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校長室から

ともに幸福になるためにともに学ぶ学校

『育てたいね、こんな学力』から、「中学高等学校分」の紹介です。

1 和光中学・高校教育がめざすもの 

(1)和光中学・高等学校の目指す学力――J君のこと

 Jくんという和光高校の卒業生がいます。Jくんの受けた大学推薦入試の話を、Jくんの父親から聞きました。後日Jくんにも確かめました。

 推薦入試の面接は10人の受験生にたいして3人の試験官というかたちでした。はじめに「携帯電話について話しあってください」と題があたえられ、あとは受験生にまかされました。ほとんどの者がうつむき、「どういう答えが正解なのだろう?」と考えているようでした。発言しようとする者はいませんでした。

 Jくんは「えー、ぼくが司会してもいいでしょうか?」とことわったうえで、

 「携帯電話をもっている人、手をあげてください」

と問い、もっている人ともっていない人が対面するように席を移動させました。つぎに

 「携帯電話をもっている人は、もった理由をいってください」

 「携帯電話をもっていない人は、もたない理由をいってください」

 と全員に発言を求めました。そこから「携帯電話をもっていることの利点」「携帯電話によるトラブルや問題点」といった柱を立てての討論会になりました。途中、試験官の先生が爆笑するような場面もありました。そんな雰囲気のなかで、あっという間に30分がすぎました。

 Jくんからそのことを聞いた父親は、

 「うちの学校でそんなことできる生徒いるかな? どうしてきみはそんなことができるの?」

と聞きました。Jくんの父親は、東大に毎年60人前後が合格する私立高校の国語の先生です。それにたいするJくんの答えは、

 「うん、和光高校では、そういう授業が多いよ」

でした。さらに父親は聞きました。

 「きみは、そういう授業でいつも司会役というかコーディネーター役をやっていたの?」

 それにたいするJ君の答えはこうでした。

 「ううん。仕切るのはAくんとかBくんで、ぼくはいつも仕切られるほう」

 合格発表の日、Jくんから「合格したよ」の電話をもらった父親は、

 「そりゃあ、あれだけのことができれば合格するでしょう」

と応えました。それにたいするJ君の答が、

 「うん。でもね、おとうさん。いっしょに面接試験を受けた10人が連番で合格していたんだよ。ねー、これってけっこう自慢できるよね」

でした。Jくんの父親は涙が出そうなほどうれしかったと語ってくれました。

 Jくんの父親からその話を聞いた私も胸が熱くなる思いでした。Jくんは、もう2度と会わないかもしれない者とも、ともに学んだのでした。相手の弱点を突きみずからの優位性を示そうとするのではなく、面接試験の30分間を「ともにかしこくなるために、ともに学ぶ」場にしたのです。学びを楽しんだのです。

 Jくんは「ぼくはいつも仕切られるほう」といっていたように、特別な生徒ではありませんでした。小学校時代には不登校も経験しています。和光中学では野球部に所属していましたが、代打で打席に立つと、足をガタガタふるわせてしまうような選手でした。リーダーを経験することはまずありませんでした。和光高校では多少リーダーも経験したようですが、それにしてもごく普通の和光高校生でした。

 集団面接でJくんのように「気がついたら、討論会を仕切っていた」「集団面接をともに学ぶ場にしていた」話をいくつも聞きます。和光中学・高等学校の教育が目指す学力の特徴を示しているように思えてなりません。


(2)ともに幸福になるためにともに学ぶ

 「なぜ学ぶのか?」という問いにたいして、「幸福になるために学ぶ」が納得のいく答ではないでしょうか? これ以上の答はないように思います。

 しかし、幸福を個々人の枠のなかだけでとらえると、やれフリーターだ、ニートだ、ワーキングプアだ、といった報道があふれている格差社会のなかで、世の親たちは「将来、わが子を負け組にしてはならない」「わが子を正規雇用の職につけ経済的に自立させるところまでが親の責務」といった強迫観念にとらわれがちです。ここに競争主義教育に巻きこまれてしまう背景があります。

 その結果、「幸福になるために、よい高校に入る。一流の大学に入る。大企業に就職する」といったことが目的化されてしまい、子どもたちを激しい競争に追いこみます。多くの私立高校が生き残りをかけ有名大学合格者実績を競いあうことで、この競争はダイナミズムを増幅させています。しかし、「勝ち組」「負け組」といった浅薄な価値観にもとづくこの競争は、中学→高校→大学→就職……と進むにつれ、勝ち組はどんどん減っていき、ほとんどの者が負け組になる構造になっています。こうして「幸福になるために」参加した競争でほとんどの者が「不幸」になってしまうのです。

 どの子どもにとっても学ぶことは大きなよろこびであるはずなのに、「学力競争」によって他者と切り離され、勉強ぎらい、学校ぎらいの子どもを大量に生みだしています。その結果、「自分はダメな人間」「自分は価値のない人間」……と思いこんでしまう、つまり自己肯定感をうばわれてしまうことになります。自己肯定感をもてない者が幸福であるはずがありません。わが子の幸福を願う親心が子どもを不幸へと導いてしまうという皮肉な結果を生みます。

 「幸福になるために学ぶ」を「不幸にならないために学ぶ」と言い換え、「人間にとって最大の不幸が何なのか?」を考えてみると見えてくるものがあります。

 人間にとって最大の不幸……戦争以上の不幸はないでしょう。そして差別ではないでしょうか。ノルウェーのヨハン・ガルトゥングという国際政治学者はつぎのようにいっています。

 「平和とは、経済的搾取、政治的圧迫・弾圧、性差別・社会差別・民族差別などのあらゆる差別、さらに植民地支配など、社会のシステムの中に組み込まれている構造的暴力と、テロや戦争といった直接的暴力の両方を克服した状態である」

 平和とは戦争と差別のない状態であると言い切っています。とてもよく理解できます。個々人の考える幸福はそれぞれです。しかし、戦争と差別は個々人の幸福を打ち砕きます。個々人が幸福を追求することを許しません。

 教育基本法の前文「民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである」と、第1条(教育の目的)「教育は、人格の完成をめざし、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を帰して行われなければならない」が、見事にそのことを指し示しています。「世界の平和と人類の福祉」「平和で民主的な国家及び社会」は、不幸にならない=ともに幸福になるための前提といえるでしょう。ともに幸福になるためにともに学んでいけば、学ぶことはよろこびでありつづけるはずです。

 そうした学びによってつける力が真の学力なのだと考えることは、わが子の幸福を願う親心とまったく矛盾しないのではないでしょうか。


(3)和光中学・高等学校の一貫教育と育てたい学力

 多くの私立中学・高校の中高一貫教育は、大学受験に備えるものになっている傾向が強いのではないでしょうか? 有名大学合格者数をふやすために、中1~高2の5年間で6年分の学習を終え、最後の1年間は受験向けの授業にあてる……大学受験に備えてということではじつに一貫しています。

 和光中学・高等学校の中高一貫教育は、これとはまったく別物です。和光中学と和光高等学校のあいだで一貫しているのは、建学の精神ともいうべき「個性の尊重」と「自主的精神の育成」です。そして、それに加えて、「学ぶことは絶対的な楽しみ・喜び」と「ともに幸福になるために、ともに学ぶ」 ということです。

 「学ぶことは絶対的な楽しみ・よろこび」ということは、言葉を獲得した幼児、1つ2つと数を数えられるようになった幼児、ひらがなを読めるようになった幼児の姿を見れば、容易に理解できます。周囲からほめられることによって励まされ、学ぶよろこび、学習意欲は涸れることがありません。子どもが「なぜ?」「どうして?」を連発して親を困らせる光景はよく目にするところです。子どもはみな知りたがり屋です。

 和光中学高等学校でもテストはおこないます。しかし、けっして点数による順位はつけません。「学ぶことは絶対的な楽しみ・よろこび」という教育の本質から遠ざけないためです。

 また、たくさんのことを一方的に教えこむことをしません。「なぜ?」や「どうして?」を大切にした授業をおこなっています。「なぜ?」や「どうして?」の問いに対する友だちの答から学びます。討論や意見交換をとりいれた授業も多くあります。ともに学び、ともにかしこくなるためです。

 先のJくんが示したのは「他者とつながる力」です。ともに学びあう力です。いったいJくんは、どのようにしてこのような学力を獲得できたのでしょうか?

 学力は能力の一部分ですから、能力がどう形成されていくのかを考える必要があります。それは次のような発達段階をふみながらつくられていくと考えられます。

① 能力のもっとも基本的な土台は「からだ・いのち」 ②「ことばの力」 ③ さまざまな能力や感性・技能 ④ ①~③を統括する能力/仲間と協同・連帯する能力(ともに~する力)

 日本で「学力」「学力」と使われるのは③の力のうちのテストの点数で計れる力に狭く限定されているのではないでしょうか?つまり、知識量の多さ、一定時間内に「この問題はこの公式・解法にあてはめて」とすばやく解く力です。

 和光中学高等学校の目指す学力は、④までもふくみこんでいます。④の力は、授業だけで獲得できるものではなく、学校生活全体のなかで培われるものです。

 和光中学高等学校では「授業づくり」という言葉がよく使われます。授業は、一方的に教師が生徒に教えるものではなく、教師と生徒がともにつくっていくという考えにもとづいています。

 授業づくりの指標として、「授業づくりの視点」(06年度・中学副校長方針)と「仲間の考えに刺激される授業」(07年8月中学部研究)をあげておきます。


◆「授業づくりの視点」

 ⅰ テーマ設定が生徒の生活現実に深く結びついているか

 ⅱ 教材・教具の選択・準備は適切で魅力あるものになっているか

 ⅲ 他者とつながる学びを授業展開の中心にすえているか


◆「仲間の考えに刺激される授業」

 ⅰ 仲間とのコミュニケーション&刺激のしあいが学習意欲をひきだす

       討論、作品・意見文・レポートを生徒に返す(匿名は認めない)

 ⅱ 自分で調べた知識ほど確かなものはない

 ⅲ 家庭で話題になるような授業づくり


 このように和光の授業ではいくつも「ともに学ぶ」ための方法が用意されています。こうした授業を通じて獲得されるさまざまな能力が、わたしたちの目指す学力であると考えています。

 しかも、ともに学ぶのは授業や総合学習のなかだけではありません。学級・学年・生徒会活動やクラブ活動、そして行事(体育祭、文化祭)に取り組むなかで、ともに楽しむ=ともに幸福になるための方法を学んでいきます。ともに学ぶ力をつけていきます。「ともに~する力」が育てられます。

 「平和で民主的な(つまり戦争と差別のない)国家および社会の形成者」となる人格は、学校教育においては、暴力支配と不当な上下関係のない学校づくり=自治活動のなかで形成されていくと考えています。これは、和光中学高等校では生徒会活動を中心として実践しています。こうして形成される人格が、仲間と連帯する力をともなって、格差社会にともに立ち向かっていけるのではないでしょうか。

 和光中学高等学校は「ともに幸福になるために、ともに学ぶ」学校です。そこで目指す学力は「ともにかしこくなるために、ともに学ぶ力」です。

 Jくんの学力の中軸の部分は、和光教育のなかで獲得されたと考えていいのではないでしょうか。

日時: 2009年11月12日 17:55

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