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校長室から

第57回和光高校卒業式式辞

 今日、和光高等学校を卒業する皆さん、卒業おめでとう。

 ご参列いただいた保護者の皆さん、お子さんの卒業おめでとうございます。高校の卒業式には、特別なものを感じます。子は親離れの決意を、親は子離れの決意をきっぱりと固めるときなのではないでしょうか。

 卒業生の皆さん、君たち一人ひとりが世界中にたったひとつのかけがえのない存在です。たったひとつの個性です。岩並梓さんという人間は世界中にたった一人しかいません。その岩並さんが世界中にたったひとつの人生を歩んでいくのです。そこに「岩並梓物語」ができます。主人公はもちろん岩並さんです。

 同様に、君たち一人ひとりが「〇〇物語」の主人公です。
 「〇〇物語」の第1章は誕生から幼少期、第2章が小学生時代、第3章を中学生時代とすると、和光高校で過ごした3年間は第4章ということになります。
 第4章・和光高校の章をしっかりまとめてください。

 2年前の卒業式で、第2部の司会をした卒業生I君は
「今、僕は自分を愛しています。和光の3年間で大切な自分をつくることができました。将来、結婚して子どもができたら和光と名づけたいくらいです」
と、最後をまとめました。今日卒業する230人がみな、I君のようにまとめられるでしょうか?


 よく「過去は変えられない。未来は変えられる」ということが言われます。しかし、私は「過去も変えられるのでは」と思っています。もちろん過去の事実を塗り替えることはできません。変えられるのは、過去のもつ意味です。

 中学生時代にテストの点数による競争で痛めつけられた人もいます。親や学校に反抗の限りを尽くして自暴自棄になった人もいます。学校に行きたくても行けなかった人もいます。周囲にあわせることだけに神経をすり減らした人もいます。

 そうしたつらい経験=過去があったから、和光高校で新しい自分づくりに一生懸命になれたとしたら、過去のもつ意味を変えられたのです。I君がそうでした。

 「〇〇物語」は、和光高校卒業後の第5章、6章……とつづいていきます。君たち一人ひとりに、幸福な人生=「〇〇物語」を築いていってほしいと切に思います。

 しかし、君たちの行く手には依然として正規雇用か非正規雇用かを迫る格差社会が待っています。青年の3人に1人が非正規雇用という厳しさです。しかも「100年に1度の大不況なのだから」という言われ方で昨年末から「派遣切り」の嵐が吹き荒れています。一方で「一流企業」と呼ばれる会社で正社員の大量解雇も進んでいます。しかし、この嵐は天災ではありません。人災です。もともと通訳や秘書といった専門職に限定してつくられた労働者派遣法を99年に変え、04年に製造業にまで拡大したところに原因があるのです。この法律を変えたのは国会です。国会議員を選んだのは大人です。大人の一人として申し訳ない気持ちでいっぱいです。卒業式の度にこの話をしなければならないことに苛立ちや情けなさを覚えます。

 格差社会が用意している「正規雇用か、非正規雇用か」の差別と脅しにはまっているかぎり幸福にはなれないのではないでしょうか?格差社会そのものを変えないかぎり、差別と脅しから解放される道はないのだと思います。

 若者の雇用が保障され、安定した収入を得られなければ、年金制度も医療保険制度も維持できません。若者と高齢者も連帯できます。正規雇用者と非正規雇用者も連帯できます。「正規雇用につけなかったのは自分の努力不足」といった自己責任論に縛られることなく、連帯によって格差社会を変えていくことはできるのです。

 「どうやって連帯はつくられるのか?」を考えるとき、私には鮮やかに思い出される話があります。もう30年近く前に聞いた話なのに、実に鮮やかに思い出すことができます。それだけ印象深かったのです。

 その話は、横須賀市立池上中学校の家本芳郎さんという先生の講演の中の一部です。当時、全国の中学校と高校で校内暴力が吹き荒れていました。池上中学校は合唱を軸にした学校づくりで有名でした。その学校づくりの中心が家本先生でした。実践記録の本が出版されただけでなく、写真集と合唱テープも発行されていました。池上中学校の実践に多くの学校、教員が学びました。私もその一人でした。

 家本先生のその話はこうでした。

 夜遅くに会議を終え、横須賀に帰る電車の中でした。それほど混んではなく、空席もありました。途中の駅で、見るからに柄の悪い若者2人が乗ってきました。若い女性の座っている席の両隣に座りました。必要以上に身体を寄せました。女性が立ち上がろうとしても、肩やももを押さえてそれを許しません。それどころか体のあちこちをさわりはじめました。女性は恐怖感から声もあげられませんでした。
向かい側の席に座っていた家本先生は「どうするべきか?」を必死に考えました。普段生徒たちに平和や正義を説いているのです。「見て見ぬふりでは共犯者と同じ」「黙っているわけにはいかない」の思いは強くありました。「もしかしたら、この車両に生徒の親がいて、家本先生がどう行動するかをじっと見ているかもしれない」と考えると、あせるばかりでした。しかし、その一方で、「あの若者2人を注意したら、暴力をふるわれるかも知れない。場合によってはナイフを持っているかもしれない」という不安、恐怖が抜きがたくありました。周りをそっと見渡すと、本や新聞を読んでいる風を装う人、寝たふりを決めこむ人ばかりです。一緒に立ち上がってくれそうな人は見つかりませんでした。

 しかし、そのとき隣の席に座っていたいかにも上品な老婦人が家本先生に声をかけてきました。
「私が立ち上がりますから、私につづいてください。そのことを隣の人、隣の人へと伝言してください」老婦人は逆隣の人にも声をかけていました。家本先生は隣の人に伝えました。隣の人がそのまた隣の人へと伝えました。伝言がいきわたったことを確認して、老婦人が立ち上がりました。そして、上品な物言いで「あなたたち、おやめなさいよ」と声をあげました。つられるように家本先生たち他の乗客も立ち上がり「おやめなさいよ」 と声をあげました。老婦人は一歩前に進み出て、「おやめなさいよ」と声をあげました。家本先生たちも一歩前に進み出て、「おやめなさいよ」と叫びました。それが繰り返され、輪が狭まっていきました。
 若者2人は逃げるように他の車両に移り、次の駅で降りていきました。

 どうですか?実に示唆的な話だと思いませんか?一人の正義感では限界があります。連帯が力をもつのです。君が「これはおかしい。許せない」と思うとき、「おやめなさいよ」「こうしましょうよ」という声をあげている人が必ずいます。労働者派遣法が変えられるときに「おやめなさいよ」と声をあげていた人たちはいたのです。政党や団体はあったのです。そうした声を聞き取れる人になってください。「おやめなさいよ」と声をあげられる人になってください。

 さあ、卒業です。

 友だちは人生の宝です。友とともに差別に立ち向かう人生を切り拓いていってください。

 さようなら。元気で。

2009年3月14日

和光高等学校 校長  両角 憲二

日時: 2009年03月16日 11:57

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