ページの先頭です。

本校ウェブサイトは、多くの方に快適に利用していただくため、アクセシビリティに配慮した制作を心がけています。

本ウェブサイトでは、JavaScriptおよびスタイルシートを使用しています。スタイルシート未対応のブラウザでは、本来とは異なった表示になりますが、掲載している内容にかわりはありません。

以下のリンクより、本文、メニュー、または共通メニューへジャンプができます。



ここからコンテンツです。

ホーム > 学校案内 >校長室より

校長室から

08年度 親和会広報誌「鶴川通信」 寄稿文

 小林多喜二の『蟹工船』が信じられないほど売れているという。例年、月二百部ペースの販売だった新潮文庫『蟹工船』が、3月から売れに売れ、2カ月でなんと五万七千部も増刷したのだという。驚異的なペースである。

 ブームと言っていいこの動きは、若者から始まったらしい。

 若者の間で『蟹工船』が話題になっていることをある新聞が報道した。その記事を読んだ上野駅構内の書店に勤める元フリーターの若い女性店員が、店頭ミニ広告をつくって販売したところ、なんと1週間で80冊も売れた。それを聞きつけた他の書店が、「過酷な労働環境を描いた名作が平成の『格差社会』に大復活」(丸善・丸の内店)といった店頭ミニ広告をそれぞれつくって平積み販売を始めた。そこからブームが起こったらしい。

 「俺たちってカニコウ?」「日雇い派遣労働ってカニコウ以下じゃん」……といった会話が若者の間で交わされるようになった5月初旬、中旬に『蟹工船』ブームをすべての全国紙が報道した。テレビのワイドショーでもとりあげた。

 そこまでが第1次ブームとすれば、そうした報道に接して多くの若者が『蟹工船』を初めて手にすることになり、またそれとは別に若者時代に読んだ年配者が読み直す気になり、第2次ブームが起こっているらしい。
 私も40年ぶりに読んでみた。

 蟹工船の操業海域は「カムサッカの海」となっているが、カムサッカ海という海はない。カムチャッカ半島の東側であればベーリング海、西側であればオホーツク海である。函館を出港して稚内をかわして航行しているので、どう考えてもカムチャッカ半島西のオホーツク海であろう。

 私は大学生時代に三度、水産高校教員時代に二度乗船実習を体験したが、その最初の航海が、オホーツク海であった。4月のオホーツク海は、灰色の空とそれを映す灰色の海で、いかにも冷たそうで寂しかった。

 その風景を思い出しながら『蟹工船』を読んだ。

 「蟹工船 はまる若者」(5月13日付け朝日)の記事が痛く理解できた。記事中に「団結して状況を変えようとする男たちの明るさと強さにひかれた。『私たちならばあきらめるかも。蟹工船で働く人たちは偉いですよね』と話す」という若者の声が紹介されていた。

 『蟹工船』で「こういうてんでんばらばらのもの等を集めることが、雇うものにとって、この上なく都合のいいことだった」と描かれている周旋屋は、現代の若者にとってはまさに派遣会社そのものなのであろう。その労働の過酷さから言えば蟹工船の比ではないように思うが、一人ひとりがバラバラにされている状況や、先行きの不安ということで考えると、それ以上のものがあるのかも知れない。だとすると、『蟹工船』が書かれた1929年からの79年間、この国の歴史はいったいどうなっているのだろうか、と思わずにいられなかった。

 しかし、この国の79年間の歴史すべてが悪かったわけではない。多くの犠牲は払ったが、62年前に日本は世界に誇る憲法を手にした。そこには不当な差別を許さない条項も多くふくまれている。それが守られ生かされていれば、若者を絶望の淵に追いこむようなことはないはずである。80年代以降の新自由主義経済により、格差は拡大する一方となった。そのきわめつけが99年の派遣労働の原則自由化と04年の製造業への派遣労働解禁だったのではないだろうか。この二つが人間丸ごとを商取引の対象にすることを可能とした。そして、「勝ち組」「負け組」といったいかにも浅薄な言葉と価値観が大手を振って歩き出した。

 世の親たちは親心から「我が子を負け組にしてはならない」「正規雇用の職に就かせるまでが親の責務」といった強迫観念にとらわれやすい。親子そろって学力競争にまきこまれ、高校、大学、就職……と進むにつれ負け組が大多数となっていく。そして、「競争に負けたのは自分の努力が足らなかったから」と自己責任論に帰着する。だから、「団結して状況を変えようとする明るさと強さ」をもたず、「私たちならばあきらめるかも」となってしまうのではないか?

 この原稿をようやく書き上げようかという折も折り、6月8日に秋葉原で信じられないような悲惨な事件が起きた。どのような理由があってもあのような犯行は絶対に許されないことだが、しかし、派遣労働を転々とせざるをえなかった彼が携帯サイトに書き込んだ「親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧」「親の書いた作文で賞をとり」「中学生になった頃には親の力がたりなくなって、捨てられた。より優秀な弟に全力を注いでいた」「8年間、負けっぱなしの人生」……を読むと、なんとも複雑な思いにさせられた。

 この3月の和光高校卒業式で語ったこと(高校HPの「校長室から」に掲載)を思い出しながら、「あの青年にユニオンの存在を教える人はいなかったのか?」「あの青年は、ともに賢くなるためにともに学ぶ経験をしなかったのか?」「中学、高校時代にクラスメートやクラブの仲間と団結した思い出をもっていなかったのか?」「他校の生徒と連帯した経験は?」……と思いをめぐらせた。

 そして、あの青年が『蟹工船』を読んでいたらどうだったのだろうかと考え、気がつくとまた『蟹工船』を読み直し始めていた。

日時: 2008年9月 3日 09:59

ページの先頭へ戻る


ここからサブメニューです


ここから最下部のメニューです