沿革

学園の沿革

1933(昭和8)年11月10日、成城小学校を母体として、教職員7名、児童数33名の小さな私立小学校が誕生しました。校舎もなく校名すらもありませんでした。

「和光」という名の私立が正式に出発するのは、翌34年4月からでしたが、戦争中のファシズム支配のもとでは自由な私学の発展する余地はなく、命を長らえるのに必死な状態でした。

私学部 「すべての子どもたちにゆきとどいた教育をすすめる」ことをめざし、「学費無償」「国の責任による30人学級実現」「教育の機会均等」を行き渡らせるために行動提起する部です。

和光が人間教育を旗印にして戦後教育の中で注目を浴びるのは、1950(昭和25)年に日本生活教育連盟の実験学校になり、そのつながりで春田正治を校長に迎えてからです。幼稚園、小学校、中学校、高等学校の上に、66年には梅根悟を学長に迎えて和光大学を建設し、総合学園の仲間入りをしました。いまや児童・生徒、学生総数は5,000 名をこえ、教職員も専任者が300名をこえています。