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校長室から

「なぜ?」「どうして?」の20年間(創立記念日永年勤続者あいさつ)

 本日は、このような晴れがましい場を与えていただき、心より感謝申し上げます。高校以下永年勤続者を代表しての挨拶にはなりませんが、あらかじめお許しください。

 私は、1973年4月に北海道焼尻島という小さな島の、全校生徒20名という北海道一小さな高校の教員になりました。友人の一人から餞別代わりに「現代と思想」という雑誌をもらいました。そのなかに丸木政臣先生と大学の教授2人との対談が載っていました。本屋も喫茶店もない島暮らしの日々にあって、何度も読み返しました。読むほどに丸木先生に会ってみたいと思いました。そんな折も折、北海道民間教育研究団体の夏の合同教研に丸木先生が講師として来ることを知り、私は函館まで出かけました。

 そこから私の丸木先生の追っかけが始まりました。焼尻高校3年間、厚岸水産高校14年間、丸木先生は変わることなく私にとっての師でした。

 その丸木先生の秘書の谷津倉さんから「先生の教員免許の教科は何ですか?」という電話をもらったのが、1989年12月初めのことでした。冬休みに帰省……私も妻も群馬県前橋市に実家があります……する際に、和光小を訪ねてもらいたいとのことでした。雑誌の原稿を頼まれるのかな、くらいに考えて和光小学校を訪ねました。そこで初めて「和光中学に来ないか」と聞かされました。私は、厚岸水産高校という学校と生徒・同僚、そして北海道高教組という組合からも必要とされているという、それなりの自覚と自負を持っていました。即答こそ避けましたが、即答を避けたことで「両角はやはり北海道にいて両角」と理解してもらえたと考えました。妻と相談しましたが、妻も同じ考えでした。妻は前橋の中心街、私は郊外で育ちましたが、妻は私以上に北海道になじんでいました。5人の子育てに奮闘中でしたが、5人が5人、北海道の自然のなかでおおらかに育っていたことが、妻にとっての満足になっていました。

 群馬から北海道にもどる際に正式にお断りするつもりでした。ところが、丸木先生が緊急入院されてしまいました。病室を訪ねると、廊下に丸木先生の声が聞こえてきました。両角採用までの段取りの電話を次々とかけていました。これで断れなくなりました。

 私の所有する教員免許は「高校理科」でした。「中学理科」免許を取得する必要がありました。簡単に取れるはずでしたが、よりによってこの時、免許法が変わり、かなり難しいことがわかりました。それを理由に断りの電話を入れました。谷津倉さんからの返答は「もう話は進んでいます。来てくれなくては困ります」というにべもないものでした。

 1990年4月、和光中学校の生徒たちとの出会いは始業式でした。あまりの騒々しさと落ち着きのなさに驚きました。私の赴任の挨拶の第一声は「いつもこんなにウルサイの?」でした。思わず出てしまった一言でした。生意気な教員が来たと思われたにちがいありません。

 和光中学教員1年目は、戸惑いと混乱の日々でした。「丸木先生の学校」と目の前の「生の和光中学校」との落差の大きさに、そして次々と押し寄せてくる行事の大波に、「頭はパニック」状態に何度もなりました。

 朝の会、授業開始時の「起立」のないことには、すぐなれました。必要ないと言えば必要ないものでした。私服と頭髪の自由にもすぐなれました、というより、服装検査や頭髪検査のないありがたさを実感しました。

 しかし、学級担任として苦労がありました。そうじのでたらめさは到底許すことができませんでした。そうじの途中で生徒が1人、2人と帰ってしまうのです。問い質すと「自分の分は終わりました」というのです。机縦1列が1人分だというのです。1人サボれば1列、2人サボれば2列が教室の後ろに下げられたまま、掃除が終わるのです。「残った列は、明日の朝、サボった者がやることになっています。それがこのクラスが1年生の時につくったルールです」というのです。また、掃除終了時に整列・点検を行おうとすれば、「そんなの軍国主義だ」と拒否されました。長い、長い戦いが始まりました。

 朝の会で不在の生徒に遅刻を記すと、「机の上にかばんがあります。ほら、グラウンドで遊んでいます。だから、遅刻ではありません」と返ってきたのにはびっくりしました。こちらが「そんなことは世間で通用しない」と言えば、生徒の何人もが「世間と和光は違う」と声を上げました。「どうして、うちのクラスだけ遅刻になるのですか?」とも言われました。そんな言い争いが何回かあり、それでもこちらが折れないのを知ると、生徒たちは職員室へ押しかけ、学年主任の榛葉先生への直訴を始めました。とうとう職員会議の議題になりました。「1学級だけ別校則はありえない」「年度途中の変更はありえない」とされました。職員会議後に「とうとう、和光にも管理主義がやってきたか?」という会話が交わされていたことを後で知りました。

 私は北海道高教組の組合員として「良き組合員、よき教師」を心がけてきました。丸木先生の本を読み、民主的教師に成長すべく努力していたつもりです。その私に、軍国主義と管理主義のレッテルが貼られたのです。

 あの日々から20年の歳月が流れました。

 ただ命令に従うのではなく、「なぜ、整列しなければいけないの?」「どうして、朝1番早く来ている人が遅刻なの?」と、自分の頭で考え、自分の意見を物怖じせずに発言できる生徒なのだと、プラス面として受けとめることにしました。職員会議も「民主主義は時間がかかる」と学びました。それが和光教育なのだと理解しました。

 そこから両角の「なぜ?」「どうして?」を武器とした逆襲が始まりました。「なぜ、掃除するの?」「何のために、どうして、朝の会をやらなければいけないの?」と、「なぜ?」「どうして?」を連発しました。そして、「去年はこうだった」「厚岸水産高校はこうだった。世間ではこうだ」はお互いにやめよう、「どちらが良いのか?」で決めようという合意をつくることができました。そこからは、ほぼ連戦連勝だったと思っています。

 いつしか私は、学年の先生たちから「総理大臣」ならぬ「掃除大臣」と崇め奉られ、学年4つのクラスの掃除オリエンテーションを担当するまでに出世することができました。朝の遅刻については、何度もの職員会議と最終的には異例の採決で、両角提案つまり世間一般なみが過半数となり、92年度から改められました。

 「なぜ?」「どうして?」は、授業にも大いに活かすことができました。年下ではありましたが、和光中学では先輩教員の遠藤さんと北林さんから大いに学びました。板書中心・講義式授業から、実験を通じて「なぜ?」「どうして?」を考えあう授業へと転換していきました。

 さらに「なぜ?」「どうして?」が威力を発揮したのが男子バスケットボールクラブの指導でした。「なぜ?」「どうして?」と考えさせることで、練習時間の短さ、日数の少なさを克服していきました。やがて他校の顧問の先生から「和光の子は頭が良い」「バスケを良く知っている」と言われるようになりました。町田市の大会で何度も優勝できるようになりました。そして、2003年11~12月の都大会で優勝、東京都650チームの頂点に立つことができました。翌2004年夏の都大会では準優勝し、初の関東大会出場も果たしました。次の代も東京都私学大会で優勝しました。

 私は「こんなに幸福でいいのか?」と思えるほどの教師生活にたどりついていました。公立学校教員への管理統制が強化されていく動きのなかで、かつての同僚や北海道高教組の仲間に対して心底申し訳なく思うほどに幸福でした。

 しかし、世の中も、人生も、そうそう甘くはありませんでした。私に貼られた軍国主義と管理主義のレッテルは、歴史のゴミ箱に捨て去られたのでしょう。2005年4月から、中学高等学校の校長職に就くことになりました。そこから生活が一変しました。経営や人事を考えることが主となりました。団交では理事会側の席に着かなければなりません。ただひたすら「良い集団は良いリーダーを育てる」という言葉を信じて歩んでいますが、この言葉の正しさを実感できる日が、年々増えてきました。「校長になっていて良かった」と思える日もできました。中学高等学校の同僚の皆さんに感謝、感謝です。

 しかし、その感謝だけでは不十分です。和光中学高等学校を選んで入学してくれる生徒とその後ろの保護者に対する感謝をひと時も忘れてはいけないと思っています。そして、もっともありがたいことは、和光学園全体に創造的に教育実践する自由、切磋琢磨する自由が保障されているということです。その和光で何をなすべきなのかを考えます。「ひとり和光が幸福であればそれでよし」で済ませてはいけないと思っています。教員に自由度が保障されてこそ授業も諸活動も活性化し、生徒一人ひとりが生き生きするという実践、学校づくりを積み重ねていく必要があります。「やっぱり、学校は和光のようでなければ」と、広く言われるようにしたいと思います。

 そこに和光中学高等学校の校長としての働きがいと生きがいを求めたいと思っています。


2009年11月9日創立記念日 永年勤続者あいさつ

日時: 2010年1月19日 19:33

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