものだ、と話して下さいました。うれしいおことばでした。クラウドファンディングのコメントには、「自分が通った時と様変わりしていましたが不思議と違和感はありませんでした。 銀杏の木の場所はそのままでしたが大きく大きくなっていて、子どもたちを見守り続けているように感じました。 素敵な記録になっていることと期待しています。」と書いて下さいました。

クラウドファンディングには、最後の数日、20名近くの方が応募して下さいました。世界中がウイルスという見えない敵に対峙せざるを得ないこの時期に、和光小学校のドキュメンタリー映画に関心を寄せて頂き、私財を投じていただいたということに胸がいっぱいになります。
残念ながら、3月下旬に予定していた先行上映会は、延期となる可能性も出てきました。その時は、このさわぎが落ち着き、新しい1年が始まったところで改めて先行上映会のお知らせをさせていただきます。

卒業式まであと10日、私たちは最高の卒業式を準備したいと思っています。

和光小学校校長ブログ「子どものなる木」激動の2学期でした~終業式、子どもたちの発表~

幼稚園 北山校園長ブログ

20日は2学期の終業式でした。各学年の子どもたちから、2学期を振り返っての発表があります。

1年生は両クラスから8人が出て話しました。緊張して小さな声になってしまうと、聞いている全校の子どもたちが息を潜めて耳を傾け、相手に気持ちを向けるということはこういうことなのだと感じました。

「アイヌデーで料理を作って食べたこと」「コマを回せるようになった」「みんなで(2年生の)劇を見たのが楽しかった。みんなで(国語で)ぱなんぺ(の話)をしたのが楽しかった」「(算数の)じゅうらしっくぱーく、すごく速いのができてうれしかった」「鉄棒が苦手だったけど体育をはじめてだんだん成長したなと思う」「いちょうまつりで友だちとうちわづくりをしたのが楽しかった」「前まで友だちがいなかったけど、なつめさんが友だちになってくれたから友だちができてとてもうれしかった」

2年生は2組の人たちが“二学期俳句”を発表しました。学習、活動の節目に五七五で表現しています。

「プールでね、およげるようになったんだ」「九九だよね、三のだんだよ はやくちだ」「おうさまは こえが大きく うるさいな」「むずかしい かんじのテスト がんばるぞ」「がんばった みんなのげきが せいこうだ」「パンづくり カチカチパンが フワフワに」「あらうまだ はげしくおどる たのしいな」

3年生はけん玉に取り組んでいます。技を見せてくれる人たち、と声をかけると、学年の半分以上の人が前に出てきました。「とめけん」「飛行機」など難しい技も披露してくれました。11月の東京韓国学校との交流でも膝の使い方などを伝授していたことを思い出しました。「もしかめ」は4番まで、歌に合わせてやり続けることができる人がたくさんいて、低学年の子どもたちは釘付けになっていました。

4年生は2人が振り返っての発表をしました。「激動の2学期でした。」と話し始めたじょうくんは、いちょうまつりのこと、多摩川の学習でグループ活動をするとき、もめることもあってたいへんだったけれど、何とかグループでの発表ができて良かった、と結びます。もう一人(すみません、名前を失念しました)の人も、総合学習多摩川でグループ研究をし、“伝える会”で3年生やおうちの人に伝えることができたことがよかった、と話しました。

5年生、かじゅさんは社会科で米作りをしたことを振り返ります。「田植えをして収穫した米、精米しみんなでおにぎりを作った。」と。そうやくんは、いちょうまつりのこと。うどん作りは失敗することもあって難しかったけれど成功してよかった、と話しました。

6年生はやはり沖縄学習旅行のことでした。夜の学級集会でみんなで討論し、戦争や平和のことを考えた、とゆうとくん。ゆうごくんは、フィールドワークをしたこと、3年ぶりに座間味島に渡り、座間味の海で泳ぐことができたことが心に残っている、と語りました。

この2学期も、一人一人の子どもたちのこころに刻まれる学びが豊かに展開されたことを感じる発表でした。

 

子どもたちの発表に先立ち、先生を代表して、と私からは以下のような話をしました。

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おはようございます。

今日は2学期最後の日です。そして、もうすぐ2019年が終わります。

今年1年を振り返ったとき、私のこころに残っている2人の人のことをお話しします。

1人は、12月4日アフガニスタンという国で銃撃されて亡くなった中村哲さんというお医者さんです。

15年ほど前、私が所属する研究会に中村哲さんに来てもらってお話を聞きました。中村さんは子どもの頃から昆虫が好きで、珍しいチョウが見られるかもしれない、と思ってパキスタンという国へお医者さんとして行ったそうです。その後アフガニスタンへ行って治療を続けますが、雨が降らないで畑の作物がまったく作ることが出来なくなる大干ばつに襲われ、たくさんの人が亡くなりました。清潔な水と食べ物があれば治る病気でも亡くなってしまう人たちがいることに心を痛めた中村さんは、井戸を堀ることを思いつきます。その後15年以上にわたって畑に水を送る用水路を建設し作物をたくさん育てることが出来る手助けをしています。

私がお話を聞いたのは井戸掘りを始めた頃でした。お医者さんでありながら現地の人たちの暮らしを守るためにどのようにすればいいかを考えて活動していて、すごい人だと思いました。

アフガニスタンという国は、まだ銃で襲われたり爆弾を仕掛けられたりするような不安定な地域ですので、中村さんも十分に注意をしていたのですが、襲われてしまいました。日本の人たちにとっても、アフガニスタンの人たちにとっても、たいへん大切な人が、このような形で命を落とされたこと、ほんとうに残念で悔しくて仕方がありません。

生前中村さんは息子さんに、大切にしている3つのことを話していたそうです。

1つめは、家族はもちろん人々の思いをくみ取ること

2つめは、物事にとって何が必要であるかを見きわめること

3つめは、その必要なことのために行動を起こすこと

なのだそうです。

この話を聴いて、もう一人今年こころに残っている人のことを思い出しました。

それはグレタ・トゥーンベリさんというスウェーデンの16歳の女性です。

グレタさんは、今年の9月、地球温暖化を防ぐための行動を起こして欲しい、と国連で世界中の人たちに向かって話をしました。12月には世界の環境を考える会議でも話をしています。自分たちの利益だけを考えていると、やがて地球の温暖化が進み、たくさんの災害が起こる、ということを一生懸命訴えました。

若い人がこれからの地球環境のことを考えていっしょうけんめい訴えている姿を見て、心を打たれるとともに、私たちは今どういう行動を起こさなければならないのか、を真剣に考えなければならないのだと思いました。

2学期の最後に、もう一つみなさんにお伝えしたいことがあります。

和光小学校の映画ができました。去年1年間、テムジンさんという会社の人が和光小学校の授業や活動などを撮影し、映画に仕上げてくれました。題名は校歌の中のことば「あこがれの空の下」です。

今日の夕方、鶴川駅のそばの和光大学ポプリホールで初めての上映会があります。おうちの人といっしょに観に行く人もいることでしょう。

私も仕上がったものを観るのは初めてなので、とても楽しみにしています。

では、2学期のこと、今年1年のことを振り返りながら、来年1月、またみなさんに会うのを楽しみにしています。

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クラウドファンディングのお願い

和光小学校の1年を追ったドキュメンタリー映画「あこがれの空の下」ができあがりました。20日、和光大学ポプリホールにて行った第1回の学内上映会には120名を超える方々のご参加をいただきました。ありがとうございました。

NHKの番組を多く手がけていらっしゃるテムジンさんが、和光小学校に通い続けて撮影、編集を行ったこの作品、教員とはまた違った視点で授業を見つめ、子どもたちを見つめ、和光小学校の“今”を描いています。

12月の上映会に参加できなかった幼稚園、小学校の保護者のみなさま、和光学園関係者のみなさまに向けて、第2回上映会を予定しています。

 

2020年1月17日(金)12:30~  17:00~    (ともに開場は30分前)

 

この日も二部制とします。子どもたちも保護者の方といっしょに参加できます。

どうぞみなさまお誘い合わせの上、お越し下さい。

 

もう一つお願いがあります。この作品はスポンサーがついているわけではなく、制作費のためのクラウドファンディングを募集しています。まだまだ目標額に到達していません。どうぞ多くの方に広めていただき、クラウドファンディングのご協力もいただきますよう、重ねてお願い申し上げます。

詳しくはHPをご覧下さい。

 

ではみなさま、よいお年をお迎え下さい。

 

現代社会には大人でも答えの出せない様々な問題があり、そうした問題についてどう考えるのか、考え方を身につけることが小学校での学びの大切な到達点~和光小学校の教育、質問にお答えして~

幼稚園 北山校園長ブログ

いちょうまつりを2日後に控え、お店の準備、踊りの練習も佳境に入っています。ご近所のみなさまには、連日の太鼓の音でご迷惑をおかけしております。

さて、今年5月に行った和光幼稚園からの内部進学のための説明会で、参加されたみなさまからいくつかのご質問を受け、それに対する回答を幼稚園では園通信でお届けしましたが、外部から受験を考えていらっしゃる方にも共通する部分があるかと思いますので、その中から一部Q&Aという形でお知らせしたいと思います。 

<教育課程に関わって>
Q.総合学習「沖縄」を1年かけて取り組むことに偏りはないのでしょうか?沖縄を深く掘り下げて学ぶ必要性は?小学校6年生でそこまでやるのはなぜでしょう?
A.総合学習「沖縄」については、今年度6年生担任の東田教諭から文書で答えさせていただきます。(この内進説明会で総合学習「沖縄のことば」の授業を参観していただき、その後授業に対する質疑応答があり、2つの質問をいただきました。「なぜ沖縄なのですか」と「沖縄だけを学ぶのは見方が狭くならないですか」という内容でした。その時も答えさせていただいたのですが、後ほどもう少し詳しく文書にしたものを園通信で紹介させていただきました。そこからの抜粋です。)

〇「なぜ沖縄か」という問いには、「何よりも沖縄がテーマとして面白いからです」というのが答えです。子どもたちと授業を作っていく上でのテーマ・題材はいろいろあります。たとえば算数なら平均、分数、単位当たり量など、社会なら歴史、国語なら俳句・短歌・文学作品、体育ならリレー・・・と、それぞれ学んでほしい中身があり、考えて欲しい中身があり、学ぶ中で考える力を育てたり物事の見方を身につけていってほしいと願っているわけです。その時に、やはり「面白い」ということは重要なファクターだと思っています。解き明かしたい謎や、やって楽しい過程がある、やりごたえがあることは大切なことだと思うからです。そうした意味で、沖縄には大きな学びがいがあります。亜熱帯の気候と海洋に囲まれた自然の素晴らしさ、琉球王朝からの歴史とさまざまな文化と人の技の面白さ。そして戦争の悲惨さと今に続く基地の問題は現代社会を考える上で重要な課題だと思っています。これらの沖縄が持っている顔は、一面的ではありません。非常に複雑に絡み合っています。それだけにどこから入ってもどこまでもつながっていく面白さが沖縄にはあるのです。だから沖縄を学ぶのです、というのが1つ目の答えです。
〇「なぜ沖縄だけなのか」という問いには、沖縄学習の中での多様性やほかの学習との関連の中での多様性ということもありますが、「小学生の学び方とはどういうものであるか」という点からも重要な意味があると思っています。1つの物事を考え、捉えていくときに多角的な視点で、とよく言われますが、子どもたちの思考というのは何もないところで多様な考えにいきなり触れても混乱するばかりです。まず徹底して1つの物事を見る目を身につけることが重要なのだと思っています。1つのことをみんなで追求していく中でこそ見えてくるものがある、というのは例えば昨年度の羊羹をみんなで一年間追ってきたことの中で見えてきたもの、身につけてきたものが例となるでしょう。1つのことを深くじっくりと見ていくということの中で子どもたちの思考はしっかりとしたものになっていきます。その上で、子どもたちは多様な意見や見方に出会い揺さぶられます。現代社会には大人でも答えの出せない様々な問題があります。そうした問題についてどう考えるか、考え方を身につけることが小学校での学びの大切な到達点だと思うのです。そのために、狭いどころか深く広い学びを沖縄を通してやっているのだと考えています。
 これらのことを、6年生の子どもたちの姿、学びと成長を通して伝えていくことができれば、思っています。

Q.総合学習「沖縄」の他にどういう内容のものがあるのでしょう?また、総合学習が全体の学習に占める割合はどれぐらいでしょう?
A.総合学習は3年生以上に位置付いています。学年の単元として、3年生は「カイコ」「地域の素材から」、4年生は「多摩川」、5年生は「食」「障がい・共生」、6年生は「沖縄」「憲法と私たちのくらし」です。全学年に渡って取り組む領域別の単元では、「異文化国際理解」領域と「からだ・こころ・いのちの学習」領域があり、1年生から6年生までそれぞれに単元があります。1,2年生は、生活べんきょうとして、それぞれにベーシックプランを持っており、身近なものから自然、社会に目を向けることができるような内容になっています。1,2年生の生活べんきょうは、週に6時間、3年生の総合学習は週に2時間、4年生以上の総合学習は集に3時間です。
(総合学習については6月30日(日)の講座で増田教諭からお話しさせていただきました。)

Q.外国語(英語)教育はどうなっているのでしょうか?
A.外国語をことばとしてのみ取り出して学ぶのではなく、人との交流を通してことばにも触れていくことが、小学生の学習としては大切であると思っています。そのため、「異文化国際理解」の領域の中で、3年生は「韓国」、4年生は「中国」を位置づけ、さまざまな文化とともにことばも学んでいくことにしています。日中韓三カ国交流を続けているのもそのためです。5,6年生は「インターナショナルスクールとの交流など」とし、英語に触れる学習を行ってきました。ただ、2020年度から実施される学習指導要領には5,6年生に教科としての「外国語」が導入され、内容はほぼ「英語」となっていますので、和光小学校でもどのような形で行っていくことが意味のある学習になるのか、ここ数年研究を続けてきました。昨年度から、長年小学校の英語学習の教材を研究し、各地で授業も行っていらっしゃる外部講師の方のお力もお借りして、4,5,6年生に“テーマ学習”としての「英語」に取り組んでいます。総合学習と結びつけたテーマや文字そのものに興味を持てるテーマ、日本語との違いのおもしろさを感じることができるテーマなど、各学年の発達段階に応じた学習を組むことができ、子どもたちは外国語・英語に興味を持つことができたのではないかと思っています。
今年度も5,6年生は引き続き“テーマ学習”に取り組み、さらに発音、ことばの響きにも触れることができるような学習を進めました。
また、3,4年生には和光高校で長年講師をしていらっしゃるネイティブの先生に、ことばとしての英語のおもしろさを実感できるような授業をしていただきました。
来年度はさらに内容を広げる方向で、外部講師の先生といっしょにカリキュラム作りを進めていきたいと考えています。

Q.公立校で行っているプログラミング学習は?
A.学習指導要領で示されているプログラミング学習は、あまり具体的に示されている内容がなく、何のためにどのような学習が必要であるのかを私たち自身が検討したいと思っています。

Q.低学年での教員の配置(補助教員はいるのか)など知りたいです。
A.各学年ともに、担任の他に学年所属の教員(専科担当)が一人います。学年会にも所属教員が入り、子どもたちの状況を捉えるようにしています。さらに1年生では算数を中心にもう一人補助教員がつく授業を週に4時間行っています。ナイフを使う、針仕事をする、などの時には、補助教員を配置することもあります。

<教科学習の内容、習熟・定着、評価について>
Q.わり算を5年生から取り組むということですが、2年間で他の小学生と同じぐらい理解できるようになるのでしょうか?
A.演算のしくみを本質的に学ぶことで、分数の概念はしっかり身につきます。何年か前、『分数のわからない大学生』という本が話題になりましたが、和光の両小学校出身の中学生、高校生は、分数の原理がわかっているのでここに書かれているようなことは考えられない、と卒業生が話していました。6年生は分数の乗除を学びますが、分数のわり算はなぜひっくり返して掛けるのか、を、きちんと自分のことばで説明できます。私たちはむしろ教科書で学んだ小学生よりよく理解していると思っています。

Q.教科書がない授業で宿題等はプリントだけで考えるということでしょうか?
A.その教材を理解するためにどのような教材教具を準備するかを、私たちはいっしょうけんめい考えています。子どもたちのわかりかたに即したプリントを手作りしているのはそのためです。宿題も市販のものではなく、今行っている学習に合わせた内容のものを準備しています。

Q.塾に入らないと授業について行けないとかはあるのですか?
A.ありません。むしろ学校の授業でしっかり学ぶことで理解を深め、次の学習に意欲を持って臨むことができるように、私たちは授業作りに力を注いでいます。

Q.個人個人がほんとうに理解しているかどうかは、どのように確認しているのでしょうか?テストのことなど教えて下さい。
A.一つの単元が終わると、どれぐらい理解しているか、のテストなど行います。ときどき、単元の途中でもミニテストを行うこともあります。学年、教科内容によってはレポート形式での課題とし、理解度を見ることもあります。そして、学期ごとに子どもたちに手渡すのは通知表に代わる「評価カード」です。これは教科ごとにその学期に行った内容をお知らせし、いくつかの観点で到達度評価を行います。子ども自身が自分が不十分であったところがわかり、フォローアップできるようにしています。夏休みなどに担任が学習会を開くこともあります。

Q.ていねいに取り組むのはいいと思いましたが、スピード感がない感じがあり、1年でどれぐらい学べるのか知りたいです。
A.一つ一つのことをていねいに学んでいくということで“わかるよころび”“できるよろこび”を子ども自身が感じることができます。もっと知りたい、もっとやってみたい、というのは、そういう“学ぶ喜び”があってこそではないでしょうか。学びの量も質も決して他の学校に引けを取っているとは感じていません。子どもは、学びたい!と自ら感じるとき、初めて「学び」に向かうのです。もう一つ、仲間と共に学ぶことで喜びはさらに広がるのだと思います。自分の説明で友だちが「わかった」と言ってくれたとき、友だちの話を聞いて納得したとき、子どもたちは学校で学ぶことの喜びを実感します。

Q.板書の機会が少ないのでは?
A.板書は必要な時に必要な部分を書いていくようにしています。教科の特性にもよりますが、一番効果的な板書を目指したいと思っています。

Q.公立校で工夫していることとどれぐらいの違いがあるのでしょう?
A.公立校でもそれぞれの学校、それぞれの教員が工夫して授業作りをしています。
どれぐらいの違いがあるのか、というのは、学校をいくつか見ていただくとわかるのではないでしょうか。一つ言えることは、公立の小学校は各自治体の教育委員会、指導主事の指導の影響を大きく受けているのではないか、と、研究会などで公立小学校の教員から聞く話から感じることがある、ということです。

Q.学習方法はとてもおもしろかったけれど、中学生になった時、公立の子どもたちとの学習の差はないのでしょうか?
A.特徴的なカリキュラムを組んでいるので、たとえば歴史上の人物をどれぐらい多く覚えているか、年代をどれぐらい覚えているか、などと聞かれると、そのようなことに学校の授業では時間を割いていないので比較すると少ないかもしれません。でもそんなことは興味を持ったときに覚えればいいので、何も困ることはない、と多くの卒業生から聞くことばです。

<個々の子どもの授業中の様子、学習への向かい方について>
Q.子どもたちは積極的に手を上げる子どもが多いですが、消極的な子どもたちは、どのように思っているのでしょう?また、授業にどんどん関わっていけない子どもたちにどのようにフォローしているのでしょう?
A.消極的に見える子どもも、その時間いっしょに学んでいます。学んだことをどのように表現するか、周りの人たちにどう発信していくか、はそれぞれの子どもの性格などでさまざまです。積極的に手を上げる子どももそうでない子どもも、この授業でなにをどう学んだのかを教師はつかみ取らなくてはなりません。みんなの中でそんなに積極的に出せない子どもでも、実はいろいろなことを考えたり、自分なりの思いを持ったりしています。いろいろな形でその考え、思いを引き出せるように教師は力を尽くします。
「消極的な子ども」については、6月6日(木)、増田教諭が幼稚園へお話しに伺ったときのことを、校園長ブログで紹介させていただきました。(キーワードは「書く」こと ~“和光らし子”ってどんな子ども?!~)

Q.自己主張は身につくと思いますが、協調性はどうなのでしょう?
A.クラスの仲間と共に学び、運動会など行事に取り組む中で、仲間と力を合わせること、いっしょに何かに取り組むことの心地よさを感じることになります。

Q.競争社会への対応と個性を伸ばす部分との折り合いをどう付けていけばいいのでしょう?
A.和光学園の出身者は、今の社会が「競争社会」だとしたら、しっかり対応し、むしろたくましく生きていく力を付けていると感じています。「競争社会」を生きぬく力は、各自の個性がじゅうぶんに伸ばされてこそ身につくのではないでしょうか。多くの卒業生の姿から感じていることです。

<子どもたちの関係について>
Q.いじめはあるでしょうか?
A.学校、教室も一つの社会ですから、いじめが起こることもあります。大切なのは、その時、子どもたちの中に起こっている事実をしっかり見つめ、なぜそのようなことが起こったのかを考え、だれかがいじめられて辛い思いをすることについて仲間たちが考え、そういうことが起こらないようにするためにはどのようにすればいいのかを考え合うことができるかどうか、ということです。小学校の学級通信、親和会でも和光幼稚園と同じように子どもたちの状況を父母のみなさんとリアルに共有しています。

<その他>
Q.からだにハンディキャップがある子どもはだいじょうぶでしょうか?
A.発達年齢に応じた学習、生活が進められているので、和光小学校で学ぶことがその子にとってベストであるのかどうかを考慮して、ハンディキャップのあるお子さんを受け入れるかどうかを決めています。

Q.三位一体や和光の成り立ちについてもっと聞きたいです。
A.和光学園の歴史については、どこかでお伝えできれば、と思います。

2019年度公開研究会(11/16)

幼稚園 イベント, お知らせ, その他, 北山校園長ブログ

2019年度公開研究会開催にあたって 〜ごあいさつ〜

和光幼小校園長 北山ひと美

新学習指導要領をむかえ改めて「子どもが豊かに学ぶ」とは、どういったことなのかを、問い直してみたいと思います。
小学校では算数を中心に、「子どもが豊かに学ぶ授業づ くり」を追求し、6年目をむかえた幼小合同研究では、「多様な参加を受け止め合うクラスづくり」をテーマに研究をすすめていきます。
全国の皆さまのご参加、お待ちしております。

開催要項と申し込みフォームはこちら

“物がないゆえのクリエイティビティがすごいことを毎日感じる”~卒業生、長井ゆきの優希乃さん「マラウイの生活から考える」~

幼稚園 北山校園長ブログ

つい先日夏休みが始まったと思ったら、もう来週からは二学期です。7月末からは猛暑が続きましたが、みなさまお元気でお過ごしでしたでしょうか?

NHKの<チコちゃんに叱られる>で、「夏休みは何のためにあるの?」という質問に、「先生たちが勉強するため」というのが答えでした。その通り、長い夏休み、教員たちは全国各地で開かれている民間教育研究団体などが主催する夏期セミナーなどに参加し、学びを進めるとともに全国の仲間たちとの交流も深めました。

2年生の中には、8月4日から5日に行われる青森県今別の荒馬まつりに親子で参加し、現地保存会の方から講習を受けた方もいらっしゃることでしょう。2年生の教員は今別に行き、1年生の教員は北海道でアイヌ文化に浸る日々を過ごします。

8月下旬になると、各校、園での研究会、幼小研究会、両小研究会、小中研究会、幼小中高研究会と、数日間に渡っての学園内での研究活動を行っています。

幼稚園は学園内の研究会の前に、今年は“他園訪問”で学ぼう、と、静岡県、千葉県、埼玉県の幼稚園、保育園の参観を行いました。私は4人の先生たちといっしょに千葉県富津市にある「和光保育園」(和光学園とはまったく関係がありません)に行きましたが、園舎のつくり、子どもたちの生活時間の流れ、保育者たちの関わり方などにたいへん刺激を受けました。またどこかでお伝えできれば、と思っています。

 

さて、そんな学園内の研究会がそろそろ始まるという8月24日(土)、同窓親和会主催の<卒業生から学ぶ>という企画が催されました。同窓親和会というのは、卒業生の父母の方々、退職教員が卒業後も和光の学びにつながるために集っている組織です。学習会、演奏会などを企画し、学園全体にも呼びかけて下さっています。

今回は、和光鶴川幼稚園、和光鶴川小学校、和光中学、和光高校で学び、その後立教大学、京都大学大学院で文化人類学を専攻し、現在、JICA青年海外協力隊でアフリカのマラウイに派遣されている長井優希乃さんからお話を聞きました。

優希乃さんは私が鶴小で高学年担任をしていたとき隣のクラスにいました。民舞が大好きで元気いっぱいの踊りリーダーだったことを覚えています。中学の時、卒業生からネパール舞踊を学んだことが文化人類学への道につながったのかもしれません。大学の時は、休学して約20ヵ国の国々を旅したのだそうです。

実は、私はこの日までマラウイという国がどこにあるのか知らなかったのですが、タンザニア、ザンビア、モザンビークに囲まれたアフリカ南東部に位置する内陸国だそうです。面積は日本の三分の一ほどですが、出生率は4.57人(2016年)で人口増加率は2.9%。子どもたちがたくさんいる国です。

1年生から8年生までのPrimary Schoolのみ義務教育ですが、1つの学校には1500人ぐらいの子どもたちがいて、1つの教室に200人、教室がない学年もあるのだとか。

国の経済は40%を国際援助に頼っています。日本からの援助もあります。北欧からの200万ドルは女子教育へ、という目的での援助なので、性別役割分業や若年で女子が結婚させられることについて劇にするなどのジェンダー教育を行っているそうですが、まだLGBTは認められていないとか。そんなこともあってか、“カジュアルデー”というお祭りの日には男子が女装するなどして楽しむのだそうです。

マラウイに派遣されて十ヶ月になるという優希乃さん、現地では首都リロングウェから2時間ほど進んだ山あいのマタピラという地域で、小学校教育におけるアート教育アドバイザーをしています。

学区にある12校を自転車で巡回し、体育、演劇、音楽などの教育について教員がスキルアップするためのワークショップを行ったり、子どもたちとアートクラブの活動を行ったりしています。また、現地の子どもたちと日本の学校との交流プログラムを企画、運営もします。学校は点在しているので、毎日20㎞ほどのオフロードの道のりを自転車で回るのだとか。逞しいです!

その中で、アイヌのおどりを子どもたちとやっている映像を見せて頂きました。海外協力隊は日本のおどりというとソーラン節を伝えることが多いのだそうですが、アイヌのおどりは表現しているものが伝わりやすく、自然に対する考え方もマラウイの人たちの生活と近いものがあり受け入れられやすいと優希乃さんは考え、マタンプシも作って棒のおどり、丸木舟のおどりなどやりました。

校舎にみんなで壁画を描くというプロジェクトでは、壁画の模様を子どもたちに考えてもらい、多くの案を投票で選ぶ、という手法で行いました。トップダウンではなく民主的に物事を決めていくことも学校文化の中に伝えています。

日本の調布にある私立の学校と交流した時、ゴミの問題が話題になったそうです。マラウイの子どもたちは「ゴミ?なぜ捨てるの?」と首をかしげます。

電気が通っていないところもあり、国際支援で15年ぐらい前にはあったという水道はメンテナンスができないため壊れたままで井戸水を使っています。物が溢れている日本の子どもたちには想像もつかない生活ですが、どんな物でも工夫して加工し、何かを作ってしまうマラウイの子どもたちのクリエイティビティに、優希乃さんは感動します。物がない故のクリエイティビティがすごい、ということを毎日感じるのだそうです。そして、クリエイティビティって何だろう、と考えます。物に溢れた生活をしている私達は、自分で物を作り出す、作り替えるということができなくなっているのかもしれません。

最後に、国際協力とはかわいそうな人たちを助けてあげるのだ、という意識の傲慢さを話してくれました。こういう“上から目線”が植民地主義につながるのではないか、と。

マラウイでの生活を通じて、「豊かさとな何だろう?」と自分への問い直しをしているのだと優希乃さん。公務員住宅に住み、現地の人たちと同じようにトウモロコシを育て収穫して製粉したものも一袋持ってきてくれました。これで主食のシマを作ります。限られた期間とはいえ、現地の人たちと同じ物を食べ、同じ物を着、現地の風を肌で感じて生活することで新たな発見、学びが得られるのでしょう。

マラウイの子どもたちのこと、学校の先生や地域の人たちのことを語る優希乃さんの柔らかい口調、優しいまなざしが印象的でした。

 

幼稚園、小学校の夏休み、各ご家庭でも長い休みだからこその日々を過ごされたことと思います。夏休み明け、一回り大きくなった子どもたちに会うのを楽しみにしています。

 

和光学園を支えてくださる方に寄付をお願いしています。

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